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野球 |
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2016年10月に行われたプロ野球BCリーグの分配ドラフトで女子選手の吉田えりを獲得したのは栃木ゴールデンブレーブスである |
○ |
2016年10月に行われたプロ野球BCリーグの分配ドラフトで女子選手の吉田えりを獲得したのは滋賀ユナイテッドである |
× |
大リーグ・レンジャースのダルビッシュ有が、2016年に結婚したのは、元レスリング選手の山本美憂である |
× |
球場内外での優れた精神や人柄の良さを称える大リーグのルー・ゲーリック賞を日本人として初受賞したのはイチローである |
○ |
球場内外での優れた精神や人柄の良さを称える大リーグのルー・ゲーリック賞を日本人として初受賞したのは松井秀喜である |
× |
2016年のワールドシリーズで優勝した大リーグのチームはシカゴ・カブスである |
○ |
2012年6月に開催された全日本大学野球選手権で優勝したのは早稲田大学である |
○ |
2011年の「春の甲子園」を制した高校は東海大相模である |
○ |
2011年の「春の甲子園」を制した高校は九州国際大学付属である |
× |
2011年より、3月と8月に限りプロ野球チームと大学の単独チームが練習試合を行うことが可能になった |
○ |
2011年より、3月と8月に限りプロ野球チームと大学の単独チームが合同練習を行うことが可能になった |
× |
野球選手の大村三郎が2011年6月まで在籍した千葉ロッテマリーンズで用いた登録名は「サブロー」である |
○ |
野球選手の大村三郎が2011年6月まで在籍した千葉ロッテマリーンズで用いた登録名は「大村」である |
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野球選手の大村三郎が2011年6月より所属する読売ジャイアンツで用いる登録名は「大村」である |
○ |
2011年6月、パフォーマンスの成功率の低下を理由に2軍降格を言い渡されたのは中日ドラゴンズのマスコット・ドアラである |
○ |
2011年6月、パフォーマンスの成功率の低下を理由に2軍降格を言い渡されたのは東京ヤクルトのマスコット・つば九郎である |
× |
2011年の全日本大学野球選手権で「史上初のプロ経験者が監督する学校同士の対戦」に勝利したのは江藤省三率いる慶応大である |
○ |
2011年の全日本大学野球選手権で「史上初のプロ経験者が監督する学校同士の対戦」に勝利したのは古葉竹識率いる東京国際大である |
× |
2011年のプロ野球・オールスターゲームで、ファン投票の得票数が1位だった選手はダルビッシュ有である |
× |
2011年シーズンのプロ野球で沢村賞を受賞したピッチャーはダルビッシュ有である |
× |
プロ野球の発展に最も貢献した球界関係者に贈られる「正力松太郎賞」を2011年に受賞したのは落合博満である |
× |
2011年に行われた女子硬式野球の日本一決定戦・第1回女子野球ジャパンカップで優勝したのは埼玉栄高校である |
○ |
2011年に行われた女子硬式野球の日本一決定戦・第1回女子野球ジャパンカップで優勝したのは福知山成美高校である |
× |
2011年に、35歳の若さで横浜DeNAベイスターズの社長に就任した実業家は春田真である |
× |
2011年に、42歳の若さで横浜DeNAベイスターズのオーナーとなった実業家は春田真である |
○ |
2011年に、42歳の若さで横浜DeNAベイスターズのオーナーとなった実業家は池田純である |
× |
2011年に、日本のプロ野球で史上初めて先発登板が1度もない投手としてゴールデングラブ賞を受賞したのは岩瀬仁紀である |
× |
2011年に日本以外の国の球団で初めてアジアシリーズで優勝した三星ライオンズは台湾のプロ野球チームである |
× |
昭和18年、野球用語の日本語化が推進された時に「だめ」と置換えられた野球用語は「ファウル」である |
○ |
昭和18年、野球用語の日本語化が推進された時に「だめ」と置換えられた野球用語は「アウト」である |
× |
2009年の第2回WBC決勝で延長10回表に勝負を決めた2点タイムリー2塁打を決めた放った選手はイチローである |
○ |
2009年の第2回WBC決勝で延長10回表に勝負を決めた2点タイムリー2塁打を決めた放った選手は青木宣親である |
× |
2006年の第1回WBC、2009年の第2回WBCと2大会連続で大会MVPを獲得した選手は松坂大輔である |
○ |
2006年の第1回WBC、2009年の第2回WBCと2大会連続で大会MVPを獲得した選手はイチローである |
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日本のプロ野球のオールスターゲームは毎年3試合おこなわれる |
× |
大リーグのオールスターゲームに日本人として初めて出場したプロ野球選手は野茂英雄である |
○ |
大リーグのオールスターゲームに日本人として初めて出場したプロ野球選手はイチローである |
× |
2007年に、アメリカ大リーグのオールスターゲームでMVPに選ばれた日本人選手はイチローである |
○ |
2007年に、アメリカ大リーグのオールスターゲームでMVPに選ばれた日本人選手は松井秀喜である |
× |
かつて巨人で活躍したプロ野球選手・長嶋茂雄は右打ちの打者だった |
○ |
かつて巨人で活躍したプロ野球選手・長嶋茂雄は左打ちの打者だった |
× |
メジャーリーグで最後にシーズン打率4割を達成したのはテッド・ウィリアムスである |
○ |
メジャーリーグで最後にシーズン打率4割を達成したのはタイ・カップである |
× |
ソフトボールのホームベースは5角形である |
○ |
ソフトボールのホームベースは6角形である |
× |
1961年に23連敗という不名誉な大リーグ記録を残したチームはフィラデルフィア・フィリーズである |
○ |
1961年に23連敗という不名誉な大リーグ記録を残したチームはボルチモア・オリオールズである |
× |
広島東洋カープから誕生した初のセ・リーグ新人王は津田垣実である |
○ |
広島東洋カープから誕生した初のセ・リーグ新人王は川端順である |
× |
清原和博はPL学園時代に出場した春夏の甲子園5大会全てで本塁打を記録している |
○ |
清原和博はPL学園時代に出場した5度の甲子園大会ですべて決勝戦に進出している |
× |
清原和博はPL学園時代に出場した5度の甲子園で一度投手を務めたことがある |
○ |
清原和博はPL学園時代に高校野球の甲子園大会で先発投手を務めたことがある |
× |
かつて野茂英雄が所属していた日本のプロ野球チームは近鉄バファローズである |
○ |
かつて野茂英雄が所属していた日本のプロ野球チームは西武ライオンズである |
× |
ニューヨーク・ヤンキースに初めて入団した日本人選手は伊良部秀輝である |
○ |
ニューヨーク・ヤンキースに初めて入団した日本人選手は松井秀喜である |
× |
かつて桑田真澄がプレーしたアメリカ大リーグの球団はパイレーツである |
○ |
かつて桑田真澄がプレーしたアメリカ大リーグの球団はレッドソックスである |
× |
桑田真澄が高校時代に甲子園で記録した春夏通算の防御率は1点台である |
○ |
江川卓は高校時代甲子園大会で9連続奪三振を記録したことがある |
× |
現在のところメジャーリーグでシーズン打率4割を最後に達成した選手はテッド・ウィリアムスである |
○ |
現在のところメジャーリーグでシーズン打率4割を最後に達成した選手はタイ・カップである |
× |
2009年7月28日に、プロ野球選手のイチローが、メジャー9年目にして初めて打ったのはサヨナラヒットである |
○ |
長嶋茂雄は巨人に入団後1年目のシーズンに本塁打王のタイトルを取った |
○ |
長嶋茂雄は巨人に入団後1年目のシーズンに本塁打30本以上を記録した |
× |
春のセンバツ高校野球の第1回大会が開催されたのは第二次世界大戦より前である |
○ |
日本のプロ野球ではバッターが用いるバットの長さ・太さに制限はない |
× |
甲子園のアルプススタンドの名付け親は、漫画家の岡本一平である |
○ |
甲子園のアルプススタンドの名付け親は、漫画家の手塚治虫である |
× |
野球で、ピッチャーが投げた球がバッターが避けようとしたにもかかわらず、その体にあたってしまうことを死球という |
○ |
野球で、ピッチャーが投げた球がバッターが避けようとしたにもかかわらず、その体にあたってしまうことを四球という |
× |
プロ野球の「日本生命セ・パ交流戦」では、MVPは必ず優勝したチームに所属する選手から選出される |
○ |
大リーグでカウント2−1といったら1ストライク、2ボールのことである |
○ |
大リーグでカウント2−1といったら2ストライク、1ボールのことである |
× |
高校野球で、優勝回数がもっとも多い都道府県は春の甲子園・夏の甲子園ともに大阪府である |
○ |
高校野球で、優勝回数がもっとも多い都道府県は春の甲子園・夏の甲子園ともに愛知県である |
× |
野球で「マルチヒット」といえば打ったバッターが2塁ベースより先に進むヒットのことである |
× |
大リーグのワールドシリーズが第1戦から最終戦まで同じ球場でおこなわれた年があった |
○ |
大リーグのワールドシリーズに初めて出場した日本人選手は新圧剛志である |
○ |
大リーグのワールドシリーズに初めて出場した日本人選手は松井秀喜である |
× |
アメリカ大リーグのチームシカゴ・ホワイトソックスの本拠地球場の名前はUSセルラーフィールドである |
○ |
アメリカ大リーグのチームシカゴ・ホワイトソックスの本拠地球場の名前はミニッツメイド・パークである |
× |
大リーグで監督として史上最多勝利を挙げているのはコニー・マックである |
○ |
大リーグで監督として史上最多勝利を挙げているのはケーシー・ステンゲルである |
× |
現在、韓国のイ・スンヨプが所属しているプロ野球チームは読売ジャイアンツである |
○ |
現在、韓国のイ・スンヨプが所属しているプロ野球チームは中日ドラゴンズである |
× |
巨人の選手イ・スンヨプが以前所属していた韓国のチームは三星ライオンズである |
○ |
星野仙一が現役時代にプレーしたプロ野球チームは中日ドラゴンズである |
○ |
星野仙一が現役時代にプレーしたプロ野球チームは阪神タイガースである |
× |
北京五輪の野球で優勝した国は韓国である |
○ |
北京五輪の野球で優勝した国はキューバである |
× |
野球で外野手登録の選手が内野で守るのはルール違反である |
× |
新庄剛志は大リーグで年間2桁本塁打を一度も打ったことがない |
× |
新庄剛志が現役時代、最後に所属したプロ野球チームは北海道日本ハムファイターズである |
○ |
これまでに夏の高校野球で優勝校を出していない都道府県は20以上ある |
○ |
イチローは日本のプロ野球で打ったヒットよりも大リーグで打ったヒットの方が多い |
○ |
1933年におこなわれた大リーグの第1回オールスターゲームに勝利したのはアメリカン・リーグ選抜チームである |
○ |
1933年におこなわれた大リーグの第1回オールスターゲームに勝利したのはナショナル・リーグ選抜チームである |
× |
元プロ野球選手長嶋茂雄の出身大学は立教大学である |
○ |
元プロ野球選手長嶋茂雄の出身大学は明治大学である |
× |
高校野球の夏の甲子園で1大会チームの最多本塁打の記録を持っている高校はもちろんPL学園である |
× |
高校野球の夏の甲子園で1大会個人最多打点の記録を持っている選手はもちろん清原和博である |
× |
昔の野球のルールでは打ったボールが外野のフェンスを超えた場合はシングルヒットだった |
○ |
昔の野球のルールでは打ったボールが外野のフェンスを超えた場合はアウトだった |
× |
春と夏の甲子園高校野球大会で歴史がより古いのは夏の全国高校野球選手権大会である |
○ |
春と夏の甲子園高校野球大会で歴史がより古いのは春の選抜高校野球大会である |
× |
1997年の当時オリックスの長谷川滋利が移籍した大リーグのチームはエンゼルスである |
○ |
1997年の当時オリックスの長谷川滋利が移籍した大リーグのチームはマリナーズである |
× |
ジャイアント馬場が巨人に在籍していた時二軍で最多勝投手のタイトルを獲得したことがある |
○ |
岡田彰布が現役時代に所属していたプロ野球チームは阪神である |
× |
岡田彰布が現役引退時に所属していたプロ野球チームはオリックスである |
○ |
岡田彰布が現役引退時に所属していたプロ野球チームは阪神である |
× |
プロ野球出身者で初めて文化功労者に選ばれたのは川上哲治である |
○ |
プロ野球出身者で初めて文化功労者に選ばれたのは長嶋茂雄である |
× |
東京ヤクルトスワローズがプロ野球で優勝した時はビールではなく、もちろんヤクルトをかけ合う |
× |
日本のプロ野球で同じ球場を本拠地とするチーム日本シリーズで対戦したことは一度も無い |
× |
2010年7月に、「王貞治ベースボールミュージアム」がオープンする野球場は福岡Yahoo!JAPANドームである |
○ |
2010年7月に、「王貞治ベースボールミュージアム」がオープンする野球場は東京ドームである |
× |
「王貞治ベースボールミュージアム」が設置されている野球場は東京ドームである |
× |
2010年シーズンよりプロ野球のセ・パ両リーグでは「本塁打の判定」においてビデオ判定が導入された |
○ |
2010年シーズンよりプロ野球のセ・パ両リーグでは「本塁でのクロスプレーの判定」においてビデオ判定が導入された |
× |
野球で使われる用語で「グランドスラム」とは満塁ホームランのことである |
○ |
野球で使われる用語で「グランドスラム」とは完全試合のことである |
× |
日本のプロ野球で初めて2年連続で打撃三冠王を獲得した選手は王貞治である |
○ |
日本のプロ野球で初めて2年連続で打撃三冠王を獲得した選手は野村克也である |
× |
東京ヤクルト・スワローズの現在の監督は高田繁である |
○ |
東京ヤクルト・スワローズの現在の監督は梨田昌孝である |
× |
これまでに、高校野球の「夏の甲子園」を3年連続で優勝した高校はない |
× |
野球のBCリーグでは9回終了時に同点でも延長戦は行われない |
○ |
日本プロ野球史上シーズン打率4割を達成した打者はいない |
○ |
韓国プロ野球でシーズン打率4割を達成した打者はいない |
× |
現在、アメリカ・大リーグの30球団すべてに、日本人のプロ野球選手が在籍している |
× |
野球でアルファベット2文字で「DH」と表記されるのは指名打者である |
○ |
野球でアルファベット2文字で「DH」と表記されるのは代打である |
× |
イチローは大リーグでの1年目首位打者のタイトルを獲得した |
○ |
かつて「ブンブン丸」と呼ばれたヤクルトスワローズの選手は池山隆寛である |
○ |
かつて「ブンブン丸」と呼ばれたヤクルトスワローズの選手は広澤克実である |
× |
大リーグで、ワールドシリーズをもっとも多く制しているチームはニューヨーク・ヤンキースである |
○ |
大リーグで、ワールドシリーズをもっとも多く制しているチームはボストン・レッドソックスである |
× |
高校野球の夏の甲子園では前回優勝校は予選を免除される |
× |
北京五輪の女子ソフトボールの決勝で日本が対戦した国はオーストラリアである |
× |
プロ野球で日本シリーズ出場権を争うクライマックスシリーズに進出できるのは、各リーグのシーズン上位3チームである |
○ |
プロ野球で日本シリーズ出場権を争うクライマックスシリーズに進出できるのは、各リーグのシーズン上位4チームである |
× |
プロ野球のセ・リーグは6球団すべてが永久欠番を定めている |
× |
プロ野球のチーム、北海道日本ハムファイターズでは「ハム」にちなんで背番号「86」を永久欠番としている |
× |
五輪の野球で、日本代表は出場したすべての大会でメダルを獲得している |
× |
大リーグのホームランバッターデビッド・オルティズが所属しているチームはレッドソックスである |
○ |
大リーグのホームランバッターデビッド・オルティズが所属しているチームはホワイトソックスである |
× |
大リーグの公式戦ではバッターは金属バットを使用することができる |
× |
東京六大学野球では高校野球と同じように金属バットを使うことができる |
× |
社会人野球の都市対抗野球では金属バットを使用しても良い |
× |
社会人野球の都市対抗野球大会を主催している新聞社は毎日新聞社である |
○ |
ワールドシリーズとはアメリカと日本のプロ野球の優勝チームによる、野球世界一決定戦のことである |
× |
現在アメリカ大リーグの全ての野球チームに日本のプロ野球から移籍した選手がいる |
× |
金田正一に次ぐプロ野球歴代2位の勝ち星を挙げた投手は米田哲也である |
○ |
金田正一に次ぐプロ野球歴代2位の勝ち星を挙げた投手は小山正明である |
× |
日本初のドーム球場は東京ドームである |
○ |
日本初のドーム球場は福岡ドームである |
× |
アメリカの大リーグではスクイズは禁止されている |
× |
大リーガー、松坂大輔の名前の由来となった野球選手は荒木大輔である |
○ |
大リーガー、松坂大輔の名前の由来となった野球選手は山下大輔である |
× |
プロ野球で、通算200勝を達成し名球会入りを果たした投手の中に大学野球出身者は一人もいない |
× |
日本のプロ野球史上首位打者と新人王のタイトルを同時に獲得した選手はいない |
× |
メジャーリーグの開幕戦が日本で開催されたことがある |
○ |
イチローはオリックス時代パ・リーグの新人王を獲得している |
× |
イチローはオリックス時代に日本シリーズで優勝したことがある |
○ |
高校野球の「夏の甲子園」に出場できる高校の数は各都道府県に1校ずつと決められている |
× |
沖縄県の高校が春・夏通じて、甲子園で優勝したことは一度もない |
× |
高校野球の甲子園大会では指名打者制度が採用されている |
× |
都市対抗野球には指名打者制度が採用されている |
○ |
日本プロ野球史上巨人と阪神の両方で監督をした人物はひとりもいない |
× |
日本のプロ野球で9回終了時に同点だった場合はセ・パ両リーグともに無条件で引き分けとなる |
× |
メジャーリーガーが初めて野球に参加した夏季五輪は北京五輪である |
○ |
メジャーリーガーが初めて野球に参加した夏季五輪はアテネ五輪である |
× |
日本のプロ野球で1試合に10打点以上を記録した選手がいる |
○ |
日本のプロ野球で、12球団すべてのチームからセーブを記録した投手がいる |
○ |
「ゴジラ」の愛称で親しまれる日本人メジャーリーガーは松井秀喜である |
○ |
「ゴジラ」の愛称で親しまれる日本人メジャーリーガーは松井稼頭央である |
× |
打撃の三冠タイトルの中でイチローが日本プロ野球在籍時に唯一、獲得できなかったのはホームラン王である |
○ |
打撃の三冠タイトルの中でイチローが日本プロ野球在籍時に唯一、獲得できなかったのは打点王である |
× |
1992年のバルセロナ五輪で初めて正式種目として行われた野球で金メダルを獲得した国はキューバである |
○ |
1992年のバルセロナ五輪で初めて正式種目として行われた野球で金メダルを獲得した国はアメリカである |
× |
日本プロ野球で、満塁本塁打の通算最多記録を持つ選手は、王貞治である |
○ |
日本プロ野球で、満塁本塁打の通算最多記録を持つ選手は、長嶋茂雄である |
× |
プロ野球の「日本生命セ・パ交流戦」では、2005年の開始以来ずっとセ・リーグのチームが優勝している |
× |
2005年に始まったプロ野球の「日本生命セ・パ交流戦」で1位から6位までをセ・リーグのチームで独占したことがある |
× |
2005年に始まったプロ野球の「日本生命セ・パ交流戦」で1位から6位までをパ・リーグのチームで独占したことがある |
○ |
カナダに本拠地を置く唯一の大リーグのチームはトロント・ブルージェイズである |
○ |
カナダに本拠地を置く唯一の大リーグのチームはモントリオール・エクスポズである |
× |
プロ野球の二軍リーグのうち2010年より全試合でDH制度を採用しているのはイースタン・リーグである |
○ |
プロ野球の二軍リーグのうち2010年より全試合でDH制度を採用しているのはウエスタン・リーグである |
× |
日本のプロ野球公式戦のセ・パ交流戦では全試合でDH制が採用される |
× |
プロ野球・中日ドラゴンズの2軍が所属しているのはウエスタンリーグである |
○ |
プロ野球・中日ドラゴンズの2軍が所属しているのはイースタンリーグである |
× |
2010年のプロ野球・オールスターゲームで、ファン投票の得票数が1位だった選手は前田健太である |
○ |
2010年のプロ野球・オールスターゲームで、ファン投票の得票数が1位だった選手は坂本勇人である |
× |
2010年のプロ野球・オールスターゲームで、選手間投票の得票数が1位だった選手は坂本勇人である |
○ |
2010年のプロ野球・オールスターゲームで、選手間投票の得票数が1位だった選手は前田健太である |
× |
日本のプロ野球で1シーズン最多の99勝をあげたチームは南海である |
○ |
日本のプロ野球で1シーズン最多の99勝をあげたチームは巨人である |
× |
巨人で活躍した投手江川卓の出身大学は法政大学である |
○ |
巨人で活躍した投手江川卓の出身大学は明治大学である |
× |
高校野球の全国大会で21世紀枠があるのは春のセンバツである |
○ |
高校野球の全国大会で21世紀枠があるのは夏の甲子園である |
× |
メジャーリーグで、慈善活動を積極的におこなっている選手に与えられる賞はロベルト・クレメンテ賞である |
○ |
メジャーリーグで、慈善活動を積極的におこなっている選手に与えられる賞はジャッキー・ロビンソン賞である |
× |
野球が五輪の正式種目となった1992年のバルセロナ大会以降日本が五輪の野球で金メダルを獲得したことは1度もない |
○ |
元プロ野球選手の元木大介は現役時代、シーズン終了後に規定打席に達していたことは一度もない |
× |
ランディ・バースが活躍した日本のプロ野球球団は広島カープである |
× |
日本プロ野球史上初めてセ・パ両リーグでMVPを獲得した選手は江夏豊である |
○ |
日本プロ野球史上初めてセ・パ両リーグでMVPを獲得した選手は落合博満である |
× |
野球の独立リーグ四国・九州アイランドリーグは指名打者制を採用している |
○ |
野球の独立リーグ四国・九州アイランドリーグはナイターは実施していない |
× |
野球の独立リーグ四国・九州アイランドリーグは延長戦は実施していない |
○ |
野球の独立リーグ四国・九州アイランドリーグは前期、後期の2シーズン制である |
○ |
四国・九州アイランドリーグの野球チームには、プロ野球の経験者は入団できない |
× |
日本で、1度現役を引退した後にドラフト会議で指名された元プロ野球選手がいる |
○ |
プロ野球通算三振数歴代1位の記録を持つ選手は清原和博である |
○ |
プロ野球通算三振数歴代1位の記録を持つ選手は秋山幸二である |
× |
日本のプロ野球で通算三振数が最も多いのは王貞治である |
× |
高校野球の甲子園大会で最多出場記録を持つ龍谷大平安高校は一度も優勝したことがない |
× |
2008年に引退した野茂英雄のプロにおける日米通算勝利数は200勝より多い |
○ |
プロ野球の賞の一つ沢村賞を受賞できるのは投手だけである |
○ |
プロ野球の賞の一つ沢村賞を受賞できるのはセ・リーグの投手だけである |
× |
川崎憲次郎が引退した時に所属していたプロ野球チームは中日ドラゴンズである |
○ |
川崎憲次郎が引退した時に所属していたプロ野球チームはヤクルトスワローズである |
× |
大リーグで史上最年長で完全試合を達成した投手はランディ・ジョンソンである |
○ |
大リーグで史上最年長で完全試合を達成した投手はサイ・ヤングである |
× |
巨人の投手グライシンガーが以前所属していた韓国のチームは起亜タイガースである |
○ |
巨人の投手グライシンガーが以前所属していた韓国のチームは三星ライオンズである |
× |
清原和博はプロ野球のルーキーイヤーとなった1986年にシーズン打率3割を記録した |
○ |
プロ野球の日本シリーズでMVPが2人選ばれたことがある |
○ |
アメリカ大リーグオールスターゲームのファン投票は野手しかおこなわれていない |
○ |
メジャーリーグの球団で永久欠番が最も多いのはもちろんヤンキースである |
○ |
日本のプロ野球チームには女性も入団できる |
○ |
野球の硬式ボールの中にはコルクが入っている |
○ |
2010年5月に刊行され話題となったテリー伊藤の著書は『なぜ日本人は落合博満が嫌いか?』である |
○ |
2010年5月に刊行され話題となったテリー伊藤の著書は『なぜ日本人は野村克也が嫌いか?』である |
× |
野球で打者が空振りした投球が打者の体にぶつかった場合ストライクになる |
○ |
野球で打者が空振りした投球が打者の体にぶつかった場合ボールになる |
× |
大リーグで、その年に最も活躍した打者に贈られる賞はハンク・アーロン賞である |
○ |
大リーグで、その年に最も活躍した打者に贈られる賞はベーブ・ルース賞である |
× |
新圧剛志は大リーグで年間2桁本塁打を一度も打ったことがない |
× |
落合博満が現役を引退した時に所属していたプロ野球チームは日本ハムである |
○ |
落合博満が現役を引退した時に所属していたプロ野球チームは巨人である |
× |
プロ野球投手に贈られる「沢村賞」の副賞は300万円である |
○ |
プロ野球投手に贈られる「沢村賞」の副賞は200万円である |
× |
日本のプロ野球で1試合に10本のヒットを打った選手がいる |
× |
1982年に西武が初めて日本シリーズに出場した時の対戦相手は中日である |
○ |
1982年に西武が初めて日本シリーズに出場した時の対戦相手は広島である |
× |
日本のプロ野球で初めて打撃三冠王となった選手は中島治康である |
○ |
日本のプロ野球で初めて打撃三冠王となった選手は藤村富美男である |
× |
プロ野球で、1シーズン400奪三振以上を記録している唯一の投手は江夏豊である |
○ |
プロ野球で、1シーズン400奪三振以上を記録している唯一の投手は金田正一である |
× |
野球のピッチャープレートはホームベースとセカンドベースのちょうど中間にある |
× |
マック鈴木こと鈴木誠が高校を中退して入団した大リーグのチームはマリナーズである |
○ |
マック鈴木こと鈴木誠が高校を中退して入団した大リーグのチームはロイヤルズである |
× |
メジャーリーグのオールスターゲームで通算勝利数が多いのはナショナル・リーグである |
○ |
メジャーリーグのオールスターゲームで通算勝利数が多いのはアメリカン・リーグである |
× |
日本のプロ野球のオールスターゲームで通算勝利数が多いのはパ・リーグである |
○ |
マリナーズのイチローが日本で所属したプロ野球球団はオリックスである |
○ |
マリナーズのイチローが日本で所属したプロ野球球団はヤクルトである |
× |
長嶋一茂がプロ野球の現役時代最初につけた背番号は、父親の現役時代と同じ3番だった |
○ |
アメリカ・メジャーリーグのワールドシリーズで完全試合が達成されたことがある |
○ |
大リーグのワールドシリーズで完全試合完全試合を達成したピッチャーがいる |
○ |
プロ野球オールスター戦の最年長出場記録をもつ選手は野村克也である |
○ |
プロ野球オールスター戦の最年長出場記録をもつ選手は岩本義行である |
× |
松坂大輔は、過去に出場した日本シリーズで1勝も挙げていない |
× |
松坂大輔は西武ライオンズ在籍時に、シーズンMVPを獲得したことは一度もない |
○ |
松坂大輔は西武ライオンズ時代在籍した全てのシーズンで10勝以上をあげている |
× |
日本のプロ野球で一度もシーズン打率3割を記録せずに通算2000本安打を達成した選手がいる |
○ |
プロ野球のセ・リーグ連盟歌のタイトルは『六つの夢』である |
× |
日本のプロ野球で初めてサイクルヒットを達成したのは藤村富美男である |
○ |
日本のプロ野球で初めてサイクルヒットを達成したのは青田昇である |
× |
アメリカ大リーグにおいて最初に永久欠番となった選手はルー・ゲーリッグである |
○ |
アメリカ大リーグにおいて最初に永久欠番となった選手はベープ・ルースである |
× |
リリーフ投手の藤川球児が所属しているプロ野球チームは阪神タイガースである |
○ |
リリーフ投手の藤川球児が所属しているプロ野球チームは中日ドラゴンズである |
× |
阪神タイガースの投手藤川球児の出身高校は高知商業である |
○ |
阪神タイガースの投手藤川球児の出身高校はPL学園である |
× |
阪神タイガースの投手・藤川球児の現在の背番号は「球児」にちなんだ「92」である |
× |
日本のプロ野球のドラフトは中学生も指名できる |
○ |
日本のプロ野球で用いられている試合球に使われているのは牛の皮である |
○ |
日本のプロ野球で用いられている試合球に使われているのは猫の皮である |
× |
日本のプロ野球で用いられている試合球に使われているのは馬の皮である |
× |
神宮球場を本拠地としているプロ野球チームはヤクルトである |
○ |
神宮球場を本拠地としているプロ野球チームはオリックスである |
× |
東京六大学野球の公式リーグ戦はすべて神宮球場で行われる |
○ |
東京六大学野球リーグで最も優勝回数が多いのは法政大学である |
○ |
東京六大学野球リーグで最も優勝回数が多いのは明治大学である |
× |
プロ野球の日本シリーズで通算本塁打が最も多いのはもちろん王貞治である |
○ |
日本のプロ野球の試合で5打席連続ホームランを打った打者がいる |
× |
プロ野球のマスターズリーグで1シーズンの試合数は1チームあたり16試合である |
× |
日本や韓国のように北朝鮮にもプロ野球がある |
× |
関西学生野球リーグでもっとも優勝回数が多いのは近畿大学である |
○ |
関西学生野球リーグでもっとも優勝回数が多いのは関西大学である |
× |
日本のプロ野球では併殺打で塁上のランナーがホームインした場合は打者に打点はつかない |
○ |
大リーグのレッドソックスでプレーした初の日本人選手は大家友和である |
○ |
大リーグのレッドソックスでプレーした初の日本人選手は松坂大輔である |
× |
セ・パ両リーグから同時に沢村賞投手が選ばれたことはこれまで一度も無い |
× |
2001年、大リーグ・アメリカンリーグのシーズンMVPを獲得した日本人プロ野球選手はイチローである |
○ |
2001年、大リーグ・アメリカンリーグのシーズンMVPを獲得した日本人プロ野球選手は野茂英雄である |
× |
通算犠打のプロ野球記録をもっている選手は川相昌弘である |
○ |
通算犠打のプロ野球記録をもっている選手は平野謙である |
× |
高校野球の「18回引き分け再試合」というルールが誕生するきっかけとなった選手は板東英二である |
○ |
高校野球の「18回引き分け再試合」というルールが誕生するきっかけとなった選手は川上哲治である |
× |
高校野球の甲子園大会で本塁打を通算20本以上打った選手は1人もいない |
○ |
山本浩二が現役時代にプレーしたプロ野球チームは広島カープである |
○ |
山本浩二が現役時代にプレーしたプロ野球チームは中日ドラゴンズである |
× |
長嶋茂雄が巨人の現役時代もっとも多く守ったポジションはサードである |
○ |
長嶋茂雄が巨人の現役時代もっとも多く守ったポジションはセカンドである |
× |
プロ野球パ・リーグで使う公式球の縫い目は綿でできている |
○ |
プロ野球パ・リーグで使う公式球の縫い目は麻でできている |
× |
日本プロ野球で打撃三冠王を達成した外国人選手はバースとブーマーだけである |
○ |
大リーグでシーズン最多本塁打73本の記録をもつ選手はバリー・ボンズである |
○ |
大リーグでシーズン最多本塁打73本の記録をもつ選手はサミー・ソーサである |
× |
ニューヨーク・ヤンキースは1901年の創設当時オリオールズという名前だった |
○ |
日本のプロ野球でセ・パ両リーグのMVPは所属するリーグの選手全員による投票により決定する |
× |
プロ野球の名シーンの1つである1979年の「江夏の21球」。これは日本シリーズでの出来事である |
○ |
プロ野球の名シーンの1つである1979年の「江夏の21球」。これはオールスター一戦での出来事である |
× |
「江夏の21球」で知られる1979年の日本シリーズは広島東洋カープ初の日本一だった |
○ |
野球で、フォークボールとは縦に落ちる変化球である |
○ |
東京都新宿区にある明治神宮野球場が完成したのは大正時代である |
○ |
東京都新宿区にある明治神宮野球場が完成したのは昭和時代である |
× |
日本のプロ野球では1年中いつでもトレードをすることができる |
× |
阪神タイガースの前身大阪タイガース初の契約選手は門前眞佐人である |
○ |
阪神タイガースの前身大阪タイガース初の契約選手は藤村富美男である |
× |
大リーグで史上初めて両リーグでサイ・ヤング賞を受賞した投手はゲイロード・ペリーである |
○ |
大リーグで史上初めて両リーグでサイ・ヤング賞を受賞した投手はスティーブ・カールトンである |
× |
日本プロ野球の歴代200勝投手は全員プロ野球のシーズン最多勝のタイトルを獲得している |
× |
1903年に大リーグ初のワールドシリーズで優勝したチームはボストン・レッドソックスである |
○ |
1903年に大リーグ初のワールドシリーズで優勝したチームはシカゴ・ホワイトソックスである |
× |
東京六大学野球リーグで東京大学が優勝したことがある |
× |
東京六大学野球リーグで東京大学が優勝したことは一度もない |
○ |
ソフトボールの公式ルールでは盗塁は禁止されている |
× |
現在の日本プロ野球のセ・パ12球団の中で四国に本拠地を置くチームは1つもない |
○ |
現在の日本プロ野球のセ・パ12球団の中で、日本一になったことがないチームは1つもない |
× |
大阪万博のテーマソング『世界の国からこんにちは』は春のセンバツ高校野球の入場行進曲になったことがある |
○ |
野球を国技として定めている国がある |
○ |
甲子園で行われることもある高校野球の兵庫大会では甲子園の土は持ち帰ることはできない |
○ |
春の選抜高校野球で同じ都道府県にある高校が決勝戦で戦ったことがある |
○ |
日本初のナイターが行われたのは後楽園球場である |
× |
夏の甲子園の地方予選で東京ドームが会場として使われたことがある |
× |
夏の甲子園の地方予選でナゴヤドームが会場として使われたことがある |
○ |
野球のフォークボールを考案したのは日本人である |
× |
野球の「打率」は安打数を打数で割って求める |
○ |
野球の「打率」は安打数を打席数で割って求める |
× |
大リーグのチームレッドソックスの本拠地球場はフェンウェイ・パークである |
○ |
大リーグのチームレッドソックスの本拠地球場はセーフコ・フィールドである |
× |
王貞治は現役時代日本シリーズMVPを獲得したことは一度もない |
○ |
高校野球の「春のセンバツ」で北海道の高校が優勝したことは一度もない |
○ |
高校野球の「夏の甲子園」で北海道の高校が優勝したことは一度もない |
× |
高校野球で、北海道の高校がいわゆる「甲子園」で優勝したことは春・夏を通じて1度もない |
× |
メジャーリーグで指名打者制度を採用しているのはアメリカンリーグである |
○ |
メジャーリーグで指名打者制度を採用しているのはナショナルリーグである |
× |
西武ライオンズの外野手G.G.佐藤の「G.G」は彼がじじ臭いことに由来している |
○ |
大リーグの松坂大輔にまつわる松坂大輔記念館のある都市は稚内市である |
○ |
大リーグの松坂大輔にまつわる松坂大輔記念館のある都市は横浜市である |
× |
日本のプロ野球経験者は高校野球の監督になることはできない |
× |
プロ野球の公式戦で長嶋茂雄、一茂親子の両方と対戦した投手がいる |
○ |
春のセンバツ高校野球の入場行進曲の曲名は各校の投票で決められる |
× |
日本のプロ野球では1人の打者が1打席で何球ファウルを打ってもアウトにはならない |
○ |
高校野球で、春・夏あわせた甲子園大会での勝ち星がもっとも多い都道府県は大阪府である |
○ |
高校野球で、春・夏あわせた甲子園大会での勝ち星がもっとも多い都道府県は東京都である |
× |
鈍足で有名だった田淵幸一はプロ野球の現役時代に盗塁をひとつもしていない |
× |
鈍足で有名だった田淵幸一はプロ野球の現役時代にランニングホームランを1本も打っていない |
○ |
王貞治はプロ野球でランニングホームランを1本を打ってない |
○ |
大リーグのマリナーズが本拠地を置く都市はシアトルである |
○ |
大リーグのマリナーズが本拠地を置く都市はシカゴである |
× |
春と夏の甲子園での高校野球の全国大会開催中は阪神タイガースは公式戦で甲子園球場を使うことはできない |
○ |
野球でストライクとなるのはホームベース上を通過したボールだけである |
× |
高校野球の開会式でプラカードを持つ女子生徒は2年生だけに限られている |
○ |
高校野球の開会式でプラカードを持つ女子生徒は3年生だけに限られている |
× |
ヨーロッパの国にもプロ野球リーグがある |
○ |
野球でボールを打った打者が最初に目指して走るのは1塁ベースである |
○ |
野球でボールを打った打者が最初に目指して走るのは3塁ベースである |
× |
大リーグで活躍するイチローの出身高校は愛工大名電である |
○ |
大リーグで活躍するイチローの出身高校は東洋大姫路である |
× |
日本のプロ野球で、通算2000本安打などの条件を満たせば外国人選手であっても名球会に入ることができる |
○ |
ベープ・ルースはワールドシリーズで投手として勝ち星を挙げたことがある |
○ |
日本や韓国のプロ野球で実績を残した選手でもメジャーリーグで新人王を獲得することができる |
○ |
「マイク」の愛称で呼ばれた元阪神の仲田幸司は日本人とアメリカ人のハーフである |
○ |
史上最多の通算7度のサイ・ヤング賞を受賞した投手はロジャー・クレメンスである |
○ |
史上最多の通算7度のサイ・ヤング賞を受賞した投手はグレッグ・マダックスである |
× |
大リーグで活躍したノーラン・ライアンはサイ・ヤング賞を1度も受賞したことがない |
○ |
1959年2月28日におこなわれた日本プロ野球初の引退試合は千葉茂の引退を記念したものであった |
○ |
1959年2月28日におこなわれた日本プロ野球初の引退試合は藤村富美男の引退を記念したものであった |
× |
都市対抗野球で最優秀選手に与えられる賞は橋戸賞である |
○ |
都市対抗野球で最優秀選手に与えられる賞は久慈賞である |
× |
プロ野球マスターズリーグには外国人選手は参加できない |
× |
プロ野球で、1492試合連続全イニング出場の世界記録を保持するのは金本知憲である |
○ |
プロ野球で、1492試合連続全イニング出場の世界記録を保持するのは衣笠祥雄である |
× |
プロ野球で、2215試合連続出場の記録を保持するのは衣笠祥雄である |
○ |
プロ野球で、2215試合連続出場の記録を保持するのは金本知憲である |
× |
高校野球の甲子園大会で初めて春夏連覇を達成したのは作新学院である |
○ |
高校野球の甲子園大会で初めて春夏連覇を達成したのは広島商業である |
× |
高校野球の甲子園大会で初めて夏春連覇を達成したのは広島商業である |
○ |
高校野球の甲子園大会で初めて夏春連覇を達成したのは作新学院である |
× |
プロ野球の日本シリーズでは現在、全ての試合でDH制度が採用されている |
× |
7回の攻撃にジェット風船を上げる応援スタイルを始めたのは広島カープの応援団である |
○ |
7回の攻撃にジェット風船を上げる応援スタイルを始めたのは阪神タイガースの応援団である |
× |
韓国プロ野球の第1回韓国シリーズを制したのはOBベアーズである |
○ |
韓国プロ野球の第1回韓国シリーズを制したのは三星ライオンズである |
× |
高校野球の全国大会「夏の大会」には優勝旗だけでなく準優勝旗もある |
× |
日本で初めて野球の「始球式」をした人物は大隈重信である |
○ |
日本で初めて野球の「始球式」をした人物は福沢諭吉である |
× |
かつて阪神タイガースの2軍のチーム名は「阪神ジャガーズ」だった |
○ |
ソフトボールの試合は7イニング制で行われる |
○ |
ソフトボールの試合は9イニング制で行われる |
× |
通算盗塁数400以上の選手でプロ野球通算盗塁成功率歴代1位の選手は広瀬叔功である |
○ |
通算盗塁数400以上の選手でプロ野球通算盗塁成功率歴代1位の選手は福本豊である |
× |
国際野球連盟が2009年の世界最優秀監督に選出したのはWBCを制した原辰徳である |
○ |
3000本安打を達成している張本勲が3000本目に打ったヒットはホームランだった |
○ |
3000本安打を達成している張本勲が3000本目に打ったヒットは内野安打だった |
× |
3000本安打を記録した張本勲はプロ野球で本塁打王と打点王を一度も獲得していない |
○ |
長嶋一茂はプロ野球の現役時代父と同じく読売ジャイアンツのみでプレーした |
× |
アメリカ大リーグではオールスターゲームは年に1試合しかおこなわれない |
○ |
2008年に引退した清原和博が最後に所属したプロ野球チームはオリックス・バファローズである |
○ |
2008年に引退した清原和博が最後に所属したプロ野球チームは読売ジャイアンツである |
× |
甲子園の高校野球大会では春夏を通じて完全試合は一度も達成されていない |
× |
日本野球機構により「通算最多安打の日本プロ野球記録保持者」として公認されている野球選手は張本勲である |
○ |
日本野球機構により「通算最多安打の日本プロ野球記録保持者」として公認されている野球選手はイチローである |
× |
ワールド・ベースボール・クラシックでは、指名打者制度が採用されている |
○ |
ワールド・ベースボール・クラシックでは、予告先発制度が採用されている |
○ |
大リーグの公式戦で打者相手に一球も投げずに勝利投手となったピッチャーがいる |
○ |
日本のプロ野球の公式戦で打者相手に一球も投げずに勝利投手となったピッチャーがいる |
× |
イチローがオリックス時代に1軍で打ったヒットの数は2000本を越えている |
× |
読売ジャイアンツが本拠地としている球場は東京ドームである |
○ |
プロ野球のセ・リーグで捕手として初めてシーズンMVPを受賞した選手は中尾孝義である |
○ |
プロ野球のセ・リーグで捕手として初めてシーズンMVPを受賞した選手は山倉和博である |
× |
戦後、沖縄が本土復帰するまで沖縄の高校は高校野球の大会に参加することができなかった |
× |
日本のプロ野球では本拠地で試合をするチームは1塁側ベンチを使用しなければならないと決められている |
× |
日本のプロ野球のイースタン・リーグとウエスタン・リーグはセ・パ分裂と同時に出来た |
× |
WBC,ワールドベースボールクラシックの優勝トロフィーを製作した有名なブランドはティファニーである |
○ |
WBC,ワールドベースボールクラシックの優勝トロフィーを製作した有名なブランドはルイ・ヴィトンである |
× |
元プロ野球選手の王貞治が現役を引退したのは1980年代のことである |
○ |
日本プロ野球で初めて縦じまのユニフォームを採用したチームは阪神タイガースの前身の大阪タイガーズである |
○ |
佐々木主浩がかつてプレーした大リーグのチームはシアトル・マリナーズである |
○ |
佐々木主浩がかつてプレーした大リーグのチームはシカゴ・ホワイトソックスである |
× |
日本のプロ野球史上両リーグで打点王となった選手は落合博満だけである |
○ |
日本のプロ野球では1人の投手が1試合に許される敬遠四球の回数は3回までと決められている |
× |
大リーグの球場で初めて人工芝が敷かれたのはアストロドームである |
○ |
大リーグの球場で初めて人工芝が敷かれたのはキングドームである |
× |
1950年に国鉄スワローズが発足した当時の国鉄総裁は加賀山之雄である |
○ |
1950年に国鉄スワローズが発足した当時の国鉄総裁は長崎惣之助である |
× |
イチローは高校時代春夏の甲子園大会で一度も勝利していない |
○ |
イチローは高校時代春夏の甲子園大会でヒットを1本も打っていない |
× |
日本プロ野球でFA権を行使して海外の球団へ移籍した初めての選手は吉井理人である |
○ |
日本プロ野球でFA権を行使して海外の球団へ移籍した初めての選手は木田優夫である |
× |
現在の高校野球、夏の甲子園の第1回大会が開催されたのは大正時代である |
○ |
現在の高校野球、夏の甲子園の第1回大会が開催されたのは明治時代である |
× |
日本のプロ野球オールスターゲームMVPの賞金は300万円である |
○ |
日本のプロ野球オールスターゲームMVPの賞金は100万円である |
× |
大リーグのチームセントルイス・カージナルスが本拠地としている球場はブッシュ・スタジアムである |
○ |
大リーグのチームセントルイス・カージナルスが本拠地としている球場はカウフマン・スタジアムである |
× |
日本人として初めて大リーグに所属した野球選手は村上雅則である |
○ |
日本人として初めて大リーグに所属した野球選手は野茂英雄である |
× |
プロ野球で、17試合連続得点の日本記録を保持している読売ジャイアンツの選手は小笠原道大である |
○ |
プロ野球で、17試合連続得点の日本記録を保持している読売ジャイアンツの選手は脇谷亮太である |
× |
2010年に、15試合連続得点のセ・リーグ記録をマークした読売ジャイアンツの選手は脇谷亮太である |
○ |
2010年に、15試合連続得点のセ・リーグ記録をマークした読売ジャイアンツの選手は小笠原道大である |
× |
2009年シーズンをもって引退した立浪和義が保持している記録は「日本プロ野球通算最多二塁打」である |
○ |
2009年シーズンをもって引退した立浪和義が保持している記録は「日本プロ野球通算最多三塁打」である |
× |
日本プロ野球通算最多二塁打の記録を持つ立浪和義のプロ初安打は偶然にも二塁打だった |
○ |
日本のプロ野球で、一人の選手が打者として通算1000安打、投手として100勝を達成しても名球会に入会することはできない |
○ |
日本のプロ野球で1人の選手が打者として1000安打投手として100勝を記録すれば名球会に入会することができる |
× |
2003年から2010年にかけて日本プロ野球記録の「8年連続100打点」を達成した野球選手はアレックス・ラミレスである |
○ |
2003年から2010年にかけて日本プロ野球記録の「8年連続100打点」を達成した野球選手はアレックス・カブレラである |
× |
かつて高校野球の夏の甲子園には敗者復活制度があった |
○ |
かつて高校野球の夏の大会で敗者復活から勝ち上がって優勝した学校が存在する |
○ |
日本のプロ野球で外国人選手として初めてFA権を取得したのは郭泰源である |
○ |
日本のプロ野球で外国人選手として初めてFA権を取得したのは郭源治である |
× |
マリナーズのイチローはオリックス在籍時に二軍でも首位打者のタイトルを獲得している |
○ |
1962年に、120敗というシーズン最多敗戦記録を残した大リーグのチームはニューヨーク・メッツである |
○ |
1962年に、120敗というシーズン最多敗戦記録を残した大リーグのチームはアトランタ・ブレーブスである |
× |
日本プロ野球史上初のホームランはランニングホームランである |
○ |
日本プロ野球史上初のホームランは満塁ホームランである |
× |
大リーグで活躍するイチローはその名前にもかかわらず長男ではなく、次男である |
○ |
現在、メジャーリーグで活躍する野球選手の半数以上はアメリカ合衆国出身である |
× |
1947年に、当時のオーナーの干支にちなんで愛称が決められた日本のプロ野球チームは中日ドラゴンズである |
○ |
1947年に、当時のオーナーの干支にちなんで愛称が決められた日本のプロ野球チームは阪神タイガースである |
× |
ランディ・バースは阪神タイガースでプレーした6年間すべてのシーズンで打率3割を記録した |
× |
高校野球、夏の甲子園で1大会のチームの得点数が100を越えた高校がある |
× |
高校野球、夏の甲子園で1大会のチーム安打数が100本以上を記録した高校がある |
○ |
ヤクルトスワローズが初めてリーグ優勝したときの監督は広岡達朗である |
○ |
ヤクルトスワローズが初めてリーグ優勝したときの監督は関根潤三である |
× |
甲子園球場に併設されている「甲子園歴史館」には、1985年に道頓堀川に投げられたカーネル・サンダース像が展示されている |
× |
「わが巨人軍は永久に不滅です」という名セリフを残した元プロ野球選手は長嶋茂雄である |
○ |
「わが巨人軍は永久に不滅です」という名セリフを残した元プロ野球選手は王貞治である |
× |
日本のプロ野球では押し出しの死球では打者に打点は記録されない |
× |
高校野球の強豪・尽誠学園がある香川県の都市は善通寺市である |
○ |
高校野球の強豪・尽誠学園がある香川県の都市は観音寺市である |
× |
高校野球の強豪として有名な報徳学園高校がある兵庫県の市は神戸市である |
× |
高校野球の強豪として有名な日大三高がある東京都の都市は町田市である |
○ |
高校野球の強豪として有名な日大三高がある東京都の都市は八王子市である |
× |
高校野球の強豪として有名な大阪桐蔭高校がある大阪府の市は大東市である |
○ |
高校野球の強豪として有名な大阪桐蔭高校がある大阪府の市は東大阪市である |
× |
高校野球の強豪として有名な沖縄尚学高校がある沖縄県の市は那覇市である |
○ |
高校野球の強豪として有名な沖縄尚学高校がある沖縄県の市は糸満市である |
× |
高校野球の強豪として有名な沖縄水産高校がある沖縄県の市は糸満市である |
○ |
高校野球の強豪として有名な沖縄水産高校がある沖縄県の市は那覇市である |
× |
沖縄勢として初めて春のセンバツ高校野球に優勝した高校は沖縄尚学高校である |
○ |
沖縄勢として初めて春のセンバツ高校野球に優勝した高校は沖縄水産高校である |
× |
1990年の高校野球、夏の甲子園で沖縄県勢として初の決勝進出を果たしたのは沖縄水産である |
○ |
日本プロ野球の公式戦でプロ初打席から3打席連続本塁打を記録した選手がいる |
× |
日本のプロ野球でシーズン本塁打0で首位打者になった選手がいる |
○ |
2010年に始まった日本女子プロ野球リーグの開幕戦で勝利を収めたチームは兵庫スイングスマイリーズである |
○ |
2010年に始まった日本女子プロ野球リーグの開幕戦で勝利を収めたチームは京都アストドリームスである |
× |
少年野球のリトルリーグでは才能さえあれば幼稚園児でも公式戦に出場することができる |
× |
日本のプロ野球チームに入団することが出来るのは18歳以上の者のみである |
× |
名監督・三原脩が現役時代にプレーしたプロ野球団は巨人である |
○ |
明治時代に使われた野球用語で「文太球」とはホームランのことである |
○ |
明治時代に使われた野球用語で「文太球」とはフォアボールのことである |
× |
ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に大学生が選出されたことがある |
× |
楽天イーグルス以前にも東北地方に本拠地を置いたプロ野球チームがあった |
○ |
アメリカ大リーグで同じ対戦カードを1日で3試合行うトリプルヘッダーが行われたことがある |
○ |
伝説となっている1985年の阪神タイガースの「バックスクリーン3連発」で、最初に本塁打を打ったのはバースである |
○ |
伝説となっている1985年の阪神タイガースの「バックスクリーン3連発」で、最初に本塁打を打ったのは岡田彰布である |
× |
大リーグタイ記録となるレギュラーシーズン116勝を2001年に記録したチームはヤンキースである |
× |
1950年に開催された第1回日本シリーズでMVPを獲得した選手は別当薫である |
○ |
1950年に開催された第1回日本シリーズでMVPを獲得した選手は別所毅彦である |
× |
星野仙一は、監督を務めたプロ野球チームのすべてをリーグ優勝へと導いている |
○ |
日本のプロ野球史上シーズン20連勝を記録したチームはない |
○ |
1903年に初めて行われた野球の早慶戦に勝ったのは慶応義塾大学である |
○ |
1903年に初めて行われた野球の早慶戦に勝ったのは早稲田大学である |
× |
日本のプロ野球は最初は1リーグ制だった |
○ |
韓国プロ野球でシーズン打率4割を達成した打者はいない |
× |
硬式野球のボールに縫い目は108個ある |
○ |
日本や韓国のように中国にもプロ野球がある |
○ |
王貞治がプロ入り後2本足打法で打った本塁打は1本もない |
× |
王貞治がプロ入り後に初めて獲得したタイトルは本塁打王である |
○ |
王貞治がプロ入り後に初めて獲得したタイトルは首位打者である |
× |
日本のプロ野球の新人王は外国人選手であっても獲得することができる |
○ |
イチローは大リーグ移籍後毎年30盗塁以上を記録している |
× |
日本のプロ野球チームが本拠地としている球場のグラウンド部分の面積はすべて同じである |
× |
日本のプロ野球で全チームに勝ち越しながら優勝を逃したチームが過去に存在する |
○ |
元プロ野球選手・王貞治の血液型はO型である |
○ |
日本のプロ野球史上両リーグ本塁打王を記録した選手は落合博満だけである |
× |
福岡ドームは日本初の屋根を開いたり閉じたりすることができるドーム球場である |
○ |
1925年の秋、東京六大学野球リーグに最後に加盟した大学は法政大学である |
× |
プロ野球の正力松太郎賞を外国人で初めて受賞した人物はボビー・バレンタインである |
○ |
プロ野球の正力松太郎賞を外国人で初めて受賞した人物はランディ・バースである |
× |
1965年に誕生した世界初の屋根付き野球場アストロドームは完成当初から人工芝だった |
× |
アメリカ大リーグのチームは全ての州に1チームずつある |
× |
日本女子プロ野球リーグが開幕した2010年シーズンには公式戦でホームランは1本も記録されなかった |
○ |
2010年にスタートした日本女子プロ野球リーグでは金属バットを使用してもよい |
○ |
東京ヤクルトスワローズの2軍の本拠地がある埼玉県の都市は戸田市である |
○ |
東京ヤクルトスワローズの2軍の本拠地がある埼玉県の都市は幸手市である |
× |
清原和博はセ・パ両リーグで1000本以上の安打を記録している |
× |
2010年シーズンにセ・リーグで首位打者のタイトルを獲得したプロ野球選手はマット・マートンである |
× |
2010年シーズンにセ・リーグで最多安打のタイトルを獲得したプロ野球選手はマット・マートンである |
○ |
2010年シーズンにセ・リーグで最多安打のタイトルを獲得したプロ野球選手は青木宣親である |
× |
プロ野球の広島東洋カープから誕生した初の200勝投手は北別府学である |
○ |
プロ野球の広島東洋カープから誕生した初の200勝投手は大野豊である |
× |
高校野球、夏の甲子園でノーヒットにもかかわらず試合に勝利したチームがある |
○ |
高校野球、夏の甲子園で両校ノーヒットにもかかわらず試合が決着したことがある |
× |
日本プロ野球名球会のシンボルマークに描かれている伝説上の動物はペガサスである |
○ |
日本プロ野球名球会のシンボルマークに描かれている伝説上の動物はユニコーンである |
× |
巨人のマスコットキャラクタージャビットの妹の名前はシスタージャビットである |
○ |
2006年に開催された第1回ワールドベースボールクラシックで日本代表の監督を務めたのは長嶋茂雄である |
× |
プロ野球のOB選手が高校生を指導することはできない |
× |
読売ジャイアンツにドラフト1位で指名されたにもかかわらず入団しなかった野球選手がいる |
○ |
ニューヨーク・ヤンキースはアメリカン・リーグの球団である |
○ |
ニューヨーク・ヤンキースはナショナル・リーグの球団である |
× |
日本のプロ野球では2塁から1塁への盗塁もルール上許されている |
× |
日本のプロ野球では、条件さえ満たせば外国人選手であってもフリーエージェント権を取得することができる |
○ |
1949年にセ・リーグが結成された時は全部で8球団あった |
× |
1987年の1シーズンだけヤクルトで活躍したホーナーはその年ホームランを30本以上打っている |
○ |
2004年、球団合併により消滅した大阪近鉄バファローズは日本一になったことが1度もなかった |
○ |
松井秀喜をドラフトで引き当てた巨人の監督は長嶋茂雄である |
○ |
松井秀喜をドラフトで引き当てた巨人の監督は王貞治である |
× |
元読売ジャイアンツの選手長嶋茂雄の現役最後の打席はホームランだった |
× |
日本のプロ野球の公式戦で1試合ですべての守備位置を守った選手がいる |
○ |
日本のプロ野球選手第1号は三原脩である |
○ |
日本のプロ野球選手第1号は水原茂である |
× |
日本で通算三振が最も多いのは王貞治である |
× |
ボビー・バレンタインは日本プロ野球初の外国人監督である |
× |
2005年の日本シリーズで阪神タイガースは1本も本塁打を打ってない |
○ |
巨人を自由契約となった野村貫が2002年に入団した大リーグのチームはエクスポズである |
× |
Jリーグの初代MVPはもちろん三浦知良である |
○ |
1953年、大リーグのチームとして初めて単独来日し、日本で試合をおこなったのはニューヨーク・ジャイアンツである |
○ |
1953年、大リーグのチームとして初めて単独来日し、日本で試合をおこなったのはニューヨーク・ヤンキースである |
× |
王貞治はプロ野球で代打ホームランを1本も打ってない |
× |
1992年のバルセロナ五輪で初めて正式種目となった野球で金メダルを獲得した国はアメリカである |
× |
「ハンカチ王子」の愛称で親しまれた斎藤佑樹は、高校時代甲子園大会で春夏を通じて一度も負け投手になっていない |
× |
高校野球、夏の甲子園で1試合の本塁打5本という史上最多記録を持つ高校は智弁和歌山高校である |
○ |
高校野球、夏の甲子園で1試合の本塁打5本という史上最多記録を持つ高校はPL学園である |
× |
1962年に東映フライヤーズが日本シリーズで優勝した時の監督は水原茂である |
○ |
1962年に東映フライヤーズが日本シリーズで優勝した時の監督は三原脩である |
× |
1960年に大洋ホエールズが前年の最下位から日本一になったときの監督は三原脩である |
○ |
1960年に大洋ホエールズが前年の最下位から日本一になったときの監督は水原茂である |
× |
高校野球の夏の甲子園を初めて連覇したのは和歌山中である |
○ |
高校野球の夏の甲子園を初めて連覇したのは広島商業である |
× |
日本のプロ野球で支配下選手に登録できる外国人選手の数に上限はない |
○ |
大リーグで新人王を獲得した日本人のプロ野球選手がいる |
○ |
日本のプロ野球で、新人王を獲得した外国人選手がいる |
× |
清原和博はプロ野球で1シーズン40本塁打以上を打ったことがある |
× |
中日ドラゴンズはかつて名古屋ドラゴンズという名前だった |
○ |
プロ野球パ・リーグの球団西武ライオンズはかつて西武キャッツという名前だった |
× |
イチローは日本のプロ野球とアメリカ大リーグの両方で1000安打を記録している |
○ |
春のセンバツ高校野球の入場行進曲に、戦時中軍歌が使われたことがある |
○ |
長嶋茂雄はプロ野球入団1年目のシーズンに本塁打30本以上を記録した |
× |
長嶋茂雄はプロ野球を引退した次のシーズンからすぐに読売ジャイアンツの監督に就任した |
○ |
日本プロ野球の沢村賞はサイ・ヤング賞をモデルにして制定された賞である |
× |
「生涯一捕手」を自称した野村克也は捕手以外のポジションで公式戦に出場したことはない |
× |
王貞治と長嶋茂雄がプレーしたプロ野球球団は読売ジャイアンツである |
○ |
王貞治と長嶋茂雄がプレーしたプロ野球球団は中日ドラゴンズである |
× |
日本プロ野球で負け越しながら最多勝のタイトルを獲得した投手がいる |
× |
北海道日本ハムファイターズの応援曲として使用されているのは『無敵ロボ トライダーG7』の主題歌である |
○ |
韓国のプロ野球も日本のプロ野球や大リーグ同様2リーグ制で開催されている |
× |
日本のプロ野球において過去にシーズン100勝を記録したチームがある |
× |
日本のプロ野球において過去にシーズン100敗を記録したチームがある |
○ |
「黒獅子旗」とは都市対抗野球の優勝チームに与えられる旗である |
○ |
「黒獅子旗」とは東京六大学野球リーグの優勝校に与えられる旗である |
× |
松井秀喜は大リーグで新人王を獲得した |
× |
松井秀喜は巨人時代にホームラン王を獲得したことがある |
○ |
松井秀喜はメジャーリーグのレギュラーシーズンで3割を打ったことは一度もない |
× |
メジャーリーガーの松井秀喜はポスティングシステムを利用してニューヨークヤンキースへ移籍した |
× |
プロ野球選手の松井秀喜は巨人からニューヨーク・ヤンキースへ移籍した際にFA制度を利用した |
○ |
プロ野球選手の松井秀喜は巨人からニューヨーク・ヤンキースへ移籍した際にポスティングシステムを利用した |
× |
松井秀喜は、メジャー1年目に本塁打20本以上を記録した |
× |
ワールド・ベースボール・クラシックで、ノーヒットノーランを達成した投手がいる |
× |
野茂英雄はア・リーグとナ・リーグの両リーグでノーヒットノーランを達成している |
○ |
高校野球の甲子園大会でノーヒットノーランを2度達成した投手がいる |
○ |
日本のプロ野球において完全試合を2度達成した選手は一人もいない |
○ |
高校野球の甲子園大会で完全試合を2度達成した投手がいる |
× |
日本のプロ野球で監督としてもっとも多く日本一に輝いているのは川上哲治である |
○ |
日本のプロ野球で監督としてもっとも多く日本一に輝いているのは鶴岡一人である |
× |
日本のプロ野球で監督としてもっとも多くの勝利数を記録しているのは川上哲治である |
× |
現在の日本プロ野球でひとりの投手が1試合で勝利投手とセーブの両方を獲得することは出来ない |
○ |
日本のプロ野球では20点差がつくとコールドゲームで試合終了となる |
× |
元巨人の投手・斎藤雅樹は現役時代に2年連続で20勝を達成している |
○ |
2010年のワールドシリーズを制した大リーグの球団はテキサス・レンジャーズである |
× |
2011年のワールドシリーズを制した大リーグの球団はセントルイス・カージナルスである |
○ |
プロ野球で、セ・パ両リーグでゴールデングラブ賞を受賞した唯一の捕手は城島健司である |
○ |
プロ野球で、セ・パ両リーグでゴールデングラブ賞を受賞した唯一の捕手は野村克也である |
× |
サンフランシスコ・ジャイアンツがワールドシリーズを制したのと同じ年に、読売ジャイアンツが日本シリーズを制したことがある |
× |
2010年のプロ野球・日韓クラブチャンピオンシップを制したのは千葉ロッテマリーンズである |
○ |
2007年に、日本プロ野球で初めてレギュラーシーズンを2位で終えながら日本一となった球団は中日ドラゴンズである |
○ |
2007年に、日本プロ野球で初めてレギュラーシーズンを2位で終えながら日本一となった球団は千葉ロッテマリーンズである |
× |
2010年に、日本プロ野球で初めてレギュラーシーズンを3位で終えながら日本一となった球団は千葉ロッテマリーンズである |
○ |
2010年に、日本プロ野球で初めてレギュラーシーズンを3位で終えながら日本一となった球団は中日ドラゴンズである |
× |
2011年に登場した阪神タイガースのマスコットキャラクター「キー太」はラッキーの弟という設定である |
○ |
2011年に登場した阪神タイガースのマスコットキャラクター「キー太」はトラッキーの弟という設定である |
× |
野球の独立リーグ・BCリーグのアドバイザーを務めている漫画家は水島新司である |
○ |
野球の独立リーグ・BCリーグのアドバイザーを務めている漫画家はあだち充である |
× |
野球で、普通ミットをつけて守備につくポジションはピッチャーとキャッチャーである |
× |
北海道日本ハムファイターズでエースナンバーの「18」を背番号としているピッチャーは斎藤佑樹である |
○ |
北海道日本ハムファイターズでエースナンバーの「18」を背番号としているピッチャーはダルビッシュ有である |
× |
大洋ホエールズなどで活躍した元プロ野球選手の銚子利夫は銚子高校の出身である |
○ |
アメリカ大リーグで初めて両リーグでワールドシリーズ優勝を果たした監督はスパーキー・アンダーソンである |
○ |
アメリカ大リーグで初めて両リーグでワールドシリーズ優勝を果たした監督はコニー・マックである |
× |
日本のプロ野球で1イニングに3本のホームランを打った選手がいる |
× |
「夏の甲子園」における1大会のチーム最多安打・100本の記録を残した高校は智弁和歌山である |
○ |
「夏の甲子園」における1大会のチーム最多安打・100本の記録を残した高校は東海大相模である |
× |
1997年にロッテから巨人に移籍した投手のヒルマンは巨人で1勝もしていない |
○ |
プロ野球選手の森本稀哲が2010年12月の横浜ベイスターズ入団会見において披露したのはラーメンマンのコスプレである |
○ |
プロ野球選手の森本稀哲が2010年12月の横浜ベイスターズ入団会見において披露したのはピッコロ大魔王のコスプレである |
× |
過去に中国のプロ野球チームでプレーした日本人選手がいる |
○ |
イチローが高校時代春夏の甲子園大会で記録した通算打率は3割を超えている |
× |
日本ハムファイターズの初代球団社長を務めた往年の名プロ野球選手は三原脩である |
○ |
日本ハムファイターズの初代球団社長を務めた往年の名プロ野球選手は水原茂である |
× |
智弁学園和歌山高校と奈良の智弁学園高校高校野球の夏の甲子園で対戦したことがある |
○ |
プロ野球において6試合連続完封の日本記録を保持する往年の名投手は藤本英雄である |
○ |
長嶋茂雄は現役時代オールスターMVPを獲得したことは一度もない |
○ |
日本プロ野球の1シーズン最多犠打の記録保持者は宮本慎也である |
○ |
日本プロ野球の1シーズン最多犠打の記録保持者は川相昌弘である |
× |
プロ野球でサヨナラホームランの通算最多記録を持つ選手は清原和博である |
○ |
プロ野球でサヨナラホームランの通算最多記録を持つ選手は野村克也である |
× |
プロ野球で、日米通算での最多セーブ記録・381を保持する日本人は佐々木主浩である |
○ |
プロ野球で、日米通算での最多セーブ記録・381を保持する日本人は高津臣吾である |
× |
巨人のプロ野球選手・谷佳知はオリックス所属時代にリーグ優勝を経験している |
× |
2012年3月に元ヤンキースの井川慶が入団したプロ野球球団はソフトバンクである |
× |
中国人の野球選手がメジャーリーグの球団に所属したことは1度もない |
× |
「春の甲子園」における1大会のチーム最多安打・74本の記録を残した高校は東海大相模である |
○ |
「春の甲子園」における1大会のチーム最多安打・74本の記録を残した高校は智弁和歌山である |
× |
中日ドラゴンズの選手堂上剛裕と堂上直倫は実の兄弟である |
○ |
2012年4月に、ダルビッシュ有が大リーグ初登板初勝利をあげた時の対戦相手はマリナーズである |
○ |
2012年4月に、ダルビッシュ有が大リーグ初登板初勝利をあげた時の対戦相手はエンゼルスである |
× |
2012年10月に先発としての完投なしの連続試合のプロ野球記録を作った投手は西口文也である |
× |
2012年に開催されたプロ野球日本シリーズのMVPはボウカーである |
× |
巨人の投手・菅野智之は原辰徳監督の甥である |
○ |
日本で生まれてさえいれば日本国籍がなくても、野球のWBCの日本代表チームの一員になることは可能である |
○ |
メジャーリーグの30の球団は全て、アメリカ合衆国に本拠地を置いている |
× |
野球で、ピッチャーが投げた球がバッターが避けようとしたにもかかわらず、その体に当たってしまうことを四球という |
× |
大リーグで、ナショナル・リーグの15球団すべてに日本人のプロ野球選手が在籍したことがある |
× |
大リーグで、アメリカン・リーグの14球団すべてに日本人のプロ野球選手が在籍したことがある |
○ |
東京ドームの野球体育博物館にはプロだけでなくアマチュア野球の関連品も展示されている |
○ |
日本プロ野球の歴代コミッショナーの中には女性もいた |
× |
プロ野球の2軍にも新人王のタイトルがある |
× |
2011年の「夏の甲子園」を制した高校は光星学院である |
× |
プロ野球で、統一球が導入された2011年シーズンに両リーグ最多の48本塁打を記録した選手はパの本塁打王・中村剛也である |
○ |
プロ野球で、統一球が導入された2011年シーズンに両リーグ最多の48本塁打を記録した選手はセの本塁打王・バレンティンである |
× |
2011年の第82回都市対抗野球で史上初めて東京都勢の対決となった決勝戦を制したのはJR東日本である |
○ |
2011年の第82回都市対抗野球で史上初めて東京都勢の対決となった決勝戦を制したのはNTT東日本である |
× |
北海道日本ハムファイターズの捕手・大嶋匠は、早稲田大学のソフトボール部出身である |
○ |
北海道日本ハムファイターズの捕手・大嶋匠は、早稲田大学の軟式野球部出身である |
× |
2004年のドラフト会議でドラフト史上最年少となる15歳の辻本賢人を指名したのは阪神タイガースである |
○ |
2011年に話題となった本『采配』の著書である元プロ野球選手は落合博満である |
○ |
2011年に話題となった本『采配』の著書である元プロ野球選手は野村克也である |
× |
プロ野球のパ・リーグで、最優秀投手のタイトルは「シーズン13勝以上を挙げた投手で、防御率が1位の者」に対し与えられる |
× |
東京大学出身のプロ野球第1号、新治伸治投手はプロ入り後、1勝も挙げることができなかった |
× |
プロ野球の日本シリーズにおいて42歳8ヶ月と、史上最年長で勝ち星を挙げた投手は若林忠志である |
○ |
プロ野球の日本シリーズにおいて45歳2ヶ月と、史上最年長で登板した投手は山本昌である |
○ |
プロ野球の日本シリーズにおいて45歳2ヶ月と、史上最年長で登板した投手は若林忠志である |
× |
長嶋茂雄と王貞治のプロ入り初打席の相手投手は共に金田正一だった |
○ |
日本で開催された2012年の大リーグ開幕戦で勝ったのはアスレチックスである |
× |
プロ野球のセ・リーグで読売ジャイアンツは一度も最下位になったことがない |
× |
ヤクルト・スワローズは初の日本一になった翌年セ・リーグで最下位になった |
○ |
阪神タイガースは1985年の日本一の翌年セ・リーグで最下位になった |
× |
2012年4月3日に1273日ぶりに勝利したソフトバンクの投手は新垣渚である |
○ |
2012年4月3日に1273日ぶりに勝利したソフトバンクの投手は斉藤和巳である |
× |
野球の試合で、投手が白いグローブを使用することはルール違反である |
○ |
プロ野球、セ・リーグの初代優勝チームは松竹ロビンスである |
○ |
プロ野球、セ・リーグの初代優勝チームは西日本パイレーツである |
× |
2012年に山本昌に抜かれるまで中日ドラゴンズにおける最多勝利の記録を保持していたピッチャーは星野仙一である |
× |
2011年に首都大学野球の通算最多完封記録を更新した投手は東浜巨である |
× |
現在、斎藤隆が所属している大リーグの野球チームはダイヤモンドバックスである |
○ |
2012年シーズンのプロ野球のセ・パ交流戦で、セ・リーグの球団として初めて優勝したのは読売ジャイアンツである |
○ |
元プロ野球選手の工藤公康が現役時代、最後に所属したチームは西武ライオンズである |
○ |
元プロ野球選手の工藤公康が現役時代、最後に所属したチームは横浜ベイスターズである |
× |
2012年7月に福留孝介がマイナー契約を結んだ大リーグの球団はアスレチックスである |
× |
2001年から2008年まで開催されたプロ野球、マスターズリーグの最優秀投手に与えられた賞は「稲尾賞」である |
× |
日本のプロ野球史上国リーグで盗塁王になった選手はひとりもいない |
× |
日本のプロ野球史上セ・パ両リーグで最多勝を獲得した投手は1人もいない |
○ |
2013年1月より東京大学野球部の特別コーチを務めている元プロ野球選手は清原和博である |
× |
日本プロ野球で無敗のシーズン最多勝となった投手は田中将大が初めてである |
○ |
2014年1月に田中将大が入団したアメリカ大リーグのチームはレッドソックスである |
× |
日本の女子プロ野球は9イニング制で行われている |
× |
2013年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック準決勝で、日本代表を破ったのはプエルトリコ代表である |
○ |
2013年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック準決勝で、日本代表を破ったのはドミニカ共和国代表である |
× |
2014年5月に東都大学野球で戦後初のリーグ6連覇を達成した大学は駒澤大学である |
× |
日本人大リーガーの田中将大、ダルビッシュ有はいずれもピッチャーである |
○ |
野球で「サウスポー投手」とは、左投げの投手のことである |
○ |
野球で「サウスポー投手」とは、下手投げの投手のことである |
× |
松井秀喜の通算安打数は日本プロ野球での合計よりも大リーグでの合計の方が多い |
× |
イチローが大リーグ記録のシーズン282安打を達成した時に所属していたチームはニューヨーク・ヤンキースである |
× |
2012年7月にイチローが入団した大リーグのチームはヤンキースである |
○ |
2012年のプロ野球で本塁打王を獲得した選手はセ・パ両リーグとも本塁打30本未満だった |
× |
プロ野球において、64回1/3連続無失点の日本記録を保持する往年の名投手は金田正一である |
○ |
プロ野球において、64回1/3連続無失点の日本記録を保持する往年の名投手は藤本英雄である |
× |
2012年8月に高橋尚成が移籍したアメリカ大リーグの球団はパイレーツである |
○ |
2012年11月に元大リーガー西岡剛が入団した球団は中日ドラゴンズである |
× |
タレント・里田まいを妻にもつプロ野球選手は田中将大である |
○ |
東北楽天ゴールデンイーグルスで適時打を打った選手が行っているパフォーマンスは「BURN!」である |
○ |
2015年11月に前シカゴ・カブスの和田毅が入団したプロ野球チームはソフトバンクである |
○ |
2015年11月に前シカゴ・カブスの和田毅が入団したプロ野球チームはオリックスである |
× |
プロ野球の育成選手の背番号は必ず3桁と決められている |
○ |
デトロイト・タイガースがワールドシリーズを制したのと同じ年に、阪神タイガースが日本シリーズを制したことがある |
× |
2014年の甲子園春のセンバツ高校野球の入場行進曲は『恋するフォーチュンクッキー』である |
○ |
2014年にプロ野球パ・リーグでリーグ優勝したチームはオリックス・バファローズである |
× |
フォークとスプーン野球で、ピッチャーの変化球の種類にあるのはフォークの方である |
○ |
2013年8月に月間最多本塁打のプロ野球新記録を更新した選手はバレンティンである |
○ |
2013年8月に月間最多本塁打のプロ野球新記録を更新した選手はブランコである |
× |
プロ野球のオールスターゲームの対戦カードは東軍対西軍である |
× |
プロ野球・オリックスのチーム名は「ライオンズ」である |
× |
日本プロ野球と大リーグでイチローが多く安打を打っているのは日本プロ野球の方である |
× |
阪神タイガースに所属する選手・一二三慎太の背番号は苗字にちなんだ「123」である |
× |
2013年7月28日に松井秀喜の引退式を行ったのは、大リーグで最後に所属した球団であるタンパベイ・レイズである |
× |
2015年に、国際野球連盟が主催する大会「プレミア12」の第1回大会が開催される国はアメリカである |
× |
2012年に、18歳以下の世界野球選手権大会が開催された国は韓国である |
○ |
プロ野球選手、イチローのポジションはキャッチャーである |
× |
プロ野球で、リーグ戦終了後日本シリーズへの進出チームを決めるシリーズのことをクライマックスシリーズという |
○ |
九州に本拠地をおくプロ野球チームは存在しない |
× |
オールスターゲームをのぞく日本プロ野球のシーズン公式戦で9連続奪三振を達成した投手は一人もいない |
× |
プロ野球の監督のユニフォームには背番号はついていない |
× |
2016年の春のセンバツ高校野球で優勝した高校は智辯学園である |
○ |
2016年の春のセンバツ高校野球で優勝した高校は高松商業である |
× |
阪神タイガースでプレーする横田慎太郎は、元ロッテの横田真之の息子である |
○ |
2016年の全日本クラブ野球選手権大会で初優勝したビッグ開発ベースボールクラブは沖縄のチームである |
○ |
2016年の全日本クラブ野球選手権大会で初優勝したビッグ開発ベースボールクラブは北海道のチームである |
× |
日本のプロ野球史上通算完封勝利100勝以上を記録した投手はいない |
○ |
日本の公式な野球の試合では、一、三塁線上を通過するゴロの打球は、ベース上のどこか一点を通過すればフェアとなる |
○ |
1974年の高校野球、夏の甲子園で優勝した銚子商業の打線につけられた愛称は渦潮打線である |
× |
プロ野球の日本シリーズで敗れたチームからMVPが選出されたことがある |
× |
現在の夏の甲子園にあたる全国中等学校優勝野球大会の第1回大会が開催された時甲子園球場はまだ未完成だった |
○ |
2016年シーズン限りで引退した大リーグ・レッドソックスのオルティズが、同年に獲得したタイトルは打点王である |
○ |
2016年シーズン限りで引退した大リーグ・レッドソックスのオルティズが、同年に獲得したタイトルは本塁打王である |
× |
大リーグで過去に日本人選手が在籍したことのない唯一の球団はシンシナティ・レッズである |
○ |
大リーグで過去に日本人選手が在籍したことのない唯一の球団はミルウォーキー・ブルワーズである |
× |
大阪府富田林市の「市立総合スポーツ公園野球場」の愛称は富田林タイガーススタジアムである |
× |
2014年5月に引退した東京ヤクルトスワローズの公式マスコットはつば九郎である |
× |
高校野球の甲子園大会の優勝校を最も多く輩出している都道府県は兵庫県である |
○ |
高校野球の甲子園大会の優勝校を最も多く輩出している都道府県は大阪府である |
× |
プロ野球選手を最も多く輩出している国立大学は東京大学である |
× |
横浜DeNAベイスターズの応援歌『勇者の遺伝子』の作曲者は布袋寅泰である |
○ |
WBC、ワールドベースボールクラシックの優勝トロフィーを製作した有名なブランドはルイ・ヴィトンである |
× |
大リーグのベーブ・ルース賞はワールドシリーズで活躍をした選手に贈られる賞である |
○ |
大リーグのベーブ・ルース賞はオールスターゲームで活躍をした選手に贈られる賞である |
× |
日本のプロ野球ではファウルフライの落球によるエラーが起こった場合完全試合は不成立となる |
× |
東京大学出身のプロ野球選手第1号・新治伸治投手はプロ入り後、1勝も挙げることができなかった |
× |
プロ野球の日本シリーズが9月に開催されたことがある |
× |
2003年に離島の高校として初めて春のセンバツ高校野球に出場した高校があった島は隠岐島である |
○ |
2003年に離島の高校として初めて春のセンバツ高校野球に出場した高校があった島は佐渡島である |
× |
かつて存在したプロ野球チーム・サンケイアトムズのユニフォームには鉄腕アトムが描かれていた |
○ |
第3回ワールド・ベースボール・クラシックでは、セ・パ12球団全てから日本代表の選手が選出された |
× |
日本のプロ野球に現在、現存する12球団はすべて日本シリーズで優勝したことがある |
○ |
2012年に、プロ野球のマスコットキャラクターで初めてFA宣言をしたのは東京ヤクルトスワローズの「つば九郎」である |
○ |
2013年シーズンの大リーグでダルビッシュ有が獲得したタイトルは最多奪三振である |
○ |
2016年のプロ野球・オールスターゲームのファン投票で、両リーグ最多の52万1685票を集めた選手は柳田悠岐である |
○ |
2年に一度開催される女子野球のワールドカップにおいて、最多優勝を誇る国はアメリカである |
× |
2016年に行われた女子野球のワールドカップで優勝し5連覇を達成した国は日本である |
○ |
2016年に行われた女子野球のワールドカップで優勝し5連覇を達成した国はアメリカである |
× |
2016年8月のロッキーズ戦でマーリンズのイチローが記録した大リーグ通算3000本目の安打は三塁打だった |
○ |
2016年8月のロッキーズ戦でマーリンズのイチローが記録した大リーグ通算3000本目の安打は本塁打だった |
× |
2016年9月6日のフィリーズ戦で大リーグ・マーリンズのイチローが、日米を通じて初めて達成したのはホームスチールである |
× |
2016年に2日連続でノーヒットノーランが達成されるという快記録が誕生したのは都市対抗野球大会である |
× |
2016年8月に休養を表明した谷繁元信前監督に代わってプロ野球・中日の監督代行に就任したのは森祇晶である |
× |
高校野球の強豪校として知られる日大三、早稲田実業があるのは東京都である |
○ |
プロ野球の第1回日本シリーズで優勝したチームは毎日オリオンズである |
○ |
プロ野球の第1回日本シリーズで優勝したチームは大毎オリオンズである |
× |
プロ野球・DeNAの本拠地である横浜スタジアムは屋根のついたドーム球場である |
× |
プロ野球のタイトル・ベストナインの投手部門に選ばれるためには、規定投球回数をクリアしなければならない |
× |
2015年のプロ野球日本シリーズで優勝したのはソフトバンクである |
○ |
2016年に日本プロ野球の沢村賞を外国人投手として52年ぶりに受賞したのは広島のジョンソンである |
○ |
プロ野球で、ソフトバンクの本拠地があるのは福岡である |
○ |
楽天イーグルスのプロ野球選手鉄平の苗字は土谷である |
○ |
楽天イーグルスのプロ野球選手鉄平の苗字は古谷である |
× |
2009年にパリーグの首位打者となったプロ野球選手鉄平の苗字は古谷である |
× |
ワールド・ベースボール・クラシックでは、3位決定戦は行われない |
○ |
アメリカ大リーグで、アメリカンリーグとナショナル・リーグのチーム数は同じである |
○ |
|
|
|
|
|
|
サッカー |
|
2016年のU-17女子サッカーW杯で優勝した国は北朝鮮である |
○ |
2016-2017年のサッカー・欧州チャンピオンズリーグで、76秒で2得点という大会最速での連続得点を決めたのは岡崎慎司である |
× |
2011-2012シーズン、スペインリーガエスパニューラの得点王はクリスティアーノ・ロナウドである |
× |
Jリーグにおいて直接フリーキックで記録した得点が最も多い選手は遠藤保仁である |
○ |
2012年のサッカー欧州選手権で優勝した国はスペインである |
○ |
2012年のサッカー欧州選手権で優勝した国はイタリアである |
× |
2012年のサッカー欧州選手権で最優秀選手に選ばれたスペインの選手はイニエスタである |
○ |
2012年ロンドン五輪サッカー男子日本代表のキャプテンは吉田麻也である |
○ |
2012年ロンドン五輪サッカー男子日本代表のキャプテンは権田修一である |
× |
2011年2月に開催された富士ゼロックススーパーカップで勝利を収めたJリーグのクラブは名古屋グランパスである |
○ |
2011年2月に開催された富士ゼロックススーパーカップで勝利を収めたJリーグのクラブは鹿島アントラーズである |
× |
2012年2月に開催された富士ゼロックススーパーカップで勝利を収めたJリーグのクラブは柏レイソルである |
○ |
2012年2月に開催された富士ゼロックススーパーカップで勝利を収めたJリーグのクラブはFC東京である |
× |
2011年4月、サッカーUEFAチャンピオンズリーグ初の日本人対決となった試合で勝ったのは内田篤人が所属のシャルケである |
○ |
2011年4月、サッカーUEFAチャンピオンズリーグ初の日本人対決となった試合で勝ったのは長友佑都が所属のインテルである |
× |
2011年より鹿島アントラーズに所属するサッカー選手・イゴールの父親は、かつてアントラーズで活躍したアルシンドである |
○ |
2011年より鹿島アントラーズに所属するサッカー選手・イゴールの父親は、かつてアントラーズで活躍したジーコである |
× |
2011-11シーズンにイングランドプレミアリーグを制したサッカークラブはマンチェスター・ユナイテッドである |
○ |
2011-11シーズンにイングランドプレミアリーグを制したサッカークラブはマンチェスター・シティである |
× |
日本サッカー協会の女子サッカーPRキャラクター「楓ちゃん」をデザインした漫画家は高橋陽一である |
○ |
日本サッカー協会の女子サッカーPRキャラクター「楓ちゃん」をデザインした漫画家は堀内夏子である |
× |
2010-11シーズンのサッカー・UEFAヨーロッパリーグを制したポルトガルのクラブはポルトである |
○ |
オランダのクラブ・ユトレヒトへの移籍が決まった、元プロ野球選手・高木豊を父に持つサッカー選手は高木善朗である |
○ |
オランダのクラブ・ユトレヒトへの移籍が決まった、元プロ野球選手・高木豊を父に持つサッカー選手は高木俊幸である |
× |
2011年8月に開催されたサッカーの「欧州スーパー杯」を制したのは2010-11の欧州リーグの覇者・ポルトである |
× |
2011年度のサッカー・天皇杯より優勝チームに天皇杯と共に授与されることになったのはFAシルバーカップである |
○ |
2011年度のサッカー・天皇杯より優勝チームに天皇杯と共に授与されることになったのはFAゴールドカップである |
× |
2011年のアジアチャンピオンズリーグを制したサッカークラブはカタールのアル・サッドである |
○ |
2011年に、俳優・城田優が世界初の名誉ファンに選ばれたスペインのサッカークラブはFCバルセロナである |
○ |
元フランス代表のサッカー選手ジネディーヌ・ジダンがかつてプレイしたイタリアのクラブはユベントスである |
○ |
元フランス代表のサッカー選手ジネディーヌ・ジダンがかつてプレイしたイタリアのクラブはACミランである |
× |
イ・チョンス、チョ・ジェジンパク・チソンといえば韓国のサッカー選手である |
○ |
イ・チョンス、チョ・ジェジンパク・チソンといえば中国のサッカー選手である |
× |
サッカーW杯で過去に得点王を獲得した日本人選手はいない |
○ |
五輪の男子サッカーで過去に得点王を獲得した日本人選手はいない |
× |
サッカーW杯で、アフリカの国で初めてベスト8に入ったのはカメルーンである |
○ |
サッカーW杯で、アフリカの国で初めてベスト8に入ったのはナイジェリアである |
× |
アフリカの国で初めてサッカーW杯において決勝トーナメントに進出した国はチュニジアである |
× |
アフリカの国で初めてサッカーW杯において勝利を収めたのはチュニジアである |
○ |
アフリカの国で初めてサッカーW杯において勝利を収めたのはカメルーンである |
× |
サッカーの公式ルールでPKが正式に導入されたのは20世紀に入ってからである |
× |
2002年の日韓W杯でサッカー日本代表の最初のゴールを決めた選手は鈴木降行である |
○ |
2002年の日韓W杯でサッカー日本代表の最初のゴールを決めた選手は稲本潤一である |
× |
フランス代表が見せる華麗なサッカーのことをシャンパンサッカーという |
○ |
フランス代表が見せる華麗なサッカーのことをワインサッカーという |
× |
アルゼンチンのマラドーナは出場したすべてのサッカーW杯で背番号「10」をつけた |
○ |
1990年イタリアW杯の得点王となったイタリアのサッカー選手はスキラッチである |
○ |
1990年イタリアW杯の得点王となったイタリアのサッカー選手はバッジョである |
× |
サッカーW杯で開催国が初戦で負けたことはこれまで1度もない |
○ |
JリーグでGKとして初めて得点した選手は田北雄気である |
○ |
JリーグでGKとして初めて得点した選手は松永成立である |
× |
サッカーW杯メキシコ大会でマラドーナが伝説の5人抜きを決めたときの相手チームはイングランドである |
○ |
サッカーW杯メキシコ大会でマラドーナが伝説の5人抜きを決めたときの相手チームはイタリアである |
× |
JリーグJ1における直接フリーキックでの最多得点記録をもつ選手は三浦淳宏である |
○ |
JリーグJ1における直接フリーキックでの最多得点記録をもつ選手は三浦知良である |
× |
1993年にJリーグがスタートした時のチーム数は10チームである |
○ |
1993年にJリーグがスタートした時のチーム数は8チームである |
× |
フランスのサッカークラブマルセイユのホームスタジアムはヴェロドロームである |
○ |
フランスのサッカークラブマルセイユのホームスタジアムはパルク・デ・プランスである |
× |
欧州最優秀サッカー選手バロンドールを受賞したゴールキーパーはひとりもいない |
× |
Jリーグの新人王が2年連続同じチームから選出されたことは一度もない |
○ |
ヨーロッパサッカーの大会チャンピオンズリーグは欧州各国の優勝チームしか出場できない |
× |
フットサルの試合ではフィールドプレーヤーのスライディングタックルは禁止されている |
○ |
北アイルランドがサッカーのW杯に出場したことは一度もない |
× |
広島にあるJリーグのチームはサンフレッチェである |
○ |
Jリーグで、今までにJ2に降格したクラブは、すべて1年以内にJ1に復帰している |
× |
ペレ、ジーコといえばブラジルの元サッカー選手である |
○ |
ペレ、ジーコといえばイタリアの元サッカー選手である |
× |
1982年にサッカーのW杯を開催した国はスペインである |
○ |
1982年にサッカーのW杯を開催した国はメキシコである |
× |
1986年にサッカーのW杯を開催した国はメキシコである |
○ |
1986年にサッカーのW杯を開催した国はスペインである |
× |
2009年12月に開催されたクラブワールドカップを制したサッカークラブは南米代表のエストゥディアンテスである |
× |
2010年のJリーグ・J1には本州以外にホームタウンを置くサッカークラブは1つも存在しない |
○ |
2006年のサッカーW杯は過去のW杯優勝経験国がすべて出場していた |
× |
南アフリカW杯・欧州予選7組でフランスなどを抑え1位を確定させ、本大会出場を決めた国はモンテネグロである |
× |
2010年の元日に行われたサッカー・天皇杯の決勝戦で勝利を収め、優勝したクラブはガンバ大阪である |
○ |
2010年の元日に行われたサッカー・天皇杯の決勝戦で勝利を収め、優勝したクラブは名古屋グランパスである |
× |
イングランドのチェルシーで活躍するサッカー選手ディディエ・ドログバの国籍はコートジボワールである |
○ |
イングランドのチェルシーで活躍するサッカー選手ディディエ・ドログバの国籍はガーナである |
× |
イングランドのチェルシーで活躍するサッカー選手ディディエ・ドログバの国籍はカメルーンである |
× |
元サッカー日本代表の原博実が、現役時代に所属していたチームは三菱である |
○ |
元サッカー日本代表の原博実が、現役時代に所属していたチームは古河電工である |
× |
ブラジルのサッカー選手ペレは現役時代に出場したW杯で全て優勝している |
× |
中田英寿はペルージャ在籍時セリエAのリーグデビュー戦でいきなり得点を記録した |
○ |
中田英寿はペルージャ在籍時セリエAのリーグデビュー戦でいきなりハットトリックを決めた |
× |
元日本代表のMF中田英寿はJリーグの年間MVPに1度も選ばれたことがない |
○ |
1982年スペインW杯で決勝戦の会場になったのはサンチャゴ・ベルナベウである |
○ |
1982年スペインW杯で決勝戦の会場になったのはカンプ・ノウである |
× |
中田英寿が最初に所属したイタリア、セリエAのサッカークラブはペルージャである |
○ |
中田英寿が最初に所属したイタリア、セリエAのサッカークラブはボローニャである |
× |
中田英寿がセリエAのデビュー戦で2ゴールを決めた相手チームはユベントスである |
○ |
中田英寿がセリエAのデビュー戦で2ゴールを決めた相手チームはACミランである |
× |
田中マルクス闘莉王が最初に所属したJリーグのクラブはサンフレッチェ広島である |
○ |
田中マルクス闘莉王が最初に所属したJリーグのクラブは水戸ホーリーホックである |
× |
Jリーグが始まった当初引き分けはなかった |
○ |
フットサルにオフサイドはない |
○ |
ヨーロッパで開催されたサッカーW杯の大会は全てヨーロッパの国が優勝している |
× |
Jリーグの試合は必ず土曜日に開催される |
× |
高校生でJリーガーとなった史上初の選手は山口智である |
○ |
高校生でJリーガーとなった史上初の選手は稲本潤一である |
× |
サッカーW杯の最年少得点記録をもっている選手はもちろんペレである |
○ |
日本のJリーグはアジア初のプロサッカーリーグである |
× |
Jリーグ、名古屋グランパスのホームスタジアムの名前は瑞穂陸上競技場である |
○ |
2004年のサッカー南米選手権優勝国はアルゼンチンである |
× |
ドイツのサッカークラブベルダー・ブレーメンの監督はラルフ・ラングニックである |
× |
川崎フロンターレのマスコット「ふろん太」のモチーフとなっている動物はイルカである |
○ |
川崎フロンターレのマスコット「ふろん太」のモチーフとなっている動物はクジラである |
× |
男子サッカーのW杯でアメリカ代表が本大会の決勝トーナメントに進出したことがある |
○ |
埼玉県にあるJリーグのサッカークラブの数は2つである |
○ |
埼玉県にあるJリーグのサッカークラブの数は3つである |
× |
「ドーハの悲劇」と呼ばれるサッカーの試合で日本代表が戦った相手はイラクである |
○ |
「ドーハの悲劇」と呼ばれるサッカーの試合で日本代表が戦った相手はイランである |
× |
1993年の「ドーハの悲劇」と2002年の日韓W杯の両方を経験した日本のサッカー選手はひとりもいない |
× |
Jリーグの開幕と「ドーハの悲劇」は同じ年の出来事である |
○ |
サッカーの試合ではゴールキーパーはペナルティエリアから一歩も出てはならない |
× |
サッカーの試合でゴールキーパーは帽子をかぶってはいけない |
× |
サッカーのゴールキーパーはフィールド内であればどこでも手を使っていい |
× |
日本サッカー協会の略称は「JFA」である |
○ |
日本サッカー協会の略称は「JCA」である |
× |
中田英寿がプレーしたJリーグのクラブはベルマーレ平塚である |
○ |
中田英寿がプレーしたJリーグのクラブは横浜フリューゲルスである |
× |
サッカー日本代表の釜本邦茂が得点王に輝いた五輪はメキシコ五輪である |
○ |
サッカー日本代表の釜本邦茂が得点王に輝いた五輪は東京五輪である |
× |
元サッカー日本代表の釜本邦茂が現役時代に所属していたクラブはヤンマーである |
○ |
元サッカー日本代表の釜本邦茂が現役時代に所属していたクラブはヤマハである |
× |
サッカーW杯の決勝戦でPK戦で決着をつけたことは過去に一度もない |
× |
ヘディングを得意とするFW巻誠一郎のJリーグ初ゴールはもちろんヘディングだった |
○ |
フリーキックが得意な中村俊輔プロ入り初ゴールはもちろんフリーキックだった |
○ |
2007年のサッカーアジアカップで優勝した国はイラクである |
○ |
2007年のサッカーアジアカップで優勝した国はイランである |
× |
2006年のサッカーW杯の決勝トーナメント準々決勝でブラジルを倒した国はフランスである |
○ |
2006年のサッカーW杯の決勝トーナメント準々決勝でブラジルを倒した国はイタリアである |
× |
1993年に始まった日本のプロサッカーリーグの名称はKリーグである |
× |
サッカーのゼロックススーパーカップを、2009年・2010年と2年連続で制したクラブは鹿島アントラーズである |
○ |
サッカーのゼロックススーパーカップを、2009年・2010年と2年連続で制したクラブはガンバ大阪である |
× |
サッカーの第1回W杯ではオフサイドのルールはまだ存在してなかった |
× |
ボカ・ジュニアーズリバープレートといえばアルゼンチンのサッカークラブである |
○ |
ボカ・ジュニアーズリバープレートといえばブラジルのサッカークラブである |
× |
2002年の日韓W杯でサッカー日本代表が初戦で戦った相手はベルギーである |
○ |
2002年の日韓W杯でサッカー日本代表が初戦で戦った相手はロシアである |
× |
フラメンゴ、サントスといえばブラジルのサッカークラブである |
○ |
フラメンゴ、サントスといえばイタリアのサッカークラブである |
× |
サッカーJリーグの現在のチェアマンは川淵三郎である |
× |
Jリーグ、FC東京のホームスタジアムは味の素スタジアムである |
○ |
Jリーグ、FC東京のホームスタジアムは永谷園スタジアムである |
× |
1992年に行われたサッカーナビスコカップの初代王者はヴェルディ川崎である |
○ |
1992年に行われたサッカーナビスコカップの初代王者は清水エスパルスである |
× |
2009年のJリーグ・ナビスコカップで優勝したクラブはFC東京である |
○ |
2009年のJリーグ・ナビスコカップで優勝したクラブは川崎フロンターレである |
× |
国際試合で使われるサッカーのボールはすべて牛の皮で作られている |
× |
サッカーで1試合に3点決めることをハットトリックという |
○ |
サッカーで1試合に3点決めることをグランドスラムという |
× |
フランスのアーセン・ベンゲルが1996年から監督を務めているイングランドのサッカークラブはアーセナルである |
○ |
フランスのアーセン・ベンゲルが1996年から監督を務めているイングランドのサッカークラブはリバプールである |
× |
住友金属に加入した時ジーコはすでに40歳を超えていた |
× |
2010年に、Jリーグ・J1で3885日ぶりという最長ブランク勝利を記録したクラブは湘南ベルマーレである |
○ |
2010年に、Jリーグ・J1で3885日ぶりという最長ブランク勝利を記録したクラブはベガルタ仙台である |
× |
サッカークラブ・FC琉球の公認マスコットキャラクターモデルとなった沖縄県の元ボクサーは具志堅用高である |
○ |
サッカークラブ・FC琉球の公認マスコットキャラクターモデルとなった沖縄県の元ボクサーは渡嘉敷勝男である |
× |
サッカーの試合でGKがレッドカードで退場した場合その後はGKなしで試合を続けなければならない |
× |
2002年サッカーW杯日韓大会の決勝が行われた都市は横浜である |
○ |
2002年サッカーW杯日韓大会の決勝が行われた都市はソウルである |
× |
サッカーのヨーロッパ選手権第1回の優勝国はソ連である |
○ |
サッカーのヨーロッパ選手権第1回の優勝国は西ドイツである |
× |
「キニエラ」というサッカーくじが売られている国はスペインである |
○ |
「キニエラ」というサッカーくじが売られている国はイタリアである |
× |
サッカーの試合ではペナルティエリアの外からシュートを打ってはいけない |
× |
オーストラリア代表は2006年W杯がW杯初出場だった |
× |
イングランドのプレミアリーグにおける連続試合出場記録をもっているサッカー選手はフリーデルである |
○ |
イングランドのプレミアリーグにおける連続試合出場記録をもっているサッカー選手はシアラーである |
× |
イングランドのプレミアリーグにおける連続試合出場記録をもっているサッカー選手はランパードである |
× |
カズこと三浦知良選手はセリエAのジェノア在籍時にリーグ戦で1点も取っていない |
× |
カズこと三浦知良はJリーグの得点王を一度も獲得したことがない |
× |
南米のサッカークラブ王者を決めるリベルタドーレス杯に初めて出場した日本人選手は廣山望である |
○ |
南米のサッカークラブ王者を決めるリベルタドーレス杯に初めて出場した日本人選手は福田健二である |
× |
リーグJ2のリーグ戦で最下位となったチームはJFLに降格する |
× |
川崎製鉄サッカー部を前進とするJリーグのサッカークラブはヴィッセル神戸である |
○ |
川崎製鉄サッカー部を前進とするJリーグのサッカークラブは川崎フロンターレである |
× |
サッカーW杯・南アフリカ大会の開会式で、開会宣言をしたのは現在の南アフリカ共和国大統領ジェイコブ・ズマである |
○ |
サッカーW杯・南アフリカ大会の開会式で、開会宣言をしたのは南アフリカ共和国初の黒人大統領ネルソン・マンデラである |
× |
Jリーグでは背番号「1」はGK以外つけてはならない |
○ |
サッカーの天皇杯の決勝が行われるのは1月1日である |
○ |
サッカーの天皇杯の決勝が行われるのはクリスマスである |
× |
1990年にブラジルの初代スポーツ庁長官に就任したサッカー選手はジーコである |
○ |
1990年にブラジルの初代スポーツ庁長官に就任したサッカー選手はペレである |
× |
ACミラン、インテルユベントスといえばイタリアのサッカークラブである |
○ |
ACミラン、インテルユベントスといえばスペインのサッカークラブである |
× |
イタリア語で「自由」という意味があるサッカーのポジションはリベロである |
○ |
イタリア語で「自由」という意味があるサッカーのポジションはボランチである |
× |
Jリーグでプレーした選手が引退後にJリーグで監督を務めたことがある |
○ |
2006年のサッカードイツW杯のグループリーグにおいて日本が対戦した南米の国はブラジルである |
○ |
2006年のサッカードイツW杯のグループリーグにおいて日本が対戦した南米の国はアルゼンチンである |
× |
韓国のプロサッカーリーグKリーグでプレーした日本人選手はいない |
× |
2016年に開催されるサッカーヨーロッパ選手権の開催国はフランスである |
○ |
2016年に開催されるサッカーヨーロッパ選手権の開催国はイタリアである |
× |
ドイツW杯、南アフリカW杯と2大会連続で日本代表の背番号「1」をつけたサッカー選手は樽崎正剛である |
○ |
ドイツW杯、南アフリカW杯と2大会連続で日本代表の背番号「1」をつけたサッカー選手は川口能活である |
× |
スペインのサッカー1部リーグを2008-09、2009-10と2シーズン連続で制したクラブはバルセロナである |
○ |
スペインのサッカー1部リーグを2008-09、2009-10と2シーズン連続で制したクラブはレアル・マドリードである |
× |
2009-2010シーズンの欧州チャンピオンズリーグで優勝したサッカークラブはインテルである |
○ |
2009-2010シーズンの欧州チャンピオンズリーグで優勝したサッカークラブはバイエルン・ミュンヘンである |
× |
Jリーグのリーグ戦は毎年9月に始まり翌年5月に終了する |
× |
イタリア、セリエAのミラノダービーの通算成績で勝ち越しているのはACミランである |
○ |
イタリア、セリエAのミラノダービーの通算成績で勝ち越しているのはインテルである |
× |
1996年にバロンドールを受賞したドイツ代表のサッカー選手はマティアス・ザマーである |
○ |
1996年にバロンドールを受賞したドイツ代表のサッカー選手はローター・マテウスである |
× |
デンマークの元サッカー選手ラウドルップ兄弟が同時にW杯に出たことは一度もない |
× |
2006年のサッカーW杯で優勝した国はイタリアである |
○ |
2006年のサッカーW杯で優勝した国はフランスである |
× |
2006年のサッカーW杯で3位になった国はドイツである |
○ |
2006年のサッカーW杯で3位になった国はポルトガルである |
× |
2002年のサッカー日韓W杯で韓国代表の監督を務めたのはヒディンクである |
○ |
2002年のサッカー日韓W杯で韓国代表の監督を務めたのはトルシエである |
× |
サッカー日本代表の通算最多得点の記録を持っているのは釜本邦茂である |
○ |
マンチェスター・ユナイテッドで活躍した伝説のドリブラージョージ・ベストは北アイルランドの選手である |
○ |
マンチェスター・ユナイテッドで活躍した伝説のドリブラージョージ・ベストはウェールズの選手である |
× |
レアル・マドリードFCバルセロナといえばスペインのサッカークラブである |
○ |
レアル・マドリードFCバルセロナといえばイタリアのサッカークラブである |
× |
南米クラブサッカーの大会リベルタドーレス杯の優勝チームを最も多く輩出している国はアルゼンチンである |
○ |
南米クラブサッカーの大会リベルタドーレス杯の優勝チームを最も多く輩出している国はブラジルである |
× |
サッカーは1チーム11人で行うスポーツである |
○ |
サッカーは1チーム9人で行うスポーツである |
× |
日本のプロサッカーリーグJリーグのチームは日本のすべての都道府県にある |
× |
サッカーW杯・南アフリカ大会の日本代表発表時に、岡田武史監督が発した言葉は「ハエがたかるように何度もチャレンジ」である |
○ |
サッカーW杯・南アフリカ大会の日本代表発表時に、岡田武史監督が発した言葉は「アリがたかるように何度もチャレンジ」である |
× |
三浦知良・泰年の兄弟はかつてJリーグの同じチームでプレーしたことがある |
○ |
オランダのサッカークラブPSVのホームスタジアムはフィリップス・スタジアムである |
○ |
オランダのサッカークラブPSVのホームスタジアムはポルマン・スタジアムである |
× |
エル・マドリガルを本拠地とするホームスタジアムとするスペインのサッカークラブはビジャレアルである |
○ |
エル・マドリガルを本拠地とするホームスタジアムとするスペインのサッカークラブはバレンシアである |
× |
サッカーのPKは反則を受けたチームの選手なら誰が蹴ってもよい |
○ |
イングランドのサッカー選手ショーン・ライト・フィリップスと元イングランド代表のFWイアン・ライトは親子である |
○ |
第1回サッカーW杯得点王ギレルモ・スタビレはアルゼンチンの選手である |
○ |
第1回サッカーW杯得点王ギレルモ・スタビレはウルグアイの選手である |
× |
ここ最近の10年間セリエAの得点王で30点以上記録した選手はひとりもいない |
× |
サッカーW杯の優勝国は次回の予選が免除される |
× |
サッカーのワールドカップで2大会連続で得点王を獲得した選手がいる |
× |
サッカーW杯の得点王を2度以上獲得した選手はいない |
○ |
日本代表のサッカー選手中村俊輔の出身高校は桐光学園である |
○ |
日本代表のサッカー選手中村俊輔の出身高校は桐蔭学園である |
× |
FKを得意とする中村俊輔はJリーグでの初得点ももちろんFKだった |
○ |
フリーキックが得意な中村俊輔のプロ入り初ゴールはもちろんフリーキックだった |
○ |
アルゼンチンのサッカークラブリバープレートのホームスタジアムはエル・モヌメンタルである |
○ |
アルゼンチンのサッカークラブリバープレートのホームスタジアムはボンボネーラである |
× |
サッカーの試合を行うフィールドは正方形である |
× |
フランスのサッカークラブがUEFAチャンピオンズリーグで優勝したことは1度もない |
× |
1990年に初代アジア年間最優秀選手に選出された韓国代表のサッカー選手はキム・ジュソンである |
○ |
1990年に初代アジア年間最優秀選手に選出された韓国代表のサッカー選手はホン・ミョンボである |
× |
JリーグでこれまでGKが得点を記録したことは1度もない |
× |
2010年に浦和レッドダイヤモンズのゼネラルマネジャーに就任した元サッカー選手は柱谷幸一である |
○ |
2010年に浦和レッドダイヤモンズのゼネラルマネジャーに就任した元サッカー選手は柱谷哲二である |
× |
サンフレッチェ広島に所属する森崎兄弟の兄は名前は和幸である |
○ |
サンフレッチェ広島に所属する森崎兄弟の兄は名前は浩司である |
× |
双子のサッカー選手森崎兄弟が所属するチームはサンフレッチェ広島である |
○ |
双子のサッカー選手森崎兄弟が所属するチームはヴィッセル神戸である |
× |
オランダはサッカーW杯で優勝したことがない |
○ |
Jリーグ・J1の最年長試合出場記録を保持するサッカー選手は中山雅史である |
○ |
Jリーグ・J1の最年長試合出場記録を保持するサッカー選手は三浦知良である |
× |
サッカーの母国イングランドはこれまでサッカーW杯で優勝したことがない |
× |
国際サッカー連盟が定める世界ランキングで、日本が1位になったことがある |
× |
国際サッカー連盟が定める世界ランキングで、日本が一桁の順位になったことがある |
○ |
サッカー・ワールドカップの本大会において、1試合で10点以上の得点を記録した国がある |
○ |
2006年のサッカーW杯でMVPに選ばれた選手はジダンである |
○ |
2006年のサッカーW杯でMVPに選ばれた選手はカンナバーロである |
× |
サッカーW杯で過去に東ドイツと西ドイツが対戦したことがある |
○ |
サッカーW杯を連覇した国はこれまでひとつもない |
× |
サッカーW杯を連覇した監督は現在までひとりもいない |
× |
日本代表でも活躍したサッカー選手・大黒将志が現在、所属するJリーグのクラブはFC東京である |
○ |
日本代表でも活躍したサッカー選手・大黒将志が現在、所属するJリーグのクラブは横浜FCである |
× |
2010年に開催されたサッカーW杯・南アフリカ大会で悲願の初優勝を果たした国はスペインである |
○ |
2010年に開催されたサッカーW杯・南アフリカ大会で悲願の初優勝を果たした国はオランダである |
× |
森本貴幸が現在所属しているイタリアのサッカークラブはカターニャである |
○ |
森本貴幸が現在所属しているイタリアのサッカークラブはメッシーナである |
× |
日本サッカー史に残る一種「ジョホールバルの歓喜」で日本代表と試合をした国はイランである |
○ |
日本サッカー史に残る一種「ジョホールバルの歓喜」で日本代表と試合をした国はイラクである |
× |
サッカーのゴールキックはゴールエリア内であればどこから蹴ってもよい |
○ |
サッカーで、パナシナイコス、オリンピアコスといえばギリシャのチームである |
○ |
サッカーで、パナシナイコス、オリンピアコスといえばトルコのチームである |
× |
広島県にあるJリーグのチームはサンフレッチェである |
○ |
広島県にあるJリーグのチームはフロンターレである |
× |
フランスのサッカークラブリヨンの現在の監督はル・グエンである |
× |
日本に帰化してサッカー日本代表になった初めての外国出身の選手はネルソン吉村である |
○ |
日本に帰化してサッカー日本代表になった初めての外国出身の選手はラモス瑠偉である |
× |
2010年7月に日本サッカー協会の会長に就任したのは小倉純二である |
○ |
2010年7月に日本サッカー協会の会長に就任したのは大東和美である |
× |
1969年のサッカー戦争で戦ったエルサルバドルとホンジュラスがサッカーW杯の同じ大会に揃って出場したことがある |
○ |
1969年のサッカー戦争で戦った国はエルサルバドルとグアテマラである |
× |
日本人初のJリーグ得点王は福田正博である |
○ |
日本人初のJリーグ得点王は三浦知良である |
× |
Jリーグの試合では選手入場時にJリーグの公式テーマソング『J'S THEME』を必ずかけることになっている |
× |
Jリーグにかつて存在したクラブ横浜フリューゲルス最後の監督はゲルト・エンゲルスである |
○ |
Jリーグにかつて存在したクラブ横浜フリューゲルス最後の監督はカルロス・レシャックである |
× |
1999年に城彰二が移籍したスペインのサッカーチームはバリャドリッドである |
○ |
1999年に城彰二が移籍したスペインのサッカーチームはエスパニョールである |
× |
これまでに日本人の審判がサッカーW杯の決勝で主審を務めたことは1度もない |
○ |
これまでに日本人の審判がサッカーW杯の試合で主審を務めたことは1度もない |
× |
戸田和幸がかつて所属したオランダのサッカークラブはデンハーグである |
○ |
戸田和幸がかつて所属したオランダのサッカークラブはユトレヒトである |
× |
チャンピオンズリーグで過去に優勝経験のあるスペインのサッカークラブはレアル・マドリードだけである |
× |
サッカー、チャンピオンズリーグの優勝カップを「ビッグイヤー」というのは、取っ手の部分が大きな耳に見えるからである |
○ |
イタリア代表はサッカーW杯のPK戦で一度も勝ったことがない |
× |
2002年の日韓W杯でサッカー・ブラジル代表は全勝で優勝した |
○ |
サッカーのゴールの大きさは特に決められていない |
× |
サッカーの国際審判員には定年がある |
○ |
ジュビロ磐田の「ジュビロ」とは「歓喜」という意味のポルトガル語である |
○ |
ジュビロ磐田の「ジュビロ」とは「少年」という意味のポルトガル語である |
× |
元サッカー日本代表のDF宮本恒靖の出身大学は同志社大学である |
○ |
元サッカー日本代表のDF宮本恒靖の出身大学は立命館大学である |
× |
日本初のサッカーナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」があるのは福島県である |
○ |
日本初のサッカーナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」があるのは岩手県である |
× |
ドイツのプロサッカーリーグの名前はブンデスリーガである |
○ |
ドイツのプロサッカーリーグの名前はセリエAである |
× |
スペインのサッカークラブレアル・マドリードの本拠地はサンチャゴ・ベルナベウである |
○ |
サッカー日本代表のユニフォームの色が「日の丸」をイメージする赤色だったことがある |
○ |
過去に親子でJリーガーになったサッカー選手がいる |
○ |
Jリーグのチームガンバ大阪の初代監督は釜本邦茂である |
○ |
Jリーグのチームガンバ大阪の初代監督は奥寺康彦である |
× |
サッカーのスローインはボールが出た地点から行うとルールで定められている |
○ |
稲本潤一がプロデビューした時に所属していたJリーグのチームはガンバ大阪である |
○ |
稲本潤一がプロデビューした時に所属していたJリーグのチームはセレッソ大阪である |
× |
2010年7月にJリーグのチェアマンに就任したのは大東和美である |
○ |
2010年7月にJリーグのチェアマンに就任したのは小倉純二である |
× |
Jリーグが開幕したとき外国人監督はひとりもいなかった |
× |
2008年開催のサッカー欧州選手権で優勝した国はスペインである |
○ |
2008年開催のサッカー欧州選手権で優勝した国はドイツである |
× |
2000年にサッカーの大会アジアカップが開催された国はレバノンである |
○ |
2000年にサッカーの大会アジアカップが開催された国はサウジアラビアである |
× |
2004年にサッカーアジアカップが開催された国は中国である |
○ |
2004年に中国で開かれたサッカーアジアカップの大会MVPは中村俊輔である |
○ |
サッカーのJリーグが発足した時のチーム数は10チームである |
○ |
サッカーのJリーグが発足した時のチーム数は8チームである |
× |
サッカー用語で「PK」とはペナルティキックのことである |
○ |
サッカー用語で「PK」とはプレースキックのことである |
× |
スコティッシュ・プレミアリーグを2008-09、2009-10と2シーズン連続で制したサッカークラブはレンジャーズである |
○ |
スコティッシュ・プレミアリーグを2008-09、2009-10と2シーズン連続で制したサッカークラブはセルティックである |
× |
フットサルのFリーグでその節の得点王が入場時に着用する「リーダージャージー」は金色である |
○ |
フットサルのFリーグでその節の得点王が入場時に着用する「リーダージャージー」は銀色である |
× |
これまでのサッカーW杯で異なる2つの国の代表選手としてゴールを挙げた選手がいる |
○ |
これまでのサッカーW杯で異なる2つの国の代表選手としてゴールを挙げた選手はいない |
× |
元サッカー日本代表のFW中山雅史の出身大学は筑波大学である |
○ |
元サッカー日本代表のFW中山雅史の出身大学は順天堂大学である |
× |
過去にサッカーW杯が2大会連続して同じ国で開催されたことはない |
○ |
現在サッカーW杯の優勝国に与えられているトロフィーは3回優勝すると永久保持できる |
× |
1872年に行われた世界初のサッカーの国際試合はイングランド対スコットランドである |
○ |
1872年に行われた世界初のサッカーの国際試合はイングランド対ウェールズである |
× |
サッカーのJリーグJ2で優勝したサッカークラブに与えられる賞金は2000万円である |
○ |
サッカーのJリーグJ2で優勝したサッカークラブに与えられる賞金は1000万円である |
× |
サッカーのW杯で初めて得点した日本人選手は中山雅史である |
○ |
サッカーのW杯で初めて得点した日本人選手は呂比須ワグナーである |
× |
Jリーグ・ジュビロ磐田のホームスタジアムはヤマハスタジアムである |
○ |
Jリーグ・ジュビロ磐田のホームスタジアムはトヨタスタジアムである |
× |
サッカーW杯のアジア予選で中東のイランとイラクが1度も戦ったことがない |
× |
1994年のサッカーアメリカW杯で3位となった国はスウェーデンである |
○ |
1994年のサッカーアメリカW杯で3位となった国はブルガリアである |
× |
かつて小笠原満男が在籍したイタリアのサッカークラブはメッシーナである |
○ |
かつて小笠原満男が在籍したイタリアのサッカークラブはカターニャである |
× |
Jリーグでプロとして登録できるのは16歳からである |
○ |
Jリーグでプロとして登録できるのは15歳からである |
× |
Jリーグで、各クラブの選手がつける背番号は、どんな数字を選んでもかまわない |
× |
かつてジーコがプレーしたJリーグのチームは鹿島アントラーズである |
○ |
かつてジーコがプレーしたJリーグのチームはジュビロ磐田である |
× |
ヨハン・クライフはサッカー・オランダ代表の監督になったことがある |
× |
サッカーの試合ではコーナーキックから直接得点することはできない |
× |
四国にJリーグのチームはない |
× |
サッカーW杯の出場国は必ずゴールキーパーを3人登録しなければならない |
○ |
サッカーの日本代表がW杯の本大会で初めて勝利した相手はロシアである |
○ |
サッカーの日本代表がW杯の本大会で初めて勝利した相手はベルギーである |
× |
サッカーのGKは他のプレーヤーと違う色のユニフォームを着るようにルールで定められている |
○ |
これまでのサッカーW杯で優勝国が次回の大会に出場しなかったことがある |
○ |
かつてW杯得点王のリネカーが所属したJリーグのチームは名古屋グランパスである |
○ |
かつてW杯得点王のリネカーが所属したJリーグのチームは鹿島アントラーズである |
× |
ヨーロッパ以外の選手としてバロンドールを受賞した初のサッカー選手はジョージ・ウェアである |
○ |
ヨーロッパ以外の選手としてバロンドールを受賞した初のサッカー選手はロナウドである |
× |
サッカー南米王者を決めるリベルタドーレス杯の初代優勝チームはサントスである |
× |
サッカーのゴールにネットは必ずつけなければならない |
× |
イタリアのプロサッカー1部リーグの名前はセリエAである |
○ |
イタリアのプロサッカー1部リーグの名前はブンデスリーガである |
× |
サッカーの審判は必ず黒い服を着るようにルールで決められている |
× |
イングランドプレミアリーグの史上最年少得点記録を持っているサッカー選手はジェームズ・ボーギャンである |
○ |
イングランドプレミアリーグの史上最年少得点記録を持っているサッカー選手はジェームズ・ミルナーである |
× |
サッカー・W杯で韓国代表が初めて勝利を記録したのは2002年の日韓大会だった |
○ |
1998年のフランスW杯でサッカー日本代表はグループリーグ3試合全てに負けた |
○ |
Jリーグのザスパ草津は群馬県のクラブである |
○ |
Jリーグのザスパ草津は滋賀県のクラブである |
× |
サッカーの試合はレッドカードで何人退場しても試合は中止にならない |
× |
サッカーの試合でチームの監督が審判の命令で退場することもある |
○ |
ブラジルはサッカーのW杯に第1回から全て参加している |
○ |
タレントの岡元あつこを妻に持つ元サッカー選手は柳本啓成である |
○ |
タレントの岡元あつこを妻に持つ元サッカー選手は相場直樹である |
× |
1998年のフランスW杯でサッカー日本代表は1点も挙げていない |
× |
日本はサッカーW杯で優勝したことがある |
× |
サッカーの試合ではキックオフを行う時に相手チームの選手はセンターサークルには入れない |
○ |
Jリーグの新人王はJ2に所属するクラブの選手も選考の対象となっている |
× |
サッカーの試合でオフサイドの反則があった場合間接フリーキックで再開される |
○ |
サッカーの試合でオフサイドの反則があった場合直接フリーキックで再開される |
× |
2002年のサッカーW杯日韓大会で、前回優勝国のフランスは1点も得点することができなかった |
○ |
2010年に、Jリーグ最年長となる43歳5ヶ月でのゴールを決めたサッカー選手は三浦知良である |
○ |
2010年に、Jリーグ最年長となる43歳5ヶ月でのゴールを決めたサッカー選手は中山雅史である |
× |
サッカーの国際試合で、選手に対して出される警告のカードはレッドカードとイエローカードの2種類のみである |
○ |
ジダン、プラティニといえばフランスの元サッカー選手である |
○ |
ジダン、プラティニといえばイタリアの元サッカー選手である |
× |
Jリーグのサッカークラブガンバ大阪とセレッソ大阪のホームスタジアムは同じである |
× |
サッカーの試合でGKはボールを手にして6歩以上歩いてはいけない |
× |
沖縄県出身のサッカー選手我那覇和樹が所属するチームはヴィッセル神戸である |
○ |
沖縄県出身のサッカー選手我那覇和樹が所属するチームは大宮アルディージャである |
× |
ポルトガルのプロサッカーリーグで初めてプレーした日本人選手は廣山望である |
○ |
ポルトガルのプロサッカーリーグで初めてプレーした日本人選手は相馬崇人である |
× |
サッカーの南米選手権に日本代表が参加したことがある |
○ |
サッカーの欧州選手権に日本代表が参加したことがある |
× |
2004年に中国で開かれたサッカーのアジアカップで大会MVPに選ばれたのは中村俊輔である |
○ |
2004年に中国で開かれたサッカーのアジアカップで大会MVPに選ばれたのは中澤佑二である |
× |
サッカーのW杯は第1回以来必ず4年に1度開催されている |
× |
2009-10シーズンのサッカー・ヨーロッパリーグを制したクラブはフラムである |
× |
サッカーポルトガル代表で通算得点数歴代1位の選手はパウレタである |
○ |
サッカーポルトガル代表で通算得点数歴代1位の選手はエウゼビオである |
× |
2010年のサッカー・W杯南アフリカ大会では初出場となる国は1つもない |
× |
サッカー・W杯で、試合中に交替できる選手の数は3人である |
○ |
サッカーでキックオフのボールは必ず相手陣地内に蹴らなければならない |
○ |
サッカーの試合でキックオフのボールをいきなりゴールしてもゴールは認められる |
○ |
1901年に行われた南米初のサッカーの国際試合はアルゼンチン対ウルグアイである |
○ |
1901年に行われた南米初のサッカーの国際試合はアルゼンチン対ブラジルである |
× |
1974年のW杯でGKディノ・ゾフがもっていた国際試合1143分間無失点記録を破った対戦国はハイチである |
○ |
1974年のW杯でGKディノ・ゾフがもっていた国際試合1143分間無失点記録を破った対戦国はキューバである |
× |
サッカー日本代表で外国人として初めて監督を務めたのはオフトである |
○ |
サッカー日本代表で外国人として初めて監督を務めたのはトルシエである |
× |
2010年8月に開催されたサッカーの「欧州スーパー杯」を制したのは2009-10の欧州リーグの覇者アトレチコ・マドリードである |
○ |
2010年8月に開催されたサッカーの「欧州スーパー杯」を制したのは2009-10のチャンピオンズリーグの覇者・インテルである |
× |
アメリカンフットボールとサッカーの、フィールドにいる1チームの人数は同じである |
○ |
チェルシーのGKを務めるペトル・チェフはチェコのサッカー選手である |
○ |
サッカーの王様ペレはW杯で得点王を取ったことが1度もない |
○ |
サッカーの王様ペレが現役時代にプレーしたクラブはブラジルのサントスだけである |
× |
半導体メーカーのインテルはイタリアのサッカークラブインテルのスポンサーを過去に務めたことがある |
○ |
レッドカードが初めて採用された1970年のサッカーメキシコW杯で結局レッドカードは最後まで1枚も出されなかった |
○ |
九州の佐賀県にあるJリーグのクラブはサガン鳥栖である |
○ |
九州の佐賀県にあるJリーグのクラブはザスパ草津である |
× |
イタリアのセリエAで過去に無敗でリーグ優勝したサッカークラブがある |
○ |
サッカーの試合でスローインで投げたボールが直接ゴールに入ってもゴールは認められない |
○ |
Jリーグのサッカークラブのホームスタジアムの中で人工芝のものはひとつもない |
○ |
サッカーW杯の決勝戦と3位決定戦は同じ日に開催される |
× |
Jリーグではかつて延長PK戦で負けても勝ち点1がもらえた |
○ |
サッカーの試合でGKがゴールキックを直接自分のゴールに蹴りこんだ場合オウンゴールとなる |
× |
サッカーW杯の決勝でハットトリックを記録した選手がいる |
○ |
サッカーW杯においてハットトリックを2度以上達成した選手はひとりもいない |
× |
サッカーの試合でゴールキックを直接受けた場合オフサイドポジションにいてもオフサイドは適用されない |
○ |
過去に日本人で海外のサッカー代表の監督となった人物はいない |
× |
サッカーの試合場の中央にあるセンターサークルはその名の通り円形である |
○ |
サッカーの試合でゴールキーパーがPKを蹴ってもいい |
○ |
サッカーの公式戦では1試合の中で何人交代してもいい |
× |
五輪のサッカーでブラジルは1度も優勝したことがない |
○ |
Jリーグの初代チェアマンを務めた川淵三郎はかつて日本代表の監督を務めたことがある |
○ |
1929-30シーズンにセリエAの初代得点王となったイタリアのサッカー選手はジュゼッペ・メアッツァである |
○ |
1929-30シーズンにセリエAの初代得点王となったイタリアのサッカー選手はシルビオ・ピオラである |
× |
イタリアのサッカークラブユベントスが本拠地を置く都市はトリノである |
○ |
イタリアのサッカークラブユベントスが本拠地を置く都市はミラノである |
× |
柳沢敦はセリエA時代にリーグ戦で1点も取ってない |
○ |
サッカーは五輪競技には含まれていない |
× |
1993年5月15日に行われたJリーグ初の公式戦で勝利を収めたクラブは横浜マリノスである |
○ |
1993年5月15日に行われたJリーグ最初の試合の会場はもちろん国立競技場だった |
○ |
1993年5月15日に行われた記念すべきJリーグ開幕戦で日本人選手は誰も得点していない |
○ |
1994年のサッカーW杯アメリカ大会で優勝した国はブラジルである |
○ |
1994年のサッカーW杯アメリカ大会で優勝した国はフランスである |
× |
Jリーグのサッカークラブ東京ヴェルディとFC東京のホームスタジアムは同じである |
○ |
サッカーブラジル代表の現在の監督はドゥンガである |
○ |
サッカーブラジル代表の現在の監督はジーコである |
× |
Jリーグの初代得点王はラモン・ディアスである |
○ |
Jリーグの初代得点王はフランク・オルデネピッツである |
× |
男子サッカー日本代表が銅メダルを獲得した五輪はメキシコ五輪である |
○ |
男子サッカー日本代表が銅メダルを獲得した五輪はモントリオール五輪である |
× |
Jリーグでは選手が背番号「0」をつけても良い |
× |
サッカーのW杯で最も優勝回数が多いのはブラジルである |
○ |
サッカーのW杯で最も優勝回数が多いのはアルゼンチンである |
× |
サッカーの欧州最優秀選手に与えられるバロンドールの第1回受賞者はディ・ステファノである |
× |
サッカーW杯の優勝カップはかつて泥棒に盗まれて溶かされたことがある |
○ |
サッカーW杯の優勝国は全て自国開催大会での優勝経験がある |
× |
シーズン終了後に表彰されるJリーグのベストイレブンで選出された11人全員が日本人だった年がある |
○ |
トヨタカップを2連覇したサッカークラブはない |
× |
2010年に発足した「日本サッカー名蹴会」には、現役のサッカー選手も加入することができる |
○ |
これまでにサッカーの日本代表とブラジル代表の両方の監督を務めた人は1人もいない |
× |
サッカーのPKではキッカーが蹴る瞬間までゴールキーパーは一歩も動いてはならない |
× |
サッカー日本代表がW杯でアフリカの国と対戦したことは一度もない |
× |
これまでヨーロッパ選手権とW杯の両方で得点王となったサッカー選手はいない |
× |
2010年に開催されたサッカーU-17女子ワールドカップの決勝で日本を破り優勝した国は韓国である |
○ |
2010年に開催されたサッカーU-17女子ワールドカップの決勝で日本を破り優勝した国は北朝鮮である |
× |
1980年代に行われたサッカーW杯は全て南米の国が優勝した |
× |
サッカーの大会「天皇杯」にはプロのサッカークラブだけでなくアマチュアのチームも出場できる |
○ |
ゲルト・ミュラーが得点王を獲得したサッカーW杯は1970年メキシコ大会である |
○ |
ゲルト・ミュラーが得点王を獲得したサッカーW杯は1974年西ドイツ大会である |
× |
日本人のサッカー選手で初めてミッドフィルダーとして国際Aマッチ通算出場100試合を達成したのは遠藤保仁である |
○ |
日本人のサッカー選手で初めてミッドフィルダーとして国際Aマッチ通算出場100試合を達成したのは中村俊輔である |
× |
サッカーの試合終了をタイムアップという |
○ |
サッカーの試合終了をノーサイドという |
× |
アルゼンチン代表で活躍したマラドーナがかつてプレーしたイタリアのサッカークラブはナポリである |
○ |
アルゼンチン代表で活躍したマラドーナがかつてプレーしたイタリアのサッカークラブはユベントスである |
× |
2006年のサッカーW杯でベスト4に進出した国は全てヨーロッパの国だった |
○ |
ミラノを本拠地とするイタリアの2つのサッカークラブACミランとインテルの創設された年は同じである |
× |
イタリアのサッカークラブACミランとインテルのホームスタジアムは同じである |
○ |
サッカーW杯のアジア予選で北朝鮮と韓国は過去に戦ったことがある |
○ |
ジーコはトヨタカップでMVPを受賞したことがある |
○ |
サッカー日本代表で監督を務めたジーコはブラジル代表監督の経験がある |
× |
イタリアのサッカー選手ロベルト・バッジョはセリエAで得点王を1度も取っていない |
○ |
サンフレッチェ広島のマスコット「サンチェ」のモチーフとなっている動物は熊である |
○ |
サンフレッチェ広島のマスコット「サンチェ」のモチーフとなっている動物は馬である |
× |
サッカーの試合で使われるボールはどんな大きさでもいい |
× |
2002年日韓W杯で3位となった国はトルコである |
○ |
サッカーの第1回W杯にヨーロッパの国はひとつも参加していない |
× |
ブラジル人初のサッカーW杯得点王はレオニダスである |
○ |
ブラジル人初のサッカーW杯得点王はアデミールである |
× |
2006年のサッカーW杯開催国はフランスである |
× |
サッカーの欧州最優秀選手に与えられるバロンドールはヨーロッパ国籍を持つサッカー選手しか受賞できない |
× |
サッカーの試合開始はキックオフである |
○ |
サッカーの試合開始はプレイボールである |
× |
JFLからJリーグJ2に参入するためには必ずJFLのリーグ戦で上位2位以内に入らなくてはいけない |
× |
2010年10月、ザッケローニ監督が初めて指揮した試合でサッカー・日本代表が歴史的な勝利を挙げた相手はアルゼンチンである |
○ |
2010年10月、ザッケローニ監督が初めて指揮した試合でサッカー・日本代表が歴史的な勝利を挙げた相手はブラジルである |
× |
元イタリア代表のDFフランコ・バレージがプレーしたプロのサッカークラブはACミランだけである |
○ |
2010年7月にロシアのアムカル・ペルミと移籍した元日本代表のサッカー選手は巻誠一郎である |
○ |
2010年7月にロシアのアムカル・ペルミと移籍した元日本代表のサッカー選手は高原直泰である |
× |
2010年7月に韓国の水原三星へと移籍した元日本代表のサッカー選手は高原直泰である |
○ |
2010年7月に韓国の水原三星へと移籍した元日本代表のサッカー選手は巻誠一郎である |
× |
サッカーで足の内側で蹴る基本的なキックのことをインサイドキックという |
○ |
サッカーで足の内側で蹴る基本的なキックのことをヒールキックという |
× |
サッカーで足の甲で蹴る基本的なキックのことをインステップキックという |
○ |
サッカーで足の甲で蹴る基本的なキックのことをインサイドキックという |
× |
2010年シーズンの「プレナスなでしこリーグ」を制した女子サッカークラブは浦和レッズ・レディースである |
× |
Jリーグにもプロ野球同様新人選手のドラフト会議がある |
× |
ディエゴ・マラドーナはイタリアのセリエAで得点王を獲得したことがある |
○ |
サッカーW杯の決勝でウルグアイは負けたことがない |
○ |
サッカーW杯の決勝でブラジルは負けたことがない |
× |
サッカーW杯の決勝でイタリアは負けたことがない |
× |
ブラジルはこれまでにサッカーW杯の南米予選で1度も負けたことがない |
× |
2010年のJリーグ・ナビスコカップでニューヒーロー賞に選ばれたサンフレッチェ広島の選手は高萩洋次郎である |
○ |
2010年のJリーグ・ナビスコカップでニューヒーロー賞に選ばれたサンフレッチェ広島の選手は槙野智章である |
× |
サッカーのJリーグ・J1で2年連続で得点王を獲得した選手がいる |
○ |
2010年にJFLのMVPに選出された、かつては日本代表でも活躍したガイナーレ鳥取所属のサッカー選手は服部年宏である |
○ |
2022年にサッカーのワールドカップが開催される中京の国はカタールである |
○ |
2022年にサッカーのワールドカップが開催される中京の国はUAEである |
× |
サッカー・JリーグにおいてJ1とJ2の両方で得点王になった選手がいる |
○ |
Jリーグ・J1で、史上始めて2年連続で得点王を獲得したサッカー選手は前田遼一である |
○ |
Jリーグ・J1で、史上始めて得点王を2度獲得したサッカー選手は中山雅史である |
○ |
Jリーグ・J1で、史上始めて得点王を2度獲得したサッカー選手は前田遼一である |
× |
2010年のクラブW杯を制したサッカークラブはインテル・ミラノである |
○ |
2011年のアジアカップで日本代表の背番号「10」をつけたサッカー選手は香川真司である |
○ |
2011年のアジアカップで日本代表の背番号「10」をつけたサッカー選手は本田圭佑である |
× |
日本代表でも活躍したサッカー選手・松田直樹が、2011年よりプレーするJFLのクラブは松本山雅FCである |
○ |
日本代表でも活躍したサッカー選手・松田直樹が、2011年よりプレーするJFLのクラブはAC長野パルセイロである |
× |
2011年に行われたアジアカップの対シリア戦で、本田圭佑は日本代表の国際AKBマッチ通算1000得点目をPKで記録した |
○ |
2011年に行われたアジアカップの対シリア戦で、本田圭佑は日本代表の国際AKBマッチ通算1000得点目を直接FKで記録した |
× |
異なるクラブで2年連続欧州チャンピオンズリーグ優勝を果たしたサッカー選手がいる |
○ |
2011年1月にサッカー選手・長友佑都と契約を結んだイタリアの強豪クラブはインテル・ミラノである |
○ |
2011年1月にサッカー選手・長友佑都と契約を結んだイタリアの強豪クラブはACミランである |
× |
名古屋グランパスが初めて天皇杯で優勝した時の監督はアーセン・ベンゲルである |
○ |
名古屋グランパスが初めて天皇杯で優勝した時の監督はストイコビッチである |
× |
名古屋グランパスが初めてJリーグ・J1で優勝した時の監督はドラガン・ストイコビッチである |
○ |
名古屋グランパスが初めてJリーグ・J1で優勝した時の監督はアーセン・ベンゲルである |
× |
2010年に開催されたアジア大会の女子サッカーで優勝した国はオーストラリアである |
× |
1930年に開催された第1回サッカーW杯ではグループリーグは行われず最初からトーナメント戦だった |
× |
アルビレックス新潟と「川中島ダービー」で戦うJリーグのクラブはヴァンフォーレ甲府である |
○ |
アルビレックス新潟と「川中島ダービー」で戦うJリーグのクラブはモンテディオ山形である |
× |
2010年にイギリスの研究機関・LSEは「サッカーのPK戦では先攻の方が有利である」との研究結果を発表した |
○ |
2010年にイギリスの研究機関・LSEは「サッカーのPK戦では後攻の方が有利である」との研究結果を発表した |
× |
サッカー日本代表の初めての国際Aマッチとして認定されている1923年のフィリピン戦で初得点を挙げた選手は清水隆三である |
○ |
サッカーW杯の決勝でイングランドは負けたことがない |
○ |
2011年にカタールで開催されたサッカー・アジアカップの決勝戦で、日本代表と対戦した国は韓国である |
× |
日本サッカー協会が公認するS級コーチの資格を取得すれば女性であってもJリーグのクラブの監督になることができる |
○ |
リーガ・エスパニョーラ1部を2008-09シーズンから3連覇しているスペインのサッカークラブはバルセロナである |
○ |
リーガ・エスパニョーラ1部を2008-09シーズンから3連覇しているスペインのサッカークラブはレアル・マドリーである |
× |
ヨハン・クライフはサッカー・オランダ代表の監督になったことがある |
× |
アイルランド代表で活躍するサッカー選手ロビー・キーンと元アイルランド代表MFロイ・キーンは親子である |
× |
サッカーの南米選手権で最も優勝回数が多い国はW杯最多優勝国でもあるブラジルである |
× |
ウェールズがサッカーのW杯に出場したことは一度もない |
× |
Jリーグでは日本人選手がニックネームをそのまま登録名にしてもかまわない |
× |
サッカーの天皇杯で優勝チームに天皇杯と共に授与されるのはFAシルバーカップである |
○ |
Jリーグの開幕直前に行われる富士ゼロックススーパーカップは前シーズンのJ1優勝チームと天皇杯優勝チームが対戦する |
○ |
Jリーグの開幕直前に行われる富士ゼロックススーパーカップは前シーズンのJ1優勝チームとナビスコ杯優勝チームが対戦する |
× |
ザッケローニ監督の就任後にサッカー・日本代表が初めて敗北を喫した相手は北朝鮮代表である |
○ |
ザッケローニ監督の就任後にサッカー・日本代表が初めて敗北を喫した相手はウズベキスタン代表である |
× |
2012年シーズンのJリーグは原則として土曜日にJ1の、日曜日にJ2の試合が行われる |
○ |
2011-2012年のサッカーヨーロッパリーグの優勝チームはアスレチック・ビルバオである |
× |
サッカーのJリーグJ1で2年連続でシーズンMVPに選手された選手がいる |
× |
サッカーのJリーグJ1でシーズンMVPに複数回選出された選手はいない |
× |
2013年のJリーグJ1で優勝したサッカークラブはサンフレッチェ広島である |
○ |
アルビレックス新潟と「天地人ダービー」で戦うJリーグのクラブはモンテディオ山形である |
○ |
アルビレックス新潟と「天地人ダービー」で戦うJリーグのクラブはヴァンフォーレ甲府である |
× |
2010-11シーズンに、リーガ・エスパニョーラ史上最多となる16連勝を記録したサッカークラブはFCバルセロナである |
○ |
選手と監督の両方でW杯に優勝した経験を持つサッカー選手がいる |
○ |
JリーグでMVPと得点王を同じ年に獲得した選手はいない |
× |
2010-11シーズンにFAカップを制したイングランドのサッカークラブはマンチェスター・ユナイテッドである |
× |
サッカーの日本代表で男子の通算最多得点記録を保持しているのは釜本邦茂である |
○ |
2002年の日韓W杯でサッカー韓国代表はグループリーグで全勝した |
× |
2011年の女子サッカーW杯・ドイツ大会で主審を務めた日本人は大岩真由美である |
× |
女子サッカー・日本代表にとって初の専任監督は鈴木良平である |
○ |
女子サッカー・日本代表にとって初の専任監督は鈴木保である |
× |
2010-2011シーズンの欧州女子チャンピオンズリーグ優勝したサッカークラブはリヨンである |
○ |
2010-2011シーズンの欧州女子チャンピオンズリーグ優勝したサッカークラブはポツダムである |
× |
サッカーの大会「コパ・アメリカ 2011」を制した国はパラグアイである |
× |
Jリーグで、ゴールキーパーとして初めて年間MVPに選出されたのは楢崎正剛である |
○ |
Jリーグで、ゴールキーパーとして初めて年間MVPに選出されたのは川口能活である |
× |
2012年に、ゴールキーパーとして初めてJリーグ・J1で通算500試合出場を達成したのは楢崎正剛である |
○ |
2012年に、ゴールキーパーとして初めてJリーグ・J1で通算500試合出場を達成したのは川口能活である |
× |
コロコロPKで有名な遠藤保仁のプロ入り初ゴールはもちろんPKだった |
× |
2011年のJリーグ・ナビスコカップを制したクラブは鹿島アントラーズである |
○ |
2006年〜11年にサンフレッチェ広島を指揮し、2012年からは浦和レッズの監督に就任する指導者はゼリコ・ペトロビッチである |
× |
サッカーの女子W杯で日本人として初めて主審を務めた人物は大岩真由美である |
○ |
サッカーの女子W杯で日本人として初めて主審を務めた人物は深野悦子である |
× |
2008-09シーズンよりスコットランド・プレミアリーグを3連覇しているサッカークラブはレンジャーズである |
○ |
2012年4月に13歳年下のJリーガー・弦巻健人との婚約を発表した元女子サッカー選手は大竹七未である |
○ |
2011-12シーズンのスペインリーガ・エスパニョーラで優勝したサッカークラブはレアル・マドリードである |
○ |
2011-2012の女子サッカー欧州チャンピオンズリーグで優勝した女子サッカークラブはリヨンである |
○ |
2011-2012の女子サッカー欧州チャンピオンズリーグで優勝した女子サッカークラブはフランクフルトである |
× |
2013年にサッカーの国際大会コンフェデレーションズカップが開催される国はブラジルである |
○ |
2012年に、Jリーグ最年長となる45歳3ヶ月でのゴールを決めたサッカー選手は三浦知良である |
○ |
2012年に、Jリーグ最年長となる45歳3ヶ月でのゴールを決めたサッカー選手は中山雅史である |
× |
2012年に女子サッカー日本代表のDF、鮫島彩が入団したクラブは浦和レッズレディースである |
× |
サッカーW杯史上初めてゴールデンゴールを決めた選手はロラン・プランである |
○ |
2012年7月に男子サッカーロシア代表監督に就任したのはマルチェロ・リッピである |
× |
イングランド代表はサッカー欧州選手権で一度も優勝したことがない |
○ |
2012年ロンドン五輪男子サッカー準決勝で日本代表が負けた相手はブラジルである |
× |
2012年のロンドン五輪における「グラスゴーの奇跡」と呼ばれたサッカーの試合で、日本代表と対戦した国はスペインである |
○ |
2012年のロンドン五輪における「グラスゴーの奇跡」と呼ばれたサッカーの試合で、日本代表と対戦した国はブラジルである |
× |
サッカーのJリーグでJ1とJ2ではJ1の方がチーム数が少ない |
○ |
サッカーのJリーグでJ1とJ2ではJ1の方がチーム数が多い |
× |
名古屋グランパスで初めてJリーグ・J1でシーズン優勝をした時の監督はアーセン・ベンゲルである |
× |
2015年のJリーグJ1の1stステージを無敗で優勝したチームはガンバ大阪である |
× |
2014年のサッカーW杯で大会MVPに選ばれたのはリオネル・メッシである |
○ |
2014年のサッカーW杯で大会MVPに選ばれたのはマヌエル・ノイアーである |
× |
2012年にマンチェスター・ユナイテッドに移籍したサッカー日本代表の選手は香川真司である |
○ |
2012年にマンチェスター・ユナイテッドに移籍したサッカー日本代表の選手は本田圭佑である |
× |
サッカーの日本代表はW杯初出場となったフランス大会で1勝もできなかった |
○ |
1998年のサッカーW杯フランス大会で日本は1勝もできなかった |
○ |
2006年のサッカーW杯で日本は1勝もできなかった |
○ |
2014年のサッカーW杯で日本代表は1勝もできなかった |
○ |
2015年の女子サッカーW杯で優勝した国は日本である |
× |
40歳以上のサッカー選手が男子日本代表の一員としてW杯に参加したことがある |
× |
2015年シーズンのJリーグJ2で優勝したサッカークラブはジュビロ磐田である |
× |
サッカーで、1人だけ異なるユニフォームを着るポジションはボランチである |
× |
2012年10月に連続無敗試合のJ2新記録を作ったクラブはヴァンフォーレ甲府である |
○ |
2012年7月に家長昭博が加入したJリーグのサッカークラブはガンバ大阪である |
○ |
2012年7月に家長昭博が加入したJリーグのサッカークラブはセレッソ大阪である |
× |
2012年ロンドン五輪男子サッカー日本代表にオーバーエイジ枠の選手は1人も選出されなかった |
× |
第1回女子サッカー世界選手権(現・女子W杯)で、日本代表の監督を務めたのは鈴木保である |
○ |
2012年のUEFAスーパーカップで優勝したサッカークラブはチェルシーである |
× |
2012年8月にレヴィー・クルピが監督に就任したサッカークラブはセレッソ大阪である |
○ |
サッカー選手の酒井宏樹が2012年よりプレーするドイツのサッカークラブはシュトゥットガルトである |
× |
2012年から2013年にかけて連続試合無敗のJリーグ・J1最高記録・21を記録したクラブは大宮アルディージャである |
○ |
2012年から2013年にかけて連続試合無敗のJリーグ・J1最高記録・21を記録したクラブはヴァンフォーレ甲府である |
× |
2012年から2013年にかけて連続試合無敗のJリーグ最高記録・25を記録したクラブはヴァンフォーレ甲府である |
○ |
2013年に発表されたJリーグの「20年間のベストイレブン」でゴールキーパーとして選出された選手は川口能活である |
○ |
2013年に発表されたJリーグの「20年間のベストイレブン」でゴールキーパーとして選出された選手は樽崎正剛である |
× |
現在五輪で行われているサッカー競技には年齢の制限は全くない |
× |
現在、五輪で実施されているサッカー・女子には年齢の制限はない |
○ |
2013年のコンフェデレーションズカップで、サッカー日本代表は1勝も出来なかった |
○ |
1996年のアトランタ五輪における「マイアミの奇跡」と呼ばれたサッカーの試合で、日本代表と対戦した国はスペインである |
× |
サッカー・Jリーグの試合は通常、体育館で行われる |
× |
日本人として初めて中国スーパーリーグに所属するサッカークラブの監督に就任したのは岡田武史である |
○ |
2013年に史上初の4年連続バロンドールを受賞したサッカー選手はリオネル・メッシである |
○ |
2014年から5年間、Jリーグと契約を結んだ広告代理店は電通である |
○ |
2014年から5年間、Jリーグと契約を結んだ広告代理店は博報堂である |
× |
Jリーグとは、プロサッカーのリーグである |
○ |
2016年1月にサッカーのアジアU-23選手権で優勝した国は韓国である |
× |
日本のサッカーくじのtotoは海外リーグも対象にしている |
○ |
2016年元日に行われたサッカー天皇杯決勝で優勝したクラブはガンバ大阪である |
○ |
2016年元日に行われたサッカー天皇杯決勝で優勝したクラブは浦和レッズである |
× |
2015年12月のクラブWの杯で優勝したサッカークラブはリーベルプレートである |
× |
2013年に新設されたJリーグ最優秀ゴール賞の初代受賞者は佐藤寿人である |
× |
2016年のサッカー欧州選手権開催国はイタリアである |
× |
Jリーグで、MVPと得点王を同じ年に獲得した選手はいない |
× |
1993年にJリーグ初得点を決めたヴェルディのFW・マイヤーはブラジルの選手である |
× |
サッカー、JリーグのJ1プレーオフはホーム&アウェイ方式である |
× |
2013年4月にJリーグJ1の外国人選手通算得点記録で1位になった選手はジュニーニョである |
× |
サッカーの試合におけるロスタイムの時間の長さにルール制限はない |
○ |
45歳2ヶ月という、Jリーグ・J1での最年長出場記録を保持する元サッカー選手はジーコである |
× |
2012年1月に、日本人として初めて国際サッカー連盟戦略委員長の委員に選出されたのは岡田武史である |
× |
2014年に愛媛県のサッカークラブFC今治のオーナーに就任した元日本代表監督は岡田武史である |
○ |
Jリーグ開幕以降に生まれたサッカー選手で初めてJリーグ・J1での得点を記録したのは榊翔太である |
○ |
Jリーグのチームに所属しながらフットサルFリーグの試合に出た初めての選手は三浦知良である |
× |
2015年6月に女子サッカーのW杯が開催された国はカナダである |
○ |
2016年1月に男子の高校サッカー選手権で優勝したのは東福岡高校である |
○ |
酒井高徳が所属しているドイツのサッカークラブはハンブルガーSVである |
○ |
2013年に常葉大浜松サッカー部の監督に就任した元日本代表MFは澤登正朗である |
○ |
2006年に浦和レッズがリーグ初優勝を達成した時の監督はオジェックである |
× |
サッカーの日本代表において出場65試合目と最も遅くして初ゴールを決めた選手は駒野友一である |
○ |
2014年3月にJリーグ史上最速でリーグ通算400勝を達成したのは鹿島アントラーズである |
○ |
2015年のサッカー南米選手権で優勝した国はアルゼンチンである |
× |
2019年女子サッカーW杯の開催国はフランスである |
○ |
2019年女子サッカーW杯の開催国はスペインである |
× |
1994年に開催された「第1回ゼロックス スーパーカップ」を制したサッカークラブは横浜フリューゲルスである |
× |
イングランドのサッカーの大会FAカップの決勝戦は延長戦が終わって同点の場合後日再試合となる |
× |
2017年元日にサッカー天皇杯の決勝が行われるのは市立吹田サッカースタジアムである |
○ |
2017年元日にサッカー天皇杯の決勝が行われるのは長居陸上競技場である |
× |
2016年8月に浅野拓磨が移籍したドイツのサッカークラブはシュツットガルトである |
○ |
2016年8月に浅野拓磨が移籍したドイツのサッカークラブはアウクスブルクである |
× |
2016年1月にFIFAバロンドールに選出された男子サッカー選手はクリスティアーノ・ロナウドである |
× |
サッカーで、通称「司令塔」と呼ばれるのは、ゴールキーパーである |
× |
Jリーグで、J1・J2を通し最も多くの得点を記録している外国人選手はマルキーニョスである |
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格闘技 |
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2012年6月に行われたボクシング史上初となる日本人世界王者同士の団体王座統一戦で、勝利を収めたボクサーは井岡一翔である |
○ |
2012年6月に行われたボクシング史上初となる日本人世界王者同士の団体王座統一戦で、勝利を収めたボクサーは八重樫東である |
× |
2011年にボクシングのプロテストに合格した春川恭亮はジャニーズJr.のメンバーである |
× |
2011年6月に「2012年3月からの再始動」が発表された格闘技団体は前田日明率いる「リングス」である |
○ |
新日本プロレスの真夏のイベント「G1 CLIMAX」で、最初に2連覇を達成したのは蝶野正洋である |
○ |
新日本プロレスの真夏のイベント「G1 CLIMAX」で、最初に2連覇を達成したのは天山広吉である |
× |
1989年にスポーツ平和党を結成して参議院選挙に出馬し見事、当選したプロレスラーはアントニオ猪木である |
○ |
1989年にスポーツ平和党を結成して参議院選挙に出馬し見事、当選したプロレスラーは大仁田厚である |
× |
新日本プロレスなどで活躍し「金髪のまだら狼」と呼ばれたなつかしの悪役レスラーは上田馬之助である |
○ |
新日本プロレスなどで活躍し「金髪のまだら狼」と呼ばれたなつかしの悪役レスラーは山中鹿之助である |
× |
1981年に打撃系総合武道の団体・大道塾を設立した格闘家は東孝である |
○ |
1981年に打撃系総合武道の団体・大道塾を設立した格闘家は西良典である |
× |
プロボクシングで史上初めて世界5階級制覇を成し遂げたボクサーはシュガー・レイ・レナードである |
○ |
プロボクシングで史上初めて世界5階級制覇を成し遂げたボクサーはトーマス・ハーンズである |
× |
大相撲で、幕内優勝回数が30回を超えている力士は大鵬だけである |
× |
1973年に、プロレスラーのタイガー・ジェット・シンがアントニオ猪木を路上で襲撃したのは新宿伊勢丹前である |
○ |
1973年に、プロレスラーのタイガー・ジェット・シンがアントニオ猪木を路上で襲撃したのは銀座三越前である |
× |
総合格闘家の吉田秀彦が柔道で金メダルを獲得したのはバルセロナ五輪である |
○ |
五輪の柔道金メダリスト・吉田秀彦が、総合格闘家に転向後、最初に闘った相手はホイス・グレイシーである |
○ |
五輪の柔道金メダリスト・吉田秀彦が、総合格闘家に転向後、最初に闘った相手はヒクソン・グレイシーである |
× |
イスラエルで『BUSHIDO』というタイトルでテレビ放映され人気だった日本の格闘技団体はUWFインターナショナルである |
○ |
イスラエルで『BUSHIDO』というタイトルでテレビ放映され人気だった日本の格闘技団体はパンクラスである |
× |
世界王者となったボクシングの日本人選手で辰吉丈一郎、薬師寺保栄といえば階級はバンタム級である |
○ |
世界王者となったボクシングの日本人選手で辰吉丈一郎、薬師寺保栄といえば階級はミニマム級である |
× |
日本人初のボクシング世界王者白井義男が世界王座を獲得したタイトルマッチの対戦相手はダド・マリノである |
○ |
日本人初のボクシング世界王者・白井義男日本フライ級の初代王者でもある |
× |
2003年に亡くなったプロレスラー・冬木弘道の現役時代のニックネームは「理不尽大王」である |
○ |
2003年に亡くなったプロレスラー・冬木弘道の現役時代のニックネームは「破壊王」である |
× |
2005年に亡くなったプロレスラー・橋本真也の現役時代のニックネームは「破壊王」である |
○ |
2005年に亡くなったプロレスラー・橋本真也の現役時代のニックネームは「理不尽大王」である |
× |
英語では「オクトパスホールド」ともいわれるプロレス技は卍固めである |
○ |
英語では「オクトパスホールド」ともいわれるプロレス技は足4の字固めである |
× |
日本におけるプロボクシングの試合では両者が同じ色のグローブを使ってもかまわない |
○ |
柔道の世界選手権は毎年開催される |
○ |
柔道の世界選手権は2年に1度開催される |
× |
1984年にアントニオ猪木と異種格闘技戦で戦ったアノアロ・アティサノエは元大関・小錦の兄である |
○ |
1984年にアントニオ猪木と異種格闘技戦で戦ったアノアロ・アティサノエは元横綱・曙の兄である |
× |
五輪の柔道で、韓国の選手が金メダルを獲得したことは男女ともに1度もない |
× |
新日本プロレスは、日本のプロ野球チームが本拠地としているドーム球場すべてで興行をおこなったことがある |
× |
五輪のボクシングで金メダルを獲得した日本人は一人もいない |
× |
相撲に関する言葉で「ガチンコ」といえば真剣勝負のことである |
○ |
相撲に関する言葉で「ガチンコ」といえば八百長試合のことである |
× |
日本人初のボクシング王者・白井義男がタイトルを獲得した階級はフライ級である |
○ |
日本人初のボクシング王者・白井義男がタイトルを獲得した階級はバンタム級である |
× |
腕相撲のことを英語では「アームレスリング」という |
○ |
腕相撲のことを英語では「アームボクシング」という |
× |
日本腕相撲協会が定めている腕相撲の決まり手の数は大相撲よりも多い |
× |
五輪の柔道で、史上初めて3連覇を達成した柔道家は野村忠宏である |
○ |
五輪の柔道で、史上初めて3連覇を達成した柔道家は山下泰裕である |
× |
「K-1 WORLD MAX」とは体重が重い選手が参加するK-1の大会である |
× |
大相撲の本場所では平幕の力士が大関や横綱と対戦することは絶対にない |
× |
一度プロテストに合格したらどんなに視力が悪くなろうとプロボクシングの試合に出場することができる |
× |
日本では、視力が両目ともに1.0以上ないとプロボクサーになることができない |
× |
格闘技団体・パンクラスで女子選手の試合を行う部門はパンクラス・アテナである |
○ |
格闘技団体・パンクラスで女子選手の試合を行う部門はパンクラス・ミネルヴァである |
× |
格闘技イベント・K-1の通常ルールでは、ひじで相手を攻撃してもかまわない |
× |
南海キャンディーズの山崎静代が2012年のロンドン五輪の代表に挑戦しているスポーツは女子ボクシングである |
○ |
南海キャンディーズの山崎静代が2012年のロンドン五輪の代表に挑戦しているスポーツは女子レスリングである |
× |
大相撲で「満員御礼」の際に力士や協会関係者に配られる大入り袋の中身は10円玉である |
○ |
大相撲で「満員御礼」の際に力士や協会関係者に配られる大入り袋の中身は5円玉である |
× |
近代五輪の第1回大会から正式種目に採用されている格闘技はレスリングである |
○ |
近代五輪の第1回大会から正式種目に採用されている格闘技はボクシングである |
× |
新日本プロレスなどで活躍したプロレスラー、キラー・カーンの先祖はあのモンゴルの英雄チンギス・ハーンである |
× |
ボクシングで倒した相手が10カウントの間に立ちあがってこなければノックアウト勝ちになる |
○ |
ボクシングで倒した相手が10カウントの間に立ちあがってこなければリングアウト勝ちになる |
× |
第64代横綱・曙太郎と第65代横綱・貴乃花光司の横綱在位期間は全く同じだった |
× |
竹原慎二がかつて獲得したボクシング世界王者の階級はミドル級である |
○ |
竹原慎二がかつて獲得したボクシング世界王者の階級はライト級である |
× |
2009年11月に内藤大助に勝利しWBC世界フライ級を獲得したボクサーは亀田興毅である |
○ |
2009年11月に内藤大助に勝利しWBC世界フライ級を獲得したボクサーは亀田大毅である |
× |
2010年2月にデンカオセーン・カオウィチットに勝利しWBA世界フライ級を獲得したボクサーは亀田大毅である |
○ |
2010年2月にデンカオセーン・カオウィチットに勝利しWBA世界フライ級を獲得したボクサーは亀田興穀である |
× |
平成生まれの日本人で初のボクシング世界王者となったのは亀田大毅である |
× |
ボクシングで、日本人の兄弟が揃って世界王者となったのは亀田興毅、大毅の兄弟が史上初めてのことだった |
○ |
日本人として初めてボクシング世界王座の2階級制覇に成功したのはファイティング原田である |
○ |
日本人として初めてボクシング世界王座の2階級制覇に成功したのは海老原博幸である |
× |
1981年、新日本プロレスに初登場した、梶原一騎・原作の漫画から誕生した覆面レスラーはタイガーマスクである |
○ |
1981年、新日本プロレスに初登場した、梶原一騎・原作の漫画から誕生した覆面レスラーは獣神サンダー・ライガーである |
× |
格闘技イベント・K-1の「K」は「喧嘩」の頭文字をとったものである |
× |
日本にはたくさんのプロレスの団体がありますがお隣の国・韓国にもプロレスの団体はある |
○ |
アジアの格闘技で「シルム」といえば韓国の相撲のことである |
○ |
アジアの格闘技で「シルム」といえばモンゴルの相撲のことである |
× |
アジアの格闘技で「ブフ」といえばモンゴルの相撲のことである |
○ |
アジアの格闘技で「ブフ」といえば韓国の相撲のことである |
× |
「若貴兄弟」と呼ばれた若乃花と貴乃花は、二人とも大相撲の横綱になった |
○ |
「若貴兄弟」と呼ばれた若乃花と貴乃花は共に現在、大相撲の親方をしている |
× |
「若貴兄弟」と呼ばれた若乃花と貴乃花が大相撲の優勝決定戦で闘ったことがあった |
○ |
第45代横綱の初代・若乃花と第56代横綱の2代目・若乃花はともに青森県出身である |
○ |
第45代横綱の初代・若乃花と第56代横綱の2代目・若乃花は実の親子である |
× |
プロボクシングの試合でボクサーが着用するグローブは必ず赤色と決められている |
× |
格闘技で反則となる「サミング」は相手の目に対する攻撃である |
○ |
江戸時代の有名な相撲取り雷電為衛門は、結局横綱になれなかった |
○ |
江戸時代の有名な相撲取り雷電為衛門は、あまりの強さから張り手を禁じられていた |
○ |
横綱の土俵入りの型に名を残す「雲竜」と「不知火」は共に江戸時代の横綱である |
○ |
大相撲で幕内連続優勝回数1位の記録を持っているのは朝青龍である |
○ |
大相撲で幕内連続優勝回数1位の記録を持っているのは大鴨である |
× |
ボクシングで、相手のアゴを狙い下から上へ突き上げるパンチはアッパーである |
○ |
女子レスリングのワールドカップは毎年開催される |
○ |
女子レスリングのワールドカップは4年に1度開催される |
× |
元世界ヘビー級王者のモハメド・アリはプロボクシングの試合で1度も負けたことがなかった |
× |
ボクシングでデビューしたばかりのボクサーのことを「グリーンボーイ」という |
○ |
ボクシングでデビューしたばかりのボクサーのことを「イエローボーイ」という |
× |
1970年代に新日本プロレスで開催された若手選手によるリーグ戦は「ルー・テーズ杯」である |
× |
1983年に全日本プロレスで開催された若手選手によるリーグ戦は「ルー・テーズ杯争奪リーグ戦」である |
○ |
1983年に全日本プロレスで開催された若手選手によるリーグ戦は「カール・ゴッチ杯争奪リーグ戦」である |
× |
格闘技イベント「K-1 WORLD GP」で、24歳と最年少での優勝記録を保持しているのはピーター・アーツである |
○ |
格闘技イベント「K-1 WORLD GP」で、24歳と最年少での優勝記録を保持しているのはアーネスト・ホーストである |
× |
第69代横綱・白鵬の土俵入り型は不知火型である |
○ |
第69代横綱・白鵬の土俵入り型は雲竜型である |
× |
2013年5月に大相撲の横綱・白鵬が客員教授に就任した大学は拓殖大学である |
○ |
1981年に新日本プロレスに登場した覆面レスラー・初代タイガーマスクの正体は佐山聡だった |
○ |
1981年に新日本プロレスに登場した覆面レスラー・初代タイガーマスクの正体は三沢光晴だった |
× |
1984年に全日本プロレスに登場した覆面レスラー・タイガーマスクの正体は三沢光晴だった |
○ |
1984年に全日本プロレスに登場した覆面レスラー・タイガーマスクの正体は佐山聡だった |
× |
1994年に、日本人として初めて「K-1 GRAND PRIX」の決勝戦に進出した格闘家は佐竹雅昭である |
○ |
プロレスラーとなるためには日本プロレス連盟の資格試験を受けなければならない |
× |
アントニオ猪木を応援する時の掛け声「イノキ ボンバイエ」の’ボンバイエ’とは「頑張れ!」という意味である |
× |
「カマクラジム」「メジロジム」など、日本風の名前をもった格闘技ジムが本拠地を置く国はオランダである |
○ |
「カマクラジム」「メジロジム」など、日本風の名前をもった格闘技ジムが本拠地を置く国はフランスである |
× |
大相撲史上初の学士横綱・輪島大士の出身大学は日本大学である |
○ |
大相撲史上初の学士横綱・輪島大士の出身大学は日本体育大学である |
× |
プロボクシングの団体WBAとWBCの「W」は共に「WORLD」を意味する |
○ |
大相撲の歴代横綱の四股名には季節をあらわす「春」「夏」「秋」「冬」が全て使われている |
× |
五輪で、2大会連続で金メダルを獲得した日本人の女子柔道選手は1人もいない |
× |
新日本プロレスと全日本プロレスで先に設立されたのは新日本プロレスの方である |
○ |
新日本プロレスと全日本プロレスで先に設立されたのは全日本プロレスの方である |
× |
現在、新日本プロレスのスカウト部長を務めている元プロレスラーは小林邦昭である |
○ |
4年に1度の覆面レスラーの祭典「ふく面ワールドリーグ戦」を主催するプロレス団体はみちのくプロレスである |
○ |
4年に1度の覆面レスラーの祭典「ふく面ワールドリーグ戦」を主催するプロレス団体は大阪プロレスである |
× |
五輪のボクシングでは拳を負傷してもかまわないならグローブを着用せずに素手で試合をしてもよい |
× |
大相撲・東京場所が開催される両国国技館の地下にあるのは焼き鳥工場である |
○ |
大相撲・東京場所が開催される両国国技館の地下にあるのはビール工場である |
× |
元プロボクサーのマイク・タイソンがプロで初敗北を喫したのは日本で行われた試合だった |
○ |
K-1グランプリを38歳と、史上最年長で制した格闘家はブランコ・シカティックである |
○ |
K-1グランプリを38歳と、史上最年長で制した格闘家はアーネスト・ホーストである |
× |
大相撲の力士は本場所での負け越しが3回続くと強制的に引退させられる |
× |
ジャイアント馬場とアントニオ猪木の両方にフォール勝ちした日本人プロレスラーがいる |
○ |
女子プロレスラーが歌った曲がオリコンチャート1位を獲得したことがある |
× |
大相撲で、32回という幕内最多優勝回数の記録を持つ元横綱は大鵬幸喜である |
○ |
大相撲で、32回という幕内最多優勝回数の記録を持つ元横綱は千代の富士貢である |
× |
力士のシンボルである「髷」は明治維新政府によって廃刀令が出された際、一時的に禁止された |
× |
大相撲の土俵上で対戦前に塩をまくことが出来るのは幕内の力士だけである |
× |
グルジア出身の力士・黒海が所属する相撲部屋は追手風部屋である |
○ |
グルジア出身の力士・黒海が所属する相撲部屋は伊勢ヶ濱部屋である |
× |
グルジア出身の力士「臥牙丸」の四股名はレディー・ガガに由来している |
× |
大相撲の本場所は1年に6場所である |
○ |
大相撲の本場所は1年に5場所である |
× |
2010年に、日本人として初めて世界最大のプロレス団体・WWEの殿堂入りを果たしたのはアントニオ猪木である |
○ |
2010年に、日本人として初めて世界最大のプロレス団体・WWEの殿堂入りを果たしたのはジャイアント馬場である |
× |
2012年に、元プロボクサーとして初めて世界最大のプロレス団体・WWEの殿堂入りをしたのはマイク・タイソンである |
○ |
戦後の国民的ヒーロー・力道山は、幕内力士時代に本場所で1度も優勝できなかった |
○ |
2005年に、格闘家の佐山聡が旗揚げしたプロレス団体はリアルジャパンプロレスである |
○ |
2005年に、格闘家の佐山聡が旗揚げしたプロレス団体はワールドジャパンプロレスである |
× |
ロシアを代表する格闘技ジム・レッドデビルは、オーナーが経営する会社が販売してしたドリンクにちなんで命名された |
○ |
ロシアを代表する格闘技ジム・レッドデビルは、オーナーが経営する会社が販売してしたスナック菓子にちなんで命名された |
× |
女子ボクシングが五輪の正式種目としておこなわれたことがあった |
× |
かつて全日本女子プロレスで「赤いベルト」と呼ばれていたタイトルはWWWA世界シングル王座である |
○ |
かつて全日本女子プロレスで「赤いベルト」と呼ばれていたタイトルはオールパシフィック王座である |
× |
かつて全日本女子プロレスで「白いベルト」と呼ばれていたタイトルはオールパシフィック王座である |
○ |
かつて全日本女子プロレスで「白いベルト」と呼ばれていたタイトルはWWWA世界シングル王座である |
× |
大相撲の力士が本場所で使用する「まわし」は普通、15日間1度も洗濯せずに使用され続ける |
○ |
2010年に死去したプロレスラー・ラッシャー木村と「兄弟コンビ」を結成していたレスラーはジャイアント馬場である |
○ |
2010年に死去したプロレスラー・ラッシャー木村と「兄弟コンビ」を結成していたレスラーはアントニオ猪木である |
× |
元ボクシング世界王者ガッツ石松の「石松」は「森の石松」に由来している |
○ |
2009年に、86勝という大相撲本場所における年間最多勝利記録をマークした力士は白鵬翔である |
○ |
2009年に、86勝という大相撲本場所における年間最多勝利記録をマークした力士は朝青龍明徳である |
× |
韓国の国技・テコンドーが五輪の正式種目に採用されたのはもちろんソウル五輪からである |
× |
女子柔道選手の谷亮子は日本人を相手とした公式試合では一度も負けたことがない |
× |
女子柔道選手の谷亮子は五輪の柔道では一度も負けたことがない |
× |
相撲博物館は両国国技館に併設されている |
○ |
相撲博物館は日本武道館に併設されている |
× |
格闘技イベント「UFC」の体重別階級では、体重がちょうど100kgの格闘家はヘビー級に分類される |
○ |
格闘技イベント「UFC」の体重別階級では、体重がちょうど100kgの格闘家はスーパーヘビー級に分類される |
× |
東京五輪のボクシングで櫻井孝雄が金メダルを獲得した階級はフライ級である |
× |
柔道の世界選手権で日本人選手が金メダルを獲得できなかった大会があった |
○ |
ジークンドーという格闘技を創始した映画俳優はブルース・リーである |
○ |
ジークンドーという格闘技を創始した映画俳優はジャッキー・チェンである |
× |
大相撲で「金星」といえば平幕力士が横綱に勝つことである |
○ |
大相撲で「金星」といえば平幕力士が三役以上の力士に勝つことである |
× |
大相撲の第27代横綱・栃木山はその名の通り栃木県出身である |
○ |
全日本プロレスのタイトルマッチ「アジアタッグ王座」はアジア出身のレスラーしか挑戦することができない |
× |
日本大相撲協会は、現役力士の自動車運転を禁止している |
○ |
現在、運営されている大相撲の相撲部屋は、すべて東京都にある |
× |
かつてスタン・ハンセンとともに「超獣コンビ」を結成していた今は亡きプロレスラーはブルーザー・ブロディである |
○ |
かつてスタン・ハンセンとともに「超獣コンビ」を結成していた今は亡きプロレスラーはテリー・ゴーディである |
× |
柔道漫画にちなんで「YAWARAちゃん」と呼ばれた女性柔道家は谷亮子である |
○ |
柔道漫画にちなんで「YAWARAちゃん」と呼ばれた女性柔道家は谷本歩実である |
× |
大相撲の歴代横綱で全勝優勝が最も多いのは大鵬である |
○ |
大相撲の新弟子検査は何歳であっても受けることができる |
× |
大相撲の新弟子検査では学力試験もおこなわれる |
× |
大相撲で、1045勝という通算勝利数の歴代1位記録を保持する力士は元横綱・千代の富士貢である |
○ |
大相撲で、1045勝という通算勝利数の歴代1位記録を保持する力士は大関・魁皇博之である |
× |
大相撲の本場所で懸賞幕を持って土俵を一周するのは呼出である |
○ |
大相撲の本場所で懸賞幕を持って土俵を一周するのは行司である |
× |
タイの国技・ムエタイで史上初の外国人王者となった格闘家は藤原敏男である |
○ |
タイの国技・ムエタイで史上初の外国人王者となった格闘家は小笠原仁である |
× |
北京五輪の女子柔道において谷本歩実は全て一本勝ちで金メダルを獲得した |
○ |
日本の国立大学を卒業後に大相撲の力士となった人がいる |
○ |
五輪の柔道で2度金メダルを獲得した谷亮子も世界柔道選手権では1度も優勝したことがない |
× |
女子レスリングの伊調姉妹は北京五輪で共に金メダルを獲得した |
× |
五輪のレスリングに出場する選手は、病気に感染することを防ぐため、試合前に血液検査を受けることが義務付けられている |
× |
「グレイシーハンター」と呼ばれた格闘家・桜庭和志が最初に闘ったグレイシー一族はホイラー・グレイシーである |
○ |
「グレイシーハンター」と呼ばれた格闘家・桜庭和志が最初に闘ったグレイシー一族はヘンゾ・グレイシーである |
× |
「グレイシー・ハンター」と呼ばれた格闘家・桜庭和志がグレイシー一族との試合で負けてしまったことがある |
○ |
1963年に設立されたWWWFを前身とする、世界最大のプロレス団体はWWEである |
○ |
1963年に設立されたWWWFを前身とする、世界最大のプロレス団体はTNAである |
× |
936連勝という記録を残したといわれ、「鉄人」とも呼ばれた往年のプロレスラーはルー・テーズである |
○ |
936連勝という記録を残したといわれ、「鉄人」とも呼ばれた往年のプロレスラーはカール・ゴッチである |
× |
小島聡、大谷晋二郎、大森隆男ら数多くのプロレスラーを輩出した東京・浅草にあるジムはアニマル浜口ジムである |
○ |
小島聡、大谷晋二郎、大森隆男ら数多くのプロレスラーを輩出した東京・浅草にあるジムは栗巣ジムである |
× |
柔道が初めて正式種目となった東京五輪では日本人選手が全階級で金メダルを獲得した |
× |
センダイガールズプロレスリングが主催する、若手女子レスラーのためのイベントは「じゃじゃ馬トーナメント」である |
○ |
センダイガールズプロレスリングが主催する、若手女子レスラーのためのイベントは「おてんばトーナメント」である |
× |
大相撲で、外国人力士は原則として一部屋に一人しか所属できない |
○ |
大相撲で春日野部屋や北の湖部屋、武蔵川部屋が属するのは出羽海一門である |
○ |
大相撲の土俵上で、取組前に清めのために投げるものは砂糖である |
× |
プロボクシングで各ラウンド間のインターバルの時間は1分間である |
○ |
プロボクシングで各ラウンド間のインターバルの時間は3分間である |
× |
世界柔道選手権で日本人の女子選手として初めて金メダルを獲得したのはもちろん谷亮子である |
× |
国立競技場で格闘技の試合がおこなわれたことがある |
○ |
現在、五輪の柔道では1人の選手が複数の階級に出場することはできない |
○ |
現在大相撲が開催されている両国国技館が開館したのは平成に入ってからである |
× |
ハワイ出身の元横綱である曙太郎と武蔵丸光洋は2人とも日本に帰化している |
○ |
1973年に学生相撲出身者として初めての横綱となった力士は輪島である |
○ |
1973年に学生相撲出身者として初めての横綱となった力士は琴櫻である |
× |
プロレスの試合で、カベジェラ・コントラ・カベジェラといえば髪の毛をかけた試合のことである |
○ |
プロレスの試合で、カベジェラ・コントラ・カベジェラといえば引退をかけた試合のことである |
× |
韓国の国技・テコンドーでは足を使った攻撃(キック)は反則となる |
× |
韓国の国技・テコンドーでは試合中に相手を投げても反則にはならない |
× |
ロシアの格闘技・サンボでは相手を投げたら反則負けとなる |
× |
中国の格闘技・散打では試合中に相手を投げても反則にはならない |
○ |
タイの国技・ムエタイでは試合中に相手を投げても反則にはならない |
× |
1976年2月、アントニオ猪木が「格闘技世界一決定戦」で最初に闘った相手はウィリアム・ルスカである |
○ |
1976年2月、アントニオ猪木が「格闘技世界一決定戦」で最初に闘った相手はモハメド・アリである |
× |
日本では法律により男子プロレスラーと女子プロレスラーが試合をすることは禁じられている |
× |
アントニオ猪木が異種格闘技戦で闘った相手の中には五輪の柔道で金メダルを獲得したことがある者もいた |
○ |
アントニオ猪木が異種格闘技戦で闘った相手の中には大相撲の現役の横綱もいた |
× |
アントニオ猪木が「格闘技世界一決定戦」で闘った相手の中には日本人の格闘家もいた |
× |
総合格闘技のビッグイベント「UFC」の歴代世界王者は全員アメリカ人である |
× |
総合格闘技イベント「UFC」に初めて参戦した日本人格闘家は市原海樹である |
○ |
アメリカの格闘技イベント「UFC」の世界王者を獲得した日本人格闘家はいない |
○ |
柔道は、五輪だけでなくパラリンピックの正式種目にも採用されている |
○ |
大相撲の三役の中でもっとも位が高いのは大関である |
○ |
大相撲の三役の中でもっとも位が高いのは関脇である |
× |
1967年に国際プロレスに登場した史上初の日本人覆面レスラーは覆面太郎である |
○ |
1967年に国際プロレスに登場した史上初の日本人覆面レスラーは覆面大王である |
× |
男女を通じ、日本人として世界柔道選手権での最多優勝回数を誇る柔道家は谷亮子である |
○ |
毎年2月に開催される「日本大相撲トーナメント」を主催するテレビ局はフジテレビである |
○ |
毎年2月に開催される「日本大相撲トーナメント」を主催するテレビ局は日本テレビである |
× |
大相撲で試合開始から5分たっても決着がつかない場合は時間切れ引き分けとなる |
× |
2002年にプロレスラー・長州力が旗揚げしたプロレス団体はWJプロレスである |
○ |
2002年にプロレスラー・長州力が旗揚げしたプロレス団体はRJプロレスである |
× |
2008年に旗揚げされた格闘技イベント「THE OUTSIDER」のプロデューサーを務める元格闘家は前田日明である |
○ |
大相撲で本場所で優勝したことが1度もないのに横綱になった人がいる |
○ |
「16文キック」で知られたジャイアント馬場の、本当の足のサイズは16文(約39cm)より小さかった |
○ |
「16文キック」で知られたジャイアント馬場の、本当の足のサイズは16文(約39cm)より大きかった |
× |
2009年6月に、大相撲の力士として初めてモンゴルの国民栄誉賞を受賞したのは朝青龍である |
○ |
2009年6月に、大相撲の力士として初めてモンゴルの国民栄誉賞を受賞したのは白鵬である |
× |
元世界ヘビー級王者のマイク・タイソンは五輪のボクシングで金メダルを獲得している |
× |
元横綱の曙は、K-1ルールの試合で勝利を収めたことはない |
× |
元横綱の曙が、K-1で初勝利を記録した時の対戦相手は角田信朗である |
○ |
元横綱の曙が、K-1で初勝利を記録した時の対戦相手は武蔵である |
× |
現在の大相撲の土俵の大きさは江戸時代よりも若干大きい |
○ |
アマチュアレスリングでフォール勝ちするには相手の肩を1秒間地面につけなければならない |
○ |
アマチュアレスリングでフォール勝ちするには相手の肩を3秒間地面につけなければならない |
× |
プロレスで、相手の肩を数秒間マットにつけて勝つことをフォール勝ちという |
○ |
プロレスで、相手の肩を数秒間マットにつけて勝つことをギブアップ勝ちという |
× |
かつて新日本プロレスで活躍したタッグチーム「烈風隊」とはスーパー・ストロング・マシンとジョージ高野のコンビである |
○ |
かつて新日本プロレスで活躍したタッグチーム「烈風隊」とはスーパー・ストロング・マシンと高野俊二のコンビである |
× |
1993年に、フジテレビのイベント『LIVE UFO』の一企画として始まった格闘技イベントは「K-1 GRAND
PRIX」である |
○ |
1993年に、フジテレビのイベント『LIVE UFO』の一企画として始まった格闘技イベントは「PRIDE GRAND
PRIX」である |
× |
日本国内で最も活躍したプロボクシングのトレーナーに贈られる賞はエディ・タウンゼント賞である |
○ |
日本国内で最も活躍したプロボクシングのトレーナーに贈られる賞はアルビン・カーン賞である |
× |
大相撲で、幕内通算勝利数の歴代1位記録を保持する力士は大関・魁皇博之である |
○ |
大相撲で、幕内通算勝利数の歴代1位記録を保持する力士は元横綱・千代の富士貢である |
× |
東京ドーム史上、もっとも多くの観客を集めたイベントはアントニオ猪木の引退興行である |
× |
2003年にWBA世界フェザー級王者となったプロボクサー、クリス・ジョンの出身国はインドネシアである |
○ |
2003年にWBA世界フェザー級王者となったプロボクサー、クリス・ジョンの出身国はインドである |
× |
「16文キック」で知られたジャイアント馬場が、プロ野球選手だったときの背番号は偶然にも「16」であった |
× |
大相撲で、大関在位場所数で歴代1位の記録を保持するのは千代大海龍二である |
○ |
大相撲で、幕内在位場所数で歴代1位の記録を保持するのは魁皇博之である |
○ |
大相撲で、幕内在位場所数で歴代1位の記録を保持するのは千代大海龍二である |
× |
日本では、小学生であってもプロレスラーとして活動することができる |
○ |
ボクシングで頭やヒジで相手を攻撃した時にとられる反則はバッティングである |
○ |
ボクシングで頭やヒジで相手を攻撃した時にとられる反則はローブローである |
× |
プロボクシングの試合では5秒以内であれば、どんな反則をしてもかまわない |
× |
元世界ヘビー級王座のマイク・タイソンは日本人のプロボクサーとも試合をおこなったことがある |
× |
プロボクシングの試合では普通、1ラウンドは5分である |
× |
プロボクシングの主要4団体において世界王者となった中国人がいる |
× |
大相撲で、横綱の土俵入りの際に横綱の先に立って道を開く役目の力士のことを露払いという |
○ |
大相撲で、横綱の土俵入りの際に横綱の先に立って道を開く役目の力士のことを太刀持ちという |
× |
1986年にマイク・タイソンが初めてボクシング世界王者になった時の対戦相手はトレバー・バービックである |
○ |
1986年にマイク・タイソンが初めてボクシング世界王者になった時の対戦相手はトニー・タッカーである |
× |
今は亡きプロレスラー・ジャイアント馬場は干支でいうと午(うま)年の生まれであった |
× |
大相撲の本場所で使用する土俵の東西は実際の方角と同じように作られている |
× |
大相撲の力士が闘う場所はリングである |
× |
日本人プロレスラー第1号はもちろん力道山である |
× |
大相撲の第29代横綱・宮城山はその名の通り宮城県出身である |
× |
格闘家ミルコ・クロコップの妻は元クロアチア代表のサッカー選手ダボル・スーケルの妹である |
○ |
格闘家ミルコ・クロコップの妻は元クロアチア代表のサッカー選手ズボニミール・ボバンの妹である |
× |
大相撲の第54代横綱・輪島は輪島塗で有名な石川県出身である |
○ |
総合格闘技のイベント「DREAM」でもっとも軽い階級はライト級である |
○ |
日本にちなんだ名前で活躍する格闘家のムリーロ・ニンジャとマウリシオ・ショーグンは実の兄弟である |
○ |
江戸時代に行われた相撲は女性は観戦できなかった |
○ |
全日本プロレスの運営に大きな影響を与えた馬場元子といえば故・ジャイアント馬場の妻である |
○ |
全日本プロレスの運営に大きな影響を与えた馬場元子といえば故・ジャイアント馬場の妹である |
× |
大相撲には「横綱審議委員会」だけでなく「大関審議委員会」という組織も存在する |
× |
横綱審議委員会ができたのは第二次世界大戦の後である |
○ |
亀田興毅はサウスポースタイルのボクサーである |
○ |
1964年の東京五輪ボクシングヘビー級の金メダリストはジョー・フレージャーである |
○ |
1964年の東京五輪ボクシングヘビー級の金メダリストはジョージ・フォアマンである |
× |
ガッツ石松がプロボクシング世界王者を獲得した階級はミドル級である |
× |
日本でも活躍した懐かしのプロレスラー、ボボ・ブラジルはその名のとおりブラジル人である |
× |
北朝鮮でプロレスの試合がおこなわれたことがある |
○ |
「シュートボクシング」とはサッカーのシュートの動作を参考に考案された、キックだけで闘う格闘技である |
× |
大相撲の第57代横綱・三重ノ海はその名の通り三重県出身である |
○ |
横綱審議委員会の初代委員長や相撲博物館の初代館長を務めた人物は酒井忠正である |
○ |
横綱審議委員会の初代委員長や相撲博物館の初代館長を務めた人物は舟橋聖一である |
× |
プロレス団体・NOAHでは所属選手が50歳になったら現役を引退しなければならない |
× |
その闘い方が「蝶のように舞い蜂のように刺す」と例えられたプロボクサーはモハメド・アリである |
○ |
その闘い方が「蝶のように舞い蜂のように刺す」と例えられたプロボクサーはマイク・タイソンである |
× |
大相撲の第65代横綱・貴乃花と第66代横綱・若乃花は兄弟である |
○ |
東京五輪のボクシングで桜井孝雄が金メダルを獲得した階級はバンタム級である |
○ |
東京五輪のボクシングで桜井孝雄が金メダルを獲得した階級はフライ級である |
× |
大相撲の元関脇・水戸泉はその四股名のとおり茨城県水戸市の出身である |
○ |
現在、大相撲で活躍する力士の中には韓国出身の者もいる |
○ |
格闘技団体・パンクラスの中で総合格闘技ではなく、プロレスで活動する選手が集まる部門はPANCRASE
MISSIONである |
○ |
五輪のレスリングで日本人として初めて2大会連続で金メダルを獲得したのは上武洋次郎である |
○ |
五輪のレスリングで日本人として初めて2大会連続で金メダルを獲得したのは笹原正三である |
× |
覆面プロレスラーのスペル・デルフィンが、メキシコで修行をしていた頃に名乗っていたリングネームはモモタローである |
○ |
覆面プロレスラーのスペル・デルフィンが、メキシコで修行をしていた頃に名乗っていたリングネームはキンタローである |
× |
1963年に初来日を果たし「白覆面の魔王」と呼ばれた覆面レスラーはザ・デストロイヤーである |
○ |
1963年に初来日を果たし「白覆面の魔王」と呼ばれた覆面レスラーはミル・マスカラスである |
× |
五輪の柔道で選手が着用する柔道着はどんな色でもかまわない |
× |
過激なルールで知られるミャンマーの格闘技、ラウェイは試合中に相手にかみついても反則にはならない |
× |
2010年に、東京にある遊園地によって設立されたプロレス団体は「ハナヤシキプロレス」である |
○ |
2010年に、東京にある遊園地によって設立されたプロレス団体は「トシマエンプロレス」である |
× |
元プロレスラーのアントニオ猪木はノーベル平和賞を受賞している |
× |
黒人として、史上初めて世界ヘビー級王者となったプロボクサーはジャック・ジョンソンである |
○ |
黒人として、史上初めて世界ヘビー級王者となったプロボクサーはジョー・ルイスである |
× |
1983年にIBFの初代世界ヘビー級王者となったプロボクサーはラリー・ホームズである |
○ |
1983年にIBFの初代世界ヘビー級王者となったプロボクサーはレオン・スピンクスである |
× |
1994年、ヒクソン・グレイシーの道場へ道場破りをしたものの返り討ちにあった日本人格闘家は安生洋二である |
○ |
1994年、ヒクソン・グレイシーの道場へ道場破りをしたものの返り討ちにあった日本人格闘家は高田延彦である |
× |
日本人が五輪で初めてメダルを獲得した競技はテニスである |
○ |
日本人が五輪で初めてメダルを獲得した競技はレスリングである |
× |
「K-1 GRAND PRIX」で初めて連覇を達成した格闘家はピーター・アーツである |
○ |
アジア初のボクシング世界王者パンチョ・ビラの出身国はフィリピンである |
○ |
日本ではプロボクサーになるためには20歳までにプロテストに合格しなければならない |
× |
6階級制覇を達成したボクサー、オスカー・デ・ラ・ホーヤが最初に世界王者になった階級はスーパーフェザー級である |
○ |
6階級制覇を達成したボクサー、オスカー・デ・ラ・ホーヤが最初に世界王者になった階級はスーパーライト級である |
× |
大相撲で、1回の取組の中で1人の力士が「待った」を3回かけると反則負けとなる |
× |
新日本プロレスのルールでは試合中に履いていたタイツが脱げたら反則負けとなる |
× |
大相撲出身のタレント・KONISHIKIの力士時代の最高位は大関である |
○ |
大相撲出身のタレント・KONISHIKIの力士時代の最高位は横綱である |
× |
大相撲の親方には定年制が採用されている |
○ |
プロレス専門学校・闘龍門を設立した覆面レスラーはウルティモ・ドラゴンである |
○ |
プロレス専門学校・闘龍門を設立した覆面レスラーはドラゴン・キッドである |
× |
名ボクサー、モハメド・アリの現役最後の試合の対戦相手を務めたのはトレバー・バービックである |
○ |
名ボクサー、モハメド・アリの現役最後の試合の対戦相手を務めたのはラリー・ホームズである |
× |
1882年に嘉納治五郎が創始した武道は柔道である |
○ |
1882年に嘉納治五郎が創始した武道は合気道である |
× |
和歌山県出身の武道家・植芝盛平が創始した武術は合気道である |
○ |
和歌山県出身の武道家・植芝盛平が創始した武術は柔術である |
× |
大相撲で、本場所で69連勝という不滅の記録を残した大横綱は双葉山である |
○ |
大相撲で、本場所で69連勝という不滅の記録を残した大横綱は千代の富士である |
× |
大相撲の土俵の直径は江戸時代から全く変わってない |
× |
その残虐非道なファイトスタイルから「インドの狂虎」と呼ばれたなつかしの悪役レスラーはタイガー・ジェット・シンである |
○ |
その残虐非道なファイトスタイルから「インドの狂虎」と呼ばれたなつかしの悪役レスラーはザ・シークである |
× |
「プロレスラー・ハンター」と呼ばれた格闘家のミルコ・クロコップが、日本人レスラーを相手に勝てなかった試合があった |
○ |
日本の大相撲の横綱と韓国相撲・シルムの横綱によるアジアの相撲最強決定戦が開催されたことがある |
× |
公式戦203連勝という不滅の記録で知られる柔道家は小川直也である |
× |
テコンドーの2大団体・ITFとWTFのうち、五輪のルールが採用されているのはWTFである |
○ |
テコンドーの2大団体・ITFとWTFのうち、五輪のルールが採用されているのはITFである |
× |
日本では、プロボクサーは37歳になったら必ず引退しなければならない |
× |
アテネ、北京と2度の五輪で金メダルを獲得し、2010年に引退を表明した女子柔道選手は谷本歩実である |
○ |
アテネ、北京と2度の五輪で金メダルを獲得し、2010年に引退を表明した女子柔道選手は谷亮子である |
× |
シドニー、アテネと2度の五輪で金メダルを獲得し、2010年に引退を表明した女子柔道選手は谷亮子である |
○ |
シドニー、アテネと2度の五輪で金メダルを獲得し、2010年に引退を表明した女子柔道選手は谷本歩実である |
× |
五輪の女子柔道で日本人として初めて金メダルを獲得したのはもちろん谷亮子である |
× |
かつて覆面レスラー「ザ・コブラ」として活躍した元新日本プロレスのレスラーはジョージ高野である |
○ |
かつて覆面レスラー「ザ・コブラ」として活躍した元新日本プロレスのレスラーは高野拳磁である |
× |
五輪の女子柔道、女子テコンドー女子レスリングは、いずれも48kg級が最軽量階級である |
× |
1993年に外国人力士として初めて横綱に昇進したのは曙である |
○ |
1993年に外国人力士として初めて横綱に昇進したのは武蔵丸である |
× |
プロレスラーでも五輪のアマチュアレスリングに出場することができる |
○ |
プロボクシングの試合で採点が引き分けだった場合は必ず延長戦が行われる |
× |
プロレスラーのアントニオ猪木とジャイアント馬場がシングルマッチで対戦したことは1度もなかった |
× |
プロレス技「コブラツイスト」を初めて使ったプロレスラーはアントニオ猪木である |
× |
毎年、春におこなわれる全日本プロレスの看板シリーズは「チャンピオンカーニバル」である |
○ |
毎年、春におこなわれる全日本プロレスの看板シリーズは「世界最強タッグリーグ」である |
× |
藤原喜明が得意としたことから海外ではフジワラ・アームバーとも呼ばれるプロレスの技は脇固めである |
○ |
藤原喜明が得意としたことから海外ではフジワラ・アームバーとも呼ばれるプロレスの技は腕ひしぎ逆十字固めである |
× |
プロレスラー・橋本大地のデビュー戦の相手を務めたのは彼の父・橋本真也の盟友だった蝶野正洋である |
○ |
プロレスラー・橋本大地のデビュー戦の相手を務めたのは彼の父・橋本真也の盟友だった武藤敬司である |
× |
プロボクシングで選手が怪我をしている場合にはヘッドギアを着用して試合をしてもかまわない |
× |
日本プロボクシング協会はコンタクトレンズを着用して試合をすることを禁止している |
× |
1991年大相撲5月場所で初日に貴花田に敗れた千代の富士はその日に引退を表明した |
× |
レスリング女子日本代表は北京五輪の全ての階級でメダルを獲得した |
○ |
若貴兄弟とその父親である元大関貴ノ花の3人の力士全員と対戦した力士がいる |
○ |
2008年に、スペル・デルフィンによって旗揚げされたプロレス団体は沖縄プロレスである |
○ |
2008年に、スペル・デルフィンによって旗揚げされたプロレス団体は大阪プロレスである |
× |
1965年に大相撲初の海外公演が行われた国はソ連である |
○ |
1965年に大相撲初の海外公演が行われた国は中国である |
× |
日本でも人気だった格闘家のボブ・サップは現在・韓国で催眠術師として活躍している |
○ |
日本でも人気だった格闘家のボブ・サップは現在・韓国で占星術師として活躍している |
× |
日本人初のボクシング世界王者・白井義男は日本フライ級の初代王者でもある |
× |
2011年7月に引退した大相撲の元大関・魁皇博之は、通算1047勝の最多勝利記録を誇りながら1度も幕内での優勝がなかった |
× |
大相撲において、連勝中の力士が優勝決定戦に敗れても本場所での連勝記録はそのまま続けてカウントされる |
○ |
K-1などで活躍した元格闘家の武蔵は先祖が宮本武蔵であることからリングネームをつけた |
× |
大相撲で、本場所での通算勝利数が魁皇博之に次いで2番目に多いのは高見山大五郎である |
× |
国際柔道連盟・IJFの本部がある都市はソウルである |
× |
メキシコのプロレス団体・AAAにに所属するプロレスラーは、全員覆面レスラーである |
× |
「YAWARAちゃん」の愛称でおなじみの元・柔道選手、谷亮子は、国民栄誉賞を受賞している |
× |
2007年12月に、格闘家・閻文凱を相手にK-1デビューをした元プロ野球選手は立川隆史である |
○ |
2007年12月に、格闘家・閻文凱を相手にK-1デビューをした元プロ野球選手は古木克明である |
× |
2010年の大晦日に、アンディ・オロゴンを相手に総合格闘家としてデビューした元プロ野球選手は古木克明である |
○ |
2010年の大晦日に、アンディ・オロゴンを相手に総合格闘家としてデビューした元プロ野球選手は立川隆史である |
× |
大相撲で力士のまわしが外れてしまうと外れた力士の負けとなる |
○ |
2012年3月に「総合格闘家としてデビューする」と発表し話題となったのは、ブラジルの元サッカー選手、ロナウドである |
○ |
2012年1月、全日本プロレスのリングで現役引退を発表した悪役レスラーはタイガー・ジェット・シンである |
× |
大日本プロレスが認定する「ストロングヘビー級王座」の初代チャンピオンは佐々木義人である |
○ |
相撲で手刀を切る順番は左、右、真ん中である |
○ |
相撲で手刀を切る順番は右、左、真ん中である |
× |
ブルガリア出身の力士・琴欧洲は明治ブルガリアヨーグルトのCMに出演したことがある |
○ |
上野雅恵・順恵の姉妹が五輪で揃ってメダルを獲得した競技はレスリングである |
× |
2012年に日本人初となるWBC名誉王者となったプロボクサーは西岡利晃である |
○ |
アントニオ猪木は異種格闘技戦では1度も負けたことがない |
× |
2004年のアテネ五輪から3大会連続で、レスリング・女子63kg級で金メダルを獲得したのは伊調馨である |
○ |
2004年のアテネ五輪から3大会連続で、レスリング・女子63kg級で金メダルを獲得したのは伊調千春である |
× |
2012年のロンドン五輪で父親が女子レスリング日本代表コーチを務めた選手は吉田沙保里である |
○ |
2014年の秋場所で大相撲史上最速の初土俵から5場所目で金星を獲得した力士は遠藤である |
× |
アームレスリングでは競技台から肘が浮くとファールになる |
○ |
2012年の大相撲名古屋場所で29年ぶりの全勝対決となった千秋楽の取組に勝利し優勝した力士は白鵬である |
× |
大相撲で、千秋楽終了後に成績トップで4人並んだ場合トーナメント戦を行い優勝を決める |
○ |
大相撲で、千秋楽終了後に成績トップで複数並んだ場合じゃんけんで優勝者を決める |
× |
総合格闘技等で活躍したものの、2013年の全日本実業団体対抗大会より柔道選手として復帰したのは小川直也である |
× |
2013年11月にプロボクサーとしてデビューした、キマグレンのメンバーはISEKIである |
× |
2012年に、カードゲームなどで知られる会社・ブシロードの子会社となったプロレス団体は新日本プロレスである |
○ |
2014年に大相撲の現役横綱として初の大学院生となった力士は日馬富士である |
○ |
五輪の柔道は、1964年の東京五輪以降、毎回必ず実施されている |
× |
2016年9月に開催された格闘技イベント・RIZINで総合格闘技イベントデビューしたレスリング選手は山本聖子である |
× |
大相撲が年6場所制になってから各場所全て異なる6人の力士が優勝した年がある |
○ |
1960年代に柏鵬時代を築いた大相撲の柏戸と大鵬は同時に横綱に昇進した |
○ |
プロボクシングで、ヘビー級の世界王者となった日本人は現在までのところ一人もいない |
○ |
大相撲のアナウンス放送で決まり手をアナウンスするのは行司である |
○ |
大相撲のアナウンス放送で決まり手をアナウンスするのは呼び出しである |
× |
大相撲の行司で最も位が高いのは木村庄之助である |
○ |
元プロレスラー・佐々木健介が2014年2月11日に行われた現役最後の試合で対戦したのは愛弟子の中嶋勝彦である |
○ |
アントニオ猪木のテーマ曲『イノキ・ボンバイエ』はもともと力道山のテーマ曲だった |
× |
プロレスラーのジャンボ鶴田が日本代表として、長州力が韓国代表として出場したのは1972年のミュンヘン五輪である |
○ |
大相撲の大関稀勢の里の所属部屋は田子ノ浦部屋である |
○ |
大相撲の大関稀勢の里の所属部屋は伊勢ヶ濱部屋である |
× |
大相撲の歴史上、最も多くの横綱を輩出した相撲部屋は出羽海部屋である |
○ |
1964年の東京五輪には沖縄在住の参加選手もいた |
× |
通算71引き分けと歴代横綱の中で最も引き分け数が多いのは大砲万上エ門である |
× |
今は亡きプロレスラー・ジャイアント馬場は異種格闘技戦で1度も負けたことがなかった |
○ |
大相撲の決まり手「褄取り(つまとり)」を過去に幕内で唯一使用した力士は武蔵丸である |
× |
大相撲の歴代横綱で最も体重が軽かった力士は栃木山守也である |
○ |
大相撲の歴代横綱で最も背が低かった力士は秀ノ山雷五郎である |
○ |
1995年にみちのくプロレスが開催した「第1回ふく面ワールドリーグ戦」で優勝したレスラーはドス・カラスである |
○ |
2014年に大相撲史上初となるファンも参加できる断髪式を行なった元力士は把瑠都である |
○ |
日本のボクシングのプロテストは筆記テストも含まれる |
○ |
大相撲で幕内と呼ばれる階級は前頭から上である |
○ |
大相撲で幕内と呼ばれる階級は十両から上である |
× |
世界選手権と五輪を合わせ、男女を通じ最多の「通算16大会連覇」の記録を残したレスリング選手は伊調馨である |
× |
相撲の力士は髪の毛がなくなって髷が結えなくなると引退しないといけない |
× |
大相撲で、ヨーロッパ出身の力士として初めて幕内優勝を果たしたのは琴欧洲勝紀である |
○ |
大相撲で、ヨーロッパ出身の力士として初めて幕内優勝を果たしたのは把瑠都凱斗である |
× |
大相撲の外国人力士で本場所での優勝回数がもっとも多いのは白鵬翔である |
○ |
2016年11月に行われたボクシング元世界6階級王者マニー・パッキャオの復帰戦の相手はフロイド・メイウェザーだった |
× |
ボクシング史上に残る名ボクサーモハメド・アリが信仰していた宗教はイスラム教である |
○ |
2016年のリオデジャネイロ五輪で日本は女子柔道の全階級でメダルを獲得した |
× |
2016年のリオデジャネイロ五輪男子レスリングで銀メダルを獲得した太田忍のニックネームは忍者レスラーである |
○ |
2016年のリオデジャネイロ五輪男子レスリングで銀メダルを獲得した太田忍は、フリースタイルの選手である |
× |
2016年のリオデジャネイロ五輪女子レスリング58キロ級で優勝し、女子では史上初の4連覇を達成したのは伊調馨である |
○ |
大相撲の元横綱、貴乃花は小学校高学年を対象にした相撲大会、わんぱく相撲でも横綱の称号を得ている |
○ |
大相撲の弓取り式で力士が弓を落とした場合は手ではなく足で拾う |
○ |
歌手の安室奈美恵が段位を持っている武道は琉球空手である |
○ |
歌手の安室奈美恵が段位を持っている武道は合気道である |
× |
大相撲で、対戦相手を足でけるのは反則である |
○ |
大相撲で、幕内に在位した場所数が魁皇博之に次いで2番目に長いのは高見山大五郎である |
○ |
大相撲名古屋場所の会場となる愛知県体育館は観客が投げるのを防ぐために隣り合う座布団を紐で結んでいる |
× |
2013年12月にデビューしたプロレスラー・力(ちから)の祖父は力道山である |
○ |
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その他 |
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2016年の卓球ワールドカップ・女子シングルスで、中国勢以外では初となる優勝を飾った選手は平野美宇である |
○ |
2016年の卓球ワールドカップ・女子シングルスで、中国勢以外では初となる優勝を飾った選手は伊東美誠である |
× |
2016年のテニス全日本選手権・男子シングルスで、18歳6ヶ月と史上2番目の若さでの優勝を果たしたのは綿貫陽介である |
○ |
2016年のテニス全日本選手権・男子シングルスで、18歳6ヶ月と史上2番目の若さでの優勝を果たしたのは西岡良仁である |
× |
2016年のスーパーフォーミュラ年間王者に輝いたレーサーは関口雄飛である |
× |
2016-2017シーズンのスピードスケートW杯で、日本人では清水宏保以来2人目の開幕3連勝を飾ったのは小平奈緒である |
○ |
2016年のF1世界王者に輝いたレーサーはルイス・ハミルトンである |
× |
2015年度のF1世界王者に輝いたのはセバスチャン・ベッテルである |
× |
2012年に、NHLのスタンレーカップを制したチームはロサンゼルス・キングスである |
○ |
2012年に、NHLのスタンレーカップを制したチームはニュージャージー・デビルスである |
× |
2012年のロンドン五輪で日本選手団の主将を務めたのは男子やり投げの選手・村上幸史である |
○ |
2012年のロンドン五輪で日本選手団の主将を務めたのは男子砲丸投げの選手・室伏広治である |
× |
2014年のソチ冬季五輪より新種目としてリュージュのリレーが採用される |
○ |
2014年のソチ冬季五輪より新種目としてボブスレーのリレーが採用される |
× |
2011年の四大陸選手権・男子シングルで優勝したフィギュアスケート選手は高橋大輔である |
○ |
2011年の四大陸選手権・男子シングルで優勝したフィギュアスケート選手は羽生結弦である |
× |
2011年の四大陸選手権・女子シングルで優勝したフィギュアスケート選手は安藤美姫である |
○ |
2011年の四大陸選手権・女子シングルで優勝したフィギュアスケート選手は浅田真央である |
× |
2011年のフィギュアスケート選手権・女子シングルで優勝した選手は安藤美姫である |
○ |
従来は男子のみ行われていたが2014年のソチ冬季五輪より女子種目が採用されることになった競技はスキー・ジャンプである |
○ |
従来は男子のみ行われていたが2014年のソチ冬季五輪より女子種目が採用されることになった競技はノルディック複合である |
× |
2011年に、同じくビーチバレー選手の西村晃一と結婚した女子ビーチバレーの人気選手は菅山かおるである |
○ |
2011年に、同じくビーチバレー選手の西村晃一と結婚した女子ビーチバレーの人気選手は浅尾美和である |
× |
2011年のユニコーンステークスを制した競走馬・アイアムアクトレスの名付け親である女優は川島なお美である |
○ |
2010−2011シーズンにNHLのスタンレー杯を制したアイスホッケーチームはバンクーバー・カナックスである |
× |
2018年に冬季五輪が開催される平昌は韓国にある |
○ |
2018年に冬季五輪が開催される平昌は中国にある |
× |
2011年の世界水泳選手権・上海大会で、最多となる5つの金メダルを獲得した競泳選手はライアン・ロクテである |
○ |
2012年のロンドン五輪において日本選手団の団長を務めるのは元柔道選手の上村春樹である |
○ |
2012年のロンドン五輪において日本選手団の団長を務めるのは元体操選手の塚原光男である |
× |
2011年10月に開催されたエフワン日本グランプリで優勝したレーサーはセバスチャン・ベッテルである |
× |
2011年12月に日刊スポーツ新聞社が創刊した月刊紙は「月刊AKB48グループ新聞」である |
○ |
2011年12月に開催された「ジャパンXボウル」を制したアメリカンフットボールチームはオービックシーガルズである |
○ |
2011年12月に開催された「ジャパンXボウル」を制したアメリカンフットボールチームは富士通フロンティアーズである |
× |
ラグビーのナショナルチームで「オールブラックス」とよばれるのはニュージーランド代表である |
○ |
ラグビーのナショナルチームで「オールブラックス」とよばれるのはオーストラリア代表である |
× |
クレー射撃の種目で1枚のクレーに対して1発しか弾を撃てないのはスキートである |
○ |
クレー射撃の種目で1枚のクレーに対して1発しか弾を撃てないのはトラップである |
× |
クレー射撃の標的となるクレーの直径は10cmより大きい |
○ |
ボウリングのマナーでは左右の人が同時に投げようとした時、優先権があるのは右の人である |
○ |
ボウリングのマナーでは左右の人が同時に投げようとした時、優先権があるのは左の人である |
× |
ボート競技においてゴールしたと認められるのは船首がゴールラインを通過した時である |
○ |
ボート競技においてゴールしたと認められるのは船尾がゴールラインを通過した時である |
× |
ラグビーの日本代表が試合で着用するジャージのエンブレムに描かれている花は桜である |
○ |
ラグビーの日本代表が試合で着用するジャージのエンブレムに描かれている花は菊である |
× |
高橋尚子が五輪の女子マラソンで金メダルを獲得したのはシドニー大会である |
○ |
高橋尚子が五輪の女子マラソンで金メダルを獲得したのはアトランタ大会である |
× |
テニスの全豪オープンの優勝者には、表彰式の際にカンガルーのぬいぐるみが贈られる |
○ |
競馬で耳にする距離の単位「1ハロン」は100mよりも長い |
○ |
競馬で耳にする距離の単位「1ハロン」は100mよりも短い |
× |
競輪用の自転車にはブレーキがついていない |
○ |
体操競技の床運動は男子・女子ともに音楽を流しながら演技をおこなう |
× |
南半球の国出身のスポーツ選手が、冬季五輪で金メダルを獲得したことは一度もない |
× |
1987年に開催されたラグビーのワールドカップ第1回大会の優勝国はニュージーランドである |
○ |
1987年に開催されたラグビーのワールドカップ第1回大会の優勝国はオーストラリアである |
× |
サッカーと同じようにラグビーにも「オフサイド」という反則がある |
○ |
アメリカで初めて五輪が開催された都市はセントルイスである |
○ |
アメリカで初めて五輪が開催された都市はロサンゼルスである |
× |
ゴルフの男子日本ツアーで初めて年間獲得賞金が1億円を超えた賞金王は中嶋常幸である |
○ |
ゴルフの男子日本ツアーで初めて年間獲得賞金が1億円を超えた賞金王は尾崎将司である |
× |
2000年に、日本の女子ゴルファーとして初めて年間獲得賞金額が1億円を超えたのは不動裕理である |
○ |
2000年に、日本の女子ゴルファーとして初めて年間獲得賞金額が1億円を超えたのは福嶋晃子である |
× |
大相撲で、勝負が長引いたときに一時中断することを水入りという |
○ |
大相撲で、勝負が長引いたときに一時中断することを水揚げという |
× |
日本が夏季五輪に初参加したのは第ニ次世界大戦後である |
× |
剣道の試合で使う竹刀に長さの制限はない |
× |
剣道の試合で、選手が手に持つ道具は「バット」である |
× |
剣道の試合中に選手が竹刀を落とした場合反則となる |
○ |
剣道の公式ルールでは竹刀を2本使う二刀流も認められている |
○ |
フェンシングでは剣を2本使う二刀流も認められている |
× |
日本の中央競馬のGIレースを外国人ジョッキーが騎乗する競走馬が制したことがある |
○ |
女子ゴルフの第1回ワールドカップで優勝したのは日本である |
○ |
女子ゴルフの第1回ワールドカップで優勝したのはアメリカである |
× |
五輪のヨット競技にはエンジン付きの船艇による種目もある |
× |
人気テニス選手のマリア・シャラポワはロシアの選手である |
○ |
人気テニス選手のマリア・シャラポワはフランスの選手である |
× |
2009年にアルペンスキー選手の皆川賢太郎と結婚した女子モーグルの選手は上村愛子である |
○ |
2009年にアルペンスキー選手の皆川賢太郎と結婚した女子モーグルの選手は里谷多英である |
× |
バンクーバー五輪のアルペンスキー男子の日本代表選手・皆川賢太郎の妻はモーグルで活躍する上村愛子である |
○ |
バンクーバー五輪のアルペンスキー男子の日本代表選手・佐々木明の妻はアマレスで活躍した山本美憂である |
○ |
バンクーバー五輪のアルペンスキー男子の日本代表選手・佐々木明の妻はモーグルで活躍する上村愛子である |
× |
過去に五輪を開催したラテンアメリカの国はメキシコだけである |
○ |
20世紀最後の冬季五輪開催地は長野である |
○ |
20世紀最後の冬季五輪開催地はソルトレイクシティである |
× |
コナミスポーツクラブが協賛しているアメリカの有名なマラソン大会はホノルルマラソンである |
○ |
冬季五輪で金メダルを獲得した日本の男性選手は1人もいない |
× |
パリ・ダカールで日本人初の総合優勝を達成したドライバーは関谷正徳である |
× |
パリ・ダカール・ラリーで日本人初の総合優勝を達成したドライバーは篠塚建次郎である |
○ |
パリ・ダカール・ラリーで日本人初の総合優勝を達成したドライバーは関谷正徳である |
× |
ル・マン24時間レースで日本人初の総合優勝を達成したドライバーは関谷正徳である |
○ |
ル・マン24時間レースで日本人初の総合優勝を達成したドライバーは篠塚建次郎である |
× |
1976年に初めて開催されたエフワン日本GPを主催したのはスポーツニッポン新聞社である |
○ |
1976年に初めて開催されたエフワン日本GPを主催したのは日刊スポーツ新聞社である |
× |
日本の中央競馬では競走馬の名前にアルファベットや数字を使うことができる |
× |
1984年のロサンゼルス五輪・男子マラソンで4位に入賞した日本人ランナーは宗猛である |
○ |
1984年のロサンゼルス五輪・男子マラソンで4位に入賞した日本人ランナーは宗茂である |
× |
日本の中央競馬における平地GIレースの中で最も距離が長いのは春の天皇賞である |
○ |
日本の中央競馬における平地GIレースの中で最も距離が長いのは有馬記念である |
× |
中央競馬のGIレースの中で賞金額がもっとも高いのはジャパンカップである |
○ |
中央競馬のGIレースの中で賞金額がもっとも高いのは有馬記念である |
× |
競馬で芝コースのことを「ターフ」という |
○ |
競馬で芝コースのことを「ダート」という |
× |
日本で馬券を購入することができるのは20歳以上の人である |
○ |
日本で馬券を購入することができるのは18歳以上の人である |
× |
中央競馬の選手もプロ野球選手のように本名以外の名前を登録名にすることができる |
○ |
日本の中央競馬の騎手の中にはかつて五輪の馬術競技に出場したことがあるものもいる |
× |
競馬用語で「万馬券」とは100円が100万円になる、即ち元のお金が1万倍になる馬券のことである |
× |
女子プロテニスで、史上初めて「年間グランドスラム」を達成したプレイヤーはモーリン・コノリーである |
○ |
女子プロテニスで、史上初めて「年間グランドスラム」を達成したプレイヤーはマルチナ・ナブラチロワである |
× |
五輪で行うカヌー競技で使う二種類のカヌーといえばカヤックとカナディアンである |
○ |
五輪で行うカヌー競技で使う二種類のカヌーといえばカヤックとインディアンである |
× |
1983年に日本中央競馬史上三頭目の三冠馬となった馬はミスターシービーである |
○ |
1983年に日本中央競馬史上三頭目の三冠馬となった馬はシンボリルドルフである |
× |
バレーボールのボールはバスケットボールのボールよりも小さい |
○ |
バルセロナ五輪男子マラソンで金メダルを獲得した韓国の選手は黄永祚である |
○ |
バルセロナ五輪男子マラソンで金メダルを獲得した韓国の選手は黄善洪である |
× |
トゥクソム杯、ダービー、農林部長官杯といえば韓国競馬の三冠レースである |
○ |
トゥクソム杯、ダービー、農林部長官杯といえば香港競馬の三冠レースである |
× |
シンクロナイズドスイミングの自由演技のことをフリー・ルーティンという |
○ |
シンクロナイズドスイミングの自由演技のことをテクニカル・ルーティンという |
× |
シンクロナイズドスイミングのソロ競技は、現在、五輪の正式種目として採用されていない |
○ |
五輪の陸上競技でトラックが左回りとなったのは1900年のパリ五輪からである |
○ |
五輪の陸上競技でトラックが左回りとなったのは1904年のセントルイス大会からである |
× |
1994年のエフワンのシートを得られず浪人中だった鈴木亜久里がスポット参戦したのはパシフィックGPである |
○ |
1994年のエフワンのシートを得られず浪人中だった鈴木亜久里がスポット参戦したのは日本GPである |
× |
2009年のラグビー・全国大学選手権を制し、17度目の出場にして初の大学日本一となった大学は帝京大学である |
○ |
卓球のボールとゴルフボールでより軽いのは卓球のボールである |
○ |
ボウリングは国民体育大会で正式競技となっている |
○ |
体操競技の鉄棒で競技中に地面に落下してしまうと採点は0点となってしまう |
× |
英語で「ポメルホース」という体操の種目はあん馬である |
○ |
英語で「ポメルホース」という体操の種目は跳馬である |
× |
沖縄県にもプロバスケットボールbjリーグのチームがある |
○ |
2010年のバンクーバー五輪で日本人で初となるフィギュアスケート男子でのメダルを獲得した選手は高橋大輔である |
○ |
2010年のバンクーバー五輪で日本人で初となるフィギュアスケート男子でのメダルを獲得した選手は織田信成である |
× |
元エフワン世界王者のミハエル・シューマッハがエフワンデビューしたのは1991年のベルギーGPである |
○ |
元エフワン世界王者のミハエル・シューマッハがエフワンデビューしたのは1991年のドイツGPである |
× |
西側諸国がボイコットした1980年のモスクワ五輪において最も多く金メダルを獲得した国はもちろん、開催国のソ連である |
○ |
夏季五輪が3回以上開催された国がある |
○ |
フェンシングの種目で全身が有効面であるのはエペである |
○ |
フェンシングの種目で全身が有効面であるのはフルーレである |
× |
フェンシングの試合にはシングルスとダブルスがある |
× |
第1回近代五輪・アテネ大会に女性選手は一人も参加していない |
○ |
1896年に開催された第1回近代五輪・アテネ大会に女性選手は1人も参加しなかった |
○ |
2004年のアテネ五輪で室伏広治が金メダルを獲得した種目はハンマー投げである |
○ |
2004年のアテネ五輪で室伏広治が金メダルを獲得した種目は砲丸投げである |
× |
トリノ五輪の女子フィギュアスケートで、荒川静香がフリーの演技で使ったのは、オペラ『トゥーランドット』の曲である |
○ |
トリノ五輪の女子フィギュアスケートで、荒川静香がフリーの演技で使ったのは、オペラ『蝶々夫人』の曲である |
× |
ゴルフのクラブは番号が大きくなるほど打球面の傾斜角度が大きくなる |
○ |
ゴルフのクラブは番号が大きくなるほど打球面の傾斜角度が小さくなる |
× |
バンクーバー五輪に45歳と、冬季五輪では日本人史上最年長で出場したのはスケルトン代表の越和宏である |
○ |
バンクーバー五輪に45歳と、冬季五輪では日本人史上最年長で出場したのはスキー・ジャンプ代表の岡部孝信である |
× |
2010年のバンクーバー冬季五輪で14個と、最も多くの金メダルを獲得した国はカナダである |
○ |
2010年のバンクーバー冬季五輪で14個と、最も多くの金メダルを獲得した国はアメリカである |
× |
2010年に開催されたバンクーバー冬季五輪には100以上の国・地域が参加した |
× |
かつて夏季五輪の正式競技には絵画や文学で競う芸術競技があった |
○ |
バドミントンは五輪の正式種目ではない |
× |
硬式テニスでネットの中央部分の高さは1mよりも低い |
○ |
硬式テニスでネットの中央部分の高さは1mよりも高い |
× |
女子プロゴルファー・宮里藍の出身都道府県は沖縄県である |
○ |
女子プロゴルファー・宮里藍の出身都道府県は北海道である |
× |
2010年に、日本人として初めて世界フィギュアスケート選手権男子シングルで優勝したのは高橋大輔である |
○ |
2010年に、日本人として初めて世界フィギュアスケート選手権男子シングルで優勝したのは織田信成である |
× |
2010年のバンクーバー冬季五輪で37個と、最も多くのメダルを獲得した国はアメリカである |
○ |
2010年のバンクーバー冬季五輪で37個と、最も多くのメダルを獲得した国はカナダである |
× |
1896年の第1回夏季五輪では競泳は海で開催された |
○ |
陸上競技の110mハードルで飛び越えるハードルの数は10個である |
○ |
陸上競技の110mハードルで飛び越えるハードルの数は11個である |
× |
ボウリングで、ファウルとなったときの得点は0点である |
○ |
ボウリングで、ファウルとなったときの得点は倒したピンの半分である |
× |
世界陸上選手権は毎年開催されている |
× |
1924年に開催された第1回冬季五輪のアイスホッケーで金メダルを獲得した国はカナダである |
○ |
1924年に開催された第1回冬季五輪のアイスホッケーで金メダルを獲得した国はアメリカである |
× |
2010年4月より、青森県の八戸西高校で保健体育の教員を務めている女子アマレス選手は伊調千春である |
○ |
2010年4月より、青森県の八戸西高校で保健体育の教員を務めている女子アマレス選手は伊調馨である |
× |
安全確保のため、日本では雨が降った日は必ず競馬の開催は中止される |
× |
冬季五輪が南半球で開催されたことは1度もない |
○ |
五輪のトライアスロンの総距離は五輪のマラソンの距離よりも長い |
○ |
モータースポーツにもドーピング検査がある |
○ |
日本の中央競馬を監督する省庁は農林水産省である |
○ |
日本の中央競馬を監督する省庁は経済産業省である |
× |
毎年お正月の箱根駅伝を生中継しているテレビ局は日本テレビである |
○ |
毎年お正月の箱根駅伝を生中継しているテレビ局はフジテレビである |
× |
南半球の国で五輪を開催したのはオーストラリアだけである |
○ |
スポーツの「ラグビー」を考案したのは、イギリス人のラグビーさんである |
× |
野球に似た球技・クリケットの発祥国はイギリスである |
○ |
バレーボールのワールドカップは必ず日本で開催される |
○ |
バレーボールの世界選手権は必ず日本で開催される |
× |
お正月の箱根駅伝で往路も復路も優勝できなかった大学が総合優勝したことがある |
○ |
箱根駅伝で、史上初めて連覇を達成した大学は早稲田大学である |
○ |
箱根駅伝で、史上初めて連覇を達成した大学は中央大学である |
× |
バドミントンのシングルスの試合では、サービスは選手が5本ずつ交代でおこなう |
× |
日本バスケットボールリーグに所属するチームの選手は全てプロである |
× |
五輪の競技で、日本人の通算金メダル獲得数がもっとも多いのは柔道である |
○ |
五輪の競技で、日本人の通算金メダル獲得数がもっとも多いのはレスリングである |
× |
日本人が戦後初めて五輪で金メダルを獲得した競技はレスリングだった |
○ |
日本人が戦後初めて五輪で金メダルを獲得した競技は柔道だった |
× |
フルマラソンで時速20kmのペースで進めば2時間10分以内のタイムでゴールできる |
○ |
かつてチェスが夏季五輪の正式競技だったことがある |
× |
7人制ハンドボールの発祥国はデンマークである |
○ |
7人制ハンドボールの発祥国はドイツである |
× |
陸上競技の400m走ではクラウチングスタートをすることが義務づけられている |
○ |
北京五輪女子マラソンで完走した日本人選手は1人もいなかった |
× |
大山加奈、栗原恵といえばバスケットボールの選手である |
× |
北京五輪の正式競技には中国伝統のカンフーもあった |
× |
日本人ドライバーが世界三大耐久のひとつ「ル・マン24時間耐久レース」を制したことがある |
○ |
東京競馬場があるのはもちろん東京都である |
○ |
中央競馬のGIレース・宝塚記念が開催される阪神競馬場があるのは当然、兵庫県宝塚市である |
○ |
日本の男子ゴルファーで初めて「世界ゴルフ殿堂」入りを果たしたのは青木功である |
○ |
日本の男子ゴルファーで初めて「世界ゴルフ殿堂」入りを果たしたのは中島常幸である |
× |
「モナコマイスター」と呼ばれたレーサー・グラハム・ヒルの息子デイモン・ヒルは、父親とは違いモナコGPで優勝できなかった |
○ |
2005-2006年シーズンを制しプロバスケット・bjリーグの初代王者に輝いたチームは大阪エヴェッサである |
○ |
2005-2006年シーズンを制しプロバスケット・bjリーグの初代王者に輝いたチームは新潟アルビレックスである |
× |
2010年の全豪オープンで女子シングルス、女子ダブルスの両方を制したテニス選手はセリーナ・ウィリアムズである |
○ |
2010年の全豪オープンで女子シングルス、女子ダブルスの両方を制したテニス選手はビーナス・ウィリアムズである |
× |
ダーツで、1スローとは矢を3本投げることである |
○ |
ダーツで、1スローとは矢を5本投げることである |
× |
ダーツの公式ルールでは3本投げ終わるまでに一度刺さったダーツが落ちてもその点数は有効である |
× |
ダーツの公式ルールではダーツは足で投げてもかまわない |
× |
男子プロゴルファーフィル・ミケルソンの出身国はアメリカである |
○ |
男子プロゴルファーフィル・ミケルソンの出身国は南アフリカである |
× |
陸上女子100mの世界記録保持者のフローレンス・ジョイナーは200mの世界記録も保持している |
○ |
1999年にアメリカンフットボールの第1回ワールドカップが開催された国はイタリアである |
○ |
1999年にアメリカンフットボールの第1回ワールドカップが開催された国はアメリカである |
× |
1999年に行われたアメリカンフットボールの第1回ワールドカップで優勝した国は日本である |
○ |
1999年に行われたアメリカンフットボールの第1回ワールドカップで優勝した国はアメリカである |
× |
ハンドボールでボールを持ったまま歩けるのは3歩までである |
○ |
ハンドボールでボールを持ったまま歩けるのは5歩までである |
× |
日本で初めてエフワンが開催されたサーキットは富士スピードウェイである |
○ |
日本で初めてエフワンが開催されたサーキットは鈴鹿サーキットである |
× |
陸上競技・男子やり投げの世界記録は100mを超えている |
× |
エフワンの元世界王者ミハエル・シューマッハのエフワンデビュー戦はなんと0周リタイアだった |
○ |
ロサンゼルス五輪の馬術で金メダルを獲得した西竹一の愛馬の名前はウラヌス号である |
○ |
ロサンゼルス五輪の馬術で金メダルを獲得した西竹一の愛馬の名前はトリトン号である |
× |
夏季五輪でバドミントンが正式競技となったのはバルセロナ五輪である |
○ |
夏季五輪でバドミントンが正式競技となったのはアトランタ五輪である |
× |
水球はイギリス生まれのスポーツである |
○ |
水球はアメリカ生まれのスポーツである |
× |
体操競技の1つ・床運動で用いられる競技マットの面積は100平方mより大きい |
○ |
卓球の公式ルールでは女子選手がスカートを履いてプレーすることは禁止されている |
× |
卓球の公式ルールではボールの色は白のみと決められている |
× |
五輪の第一公用語はフランス語である |
○ |
五輪の第一公用語は英語である |
× |
1988年のソウル五輪には北朝鮮は参加していない |
○ |
2005年に日本人として初めてアメリカのNASCARにフル参戦した日本人レーサーは服部茂章である |
○ |
2005年に日本人として初めてアメリカのNASCARにフル参戦した日本人レーサーは服部尚貴である |
× |
1996年のアトランタ五輪で最終聖火ランナーはモハメド・アリだった |
○ |
1996年のアトランタ五輪で最終聖火ランナーはジョージ・フォアマンだった |
× |
ボウリングで使うボールに空けられる穴の数の上限は3つである |
× |
夏季五輪はかつて毎年開催されていた |
× |
織田信成、高橋大輔といえばフィギュアスケートの選手である |
○ |
織田信成、高橋大輔といえばスピードスケートの選手である |
× |
ミニバスケットボールに3ポイントシュートはない |
○ |
ボウリングで使用するボールの内部は空洞になっている |
× |
サッカーと同様にバレーボールでも悪質な行為をした選手にはイエローカードが提示される |
○ |
NFLのスーパーボウルとMLBのワールドシリーズの両方に出場した選手がいる |
○ |
ビリヤードも五輪の正式競技の1つである |
× |
日本で調教された競走馬が競馬の本場・イギリスのダービーを制したことがある |
× |
日本で調教された競走馬として初めて凱旋門賞に出走したのはスピードシンボリである |
○ |
日本で調教された競走馬として初めて凱旋門賞に出走したのはシリウスシンボリである |
× |
1977年にエフワン史上初のターボエンジン搭載のマシンを登場させたチームはルノーである |
○ |
1977年にエフワン史上初のターボエンジン搭載のマシンを登場させたチームはブラバムである |
× |
2010年に、日本人として初めて女子プロゴルフの世界ランクで1位となったゴルファーは宮里藍である |
○ |
2010年に、日本人として初めて女子プロゴルフの世界ランクで1位となったゴルファーは横峯さくらである |
× |
2008年の有馬記念で牝馬として37年ぶりに優勝した競走馬はダイワスカーレットである |
○ |
2008年の有馬記念で牝馬として37年ぶりに優勝した競走馬はウオッカである |
× |
NFLのチームカロライナ・パンサーズが本拠地を置くアメリカの州はノースカロライナ州である |
○ |
NFLのチームカロライナ・パンサーズが本拠地を置くアメリカの州はサウスカロライナ州である |
× |
男子プロテニス選手リカルド・クライチェクの国籍はオランダである |
○ |
男子プロテニス選手リカルド・クライチェクの国籍はスペインである |
× |
「K-1 WORLD GP」の世界予選がアフリカ大陸でおこなわれたことがある |
○ |
中央競馬で、着順が確定した時に着順表示板に点灯するランプの色は赤である |
○ |
中央競馬で、着順が確定した時に着順表示板に点灯するランプの色は青である |
× |
かつて「30度バンク」と呼ばれる急斜面のコーナーがあったサーキットは富士スピードウェイである |
○ |
かつて「30度バンク」と呼ばれる急斜面のコーナーがあったサーキットは鈴鹿サーキットである |
× |
1964年の東京五輪のマラソンで円谷幸吉が獲得したメダルは銅メダルである |
○ |
1964年の東京五輪のマラソンで円谷幸吉が獲得したメダルは銀メダルである |
× |
東京五輪の男子マラソンで3位になった日本人選手は円谷幸吉である |
○ |
東京五輪の男子マラソンで3位になった日本人選手は瀬古利彦である |
× |
東京五輪のマラソンで3位となった円谷幸吉は陸上自衛官であった |
○ |
東京五輪のマラソンで3位となった円谷幸吉は海上自衛官であった |
× |
アメリカの自動車レース「インディ500」で、優勝したレーサーが表彰台で飲むのは牛乳である |
○ |
アメリカの自動車レース「インディ500」で、優勝したレーサーが表彰台で飲むのはシャンパンである |
× |
1995年と1996年に2年連続でオートバイのWGP・125ccクラスで世界王者を獲得したレーサーは青木治親である |
○ |
1995年と1996年に2年連続でオートバイのWGP・125ccクラスで世界王者を獲得したレーサーは青木宣篤である |
× |
競泳の男子100m平泳ぎで世界で初めて1分の壁を破ったのはスロードノフである |
○ |
競泳の男子100m平泳ぎで世界で初めて1分の壁を破ったのは北島康介である |
× |
バスケットボールのリングは3mよりも高い位置にある |
○ |
ラグビーの早慶戦が始まったのは大正時代である |
○ |
ラグビーの早慶戦が始まったのは明治時代である |
× |
お正月の箱根駅伝で発着点となっている東京の場所は読売新聞東京本社前である |
○ |
お正月の箱根駅伝で発着点となっている東京の場所は毎日新聞東京本社前である |
× |
日本人ドライバーが世界三大耐久レースのひとつ「デイトナ24時間レース」を制したことがある |
○ |
夏季五輪と冬季五輪の両方に出場した日本人選手がいる |
○ |
夏季五輪と冬季五輪の両方で金メダルを獲得した選手がいる |
○ |
夏季五輪と冬季五輪の両方で金メダルを獲得した日本人選手がいる |
× |
現在、男子マラソンの日本最高記録を持つ選手は高岡寿成である |
○ |
現在、男子マラソンの日本最高記録を持つ選手は尾方剛である |
× |
スポーツのアジア競技大会を最も多く開催している都市はバンコクである |
○ |
夏季五輪と冬季五輪はかつて同じ年に開催していた |
○ |
バスケットボールが正式種目になった夏季五輪の大会はベルリン大会である |
○ |
バスケットボールが正式種目になった夏季五輪の大会はストックホルム大会である |
× |
08-09、09-10シーズンとNBAファイナルを連覇したアメリカのバスケットボールチームはロサンザルス・レイカーズである |
○ |
08-09、09-10シーズンとNBAファイナルを連覇したアメリカのバスケットボールチームはボストン・セルティックスである |
× |
2010-2011シーズンとNBAファイナルを制したアメリカのバスケットボールチームはマイアミ・ヒートである |
× |
プロアメリカンフットボールリーグ・NFLでは、レギュラーシーズンの試合をアメリカ合衆国以外で行ったことがない |
× |
南井克夫の騎乗により1997年の菊花賞を制した競走馬はマチカネフクキタルである |
○ |
南井克夫の騎乗により1997年の菊花賞を制した競走馬はマチカネワラウカドである |
× |
2010年2月に行われたNFLの優勝決定戦・スーパーボウルを制したチームはニューオーリンズ・セインツである |
○ |
2010年2月に行われたNFLの優勝決定戦・スーパーボウルを制したチームはインディアナポリス・コルツである |
× |
ニュージーランドはこれまで開催された全てのラグビーW杯でベスト8に入っている |
○ |
ニュージーランドはこれまで開催された全てのラグビーW杯でベスト4に入っている |
× |
2010年に、国際五輪委員会より「世界女性スポーツ賞」に選出された元マラソン選手は有森裕子である |
○ |
2010年に、国際五輪委員会より「世界女性スポーツ賞」に選出された元マラソン選手は高橋尚子である |
× |
五輪のメインスタジアムとなった競技場の中に、世界遺産に登録されたものがある |
○ |
第1回国民体育大会が開催された都道府県は京都府である |
○ |
第1回国民体育大会が開催された都道府県は東京都である |
× |
国民体育大会は47都道府県すべてで開催されたことがある |
○ |
1965年に浮谷東次郎と生沢徹が激戦を繰り広げた「全日本自動車クラブ選手権」が開催されたのは船橋サーキットである |
○ |
1965年に浮谷東次郎と生沢徹が激戦を繰り広げた「全日本自動車クラブ選手権」が開催されたのは鈴鹿サーキットである |
× |
冬のスポーツ「バイアスロン」はクロスカントリースキーとライフル射撃を組み合わせた競技である |
○ |
冬のスポーツ「バイアスロン」はクロスカントリースキーとクレー射撃を組み合わせた競技である |
× |
ゲートボールで使用されるボールは、すべて白色である |
× |
陸上競技・走り高跳びの男子の世界記録は3mを超えている |
× |
プロゴルファー・片山晋呉のトレードマークとなっている帽子はテンガロンハットである |
○ |
プロゴルファー・片山晋呉のトレードマークとなっている帽子はシルクハットである |
× |
テニスの4大大会の中で芝生のコートで行われるのはウィンブルドンだけである |
○ |
テニスの4大大会の中で芝生のコートで行われるのは全仏オープンだけである |
× |
冬のスポーツ・ボブスレーで使われるソリには、ブレーキが付けられている |
○ |
冬のスポーツ・リュージュで使われるソリには、ブレーキが付けられている |
× |
テニスのウィンブルドン選手権・女子シングルスを2009、10年と連覇したのはウィリアムズ姉妹の妹・セリーナである |
○ |
テニスのウィンブルドン選手権・女子シングルスを2009、10年と連覇したのはウィリアムズ姉妹の姉・ビーナスである |
× |
五輪の競泳・女子自由形で金メダルを獲得した日本人は1人もいない |
× |
2008年に史上最年少でエフワン世界王者に輝いた黒人レーサールイス・ハミルトンが所属するチームはマクラーレンである |
○ |
2008年に史上最年少でエフワン世界王者に輝いた黒人レーサールイス・ハミルトンが所属するチームはルノーである |
× |
2008年のエフワン世界王者ルイス・ハミルトンが所属するチームはマクラーレンである |
○ |
プロテストを受けなくてもプロテニス選手になることは可能である |
○ |
元ラグビー日本代表の松尾雄治がヘッドコーチを務めているのは成城大学のラグビー部である |
○ |
元ラグビー日本代表の松尾雄治がヘッドコーチを務めているのは法政大学のラグビー部である |
× |
現在、エフワンで使用できるエンジンはV8エンジンのみと規定されている |
○ |
現在、エフワンで使用できるエンジンはV10エンジンのみと規定されている |
× |
スクラム、モール、トライ、ノックオンといえば、いずれもラグビーの用語である |
○ |
スクラム、モール、トライ、ノックオンといえば、いずれもアメリカンフットボールの用語である |
× |
中央競馬のGIレースの中で「アジアマイルチャレンジ」の1つとしても開催されるのは安田記念である |
○ |
中央競馬のGIレースの中で「アジアマイルチャレンジ」の1つとしても開催されるのはマイルチャンピオンシップである |
× |
アメリカンフットボールの日本一決定戦「ライスボウル」では優勝チームに副賞として「お米1年分」が贈呈される |
× |
現在、水泳選手の北島康介が所属契約を結んでいる企業は日本コカ・コーラである |
○ |
現在、水泳選手の北島康介が所属契約を結んでいる企業はサントリーである |
× |
第1回夏季五輪のマラソンで優勝したスピルドン・ルイスの職業は羊飼いだった |
○ |
第1回夏季五輪のマラソンで優勝したスピルドン・ルイスの職業はパン屋だった |
× |
五輪の陸上競技・短距離種目で日本人として初めて決勝に進出したのは吉岡隆徳である |
○ |
五輪の陸上競技・短距離種目で日本人として初めて決勝に進出したのは高野進である |
× |
イギリス競馬の三冠レースに数えられる2000ギニーダービー、セントレジャーはすべて芝のコースで行われる |
○ |
イギリス競馬の三冠レースに数えられる2000ギニーダービー、セントレジャーはすべてダートのコースで行われる |
× |
アメリカ競馬の三冠レースであるブリークネスS、ケンタッキーダービー、ベルモントSはすべてダートのコースで行われる |
○ |
アメリカ競馬の三冠レースであるブリークネスS、ケンタッキーダービー、ベルモントSはすべて芝のコースで行われる |
× |
アメリカ競馬の大レース「ケンタッキーダービー」では去勢された「せん馬」も出走することが可能である |
○ |
男子プロゴルファービジェイ・シンの国籍はフィジーである |
○ |
男子プロゴルファービジェイ・シンの国籍はアメリカである |
× |
アメリカのカール・ルイスは出場した五輪の大会全てで陸上男子100mに優勝した |
× |
アメリカのカール・ルイスは出場した五輪の大会全てで金メダルを獲得した |
○ |
日本は、参加した全ての夏季五輪においてメダルを獲得している |
× |
女子フィギュアスケート選手ジョアニー・ロシェットの出身国はカナダである |
○ |
女子フィギュアスケート選手ジョアニー・ロシェットの出身国はフランスである |
× |
綱引きをするときの掛け声「オー・エス!」は「SOS!」の略である |
× |
史上初めて日本ダービーを連覇した騎手は武豊である |
○ |
史上初めて日本ダービーを連覇した騎手は武邦彦である |
× |
第1回日本ダービーを制した競走馬の名前は「ワカタカ」である |
○ |
第1回日本ダービーを制した競走馬の名前は「タカワカ」である |
× |
1937年に牝馬として初めて日本ダービーを制した競走馬はヒサトモである |
○ |
プロバスケットボールbjリーグの試合では一度に出場できる外国人選手の数に制限はない |
× |
2010年のフィギュアスケート世界選手権・女子シングルで優勝したのは浅田真央である |
○ |
2010年のフィギュアスケート世界選手権・女子シングルで優勝したのはキム・ヨナである |
× |
太平洋戦争直後、一時的に剣道はGHQにより全面的に禁止された |
○ |
バレーボールのネットの高さは男子・女子ともに同じである |
× |
日本の中央競馬が開催される競馬場で、もっとも北にあるのは札幌競馬場である |
○ |
日本の中央競馬が開催される競馬場で、もっとも北にあるのは函館競馬場である |
× |
綱引きの国際ルールで決められている綱の素材は麻である |
○ |
1994年に事故死したアイルトン・セナはブラジル出身のレーサーである |
○ |
1994年に事故死したアイルトン・セナはフランス出身のレーサーである |
× |
五輪で「近代五輪競技」が行われるのは男子だけである |
× |
陸上競技の三段跳びでホップを右足で踏み切ったならステップも右足で行う |
○ |
日本人女性として初のプロ卓球選手はもちろん「愛ちゃん」こと福原愛である |
○ |
中央競馬のGIレースの中で1年で最初に行われるのはフェブラリーステークスである |
○ |
中央競馬のGIレースの中で1年で最初に行われるのは高松宮記念である |
× |
中央競馬の重賞レースっで1年で最初に行われるのは中山金杯である |
○ |
陸上のハードル競技で他コースの選手に妨害されたとき救済措置がとられる場合がある |
○ |
ボウリングで、1ゲームの全フレームを同じレーンで投げる方式のことをヨーロピアン方式という |
○ |
ボウリングで、1ゲームの全フレームを同じレーンで投げる方式のことをアメリカン方式という |
× |
これまでに走り高跳びで2m50cmを記録した選手は一人もいない |
○ |
陸上の女子走り高跳びで2m以上の高さを跳んだ日本人選手はいない |
○ |
腹ばいになってソリに乗りコースを滑走する冬のスポーツはスケルトンである |
○ |
腹ばいになってソリに乗りコースを滑走する冬のスポーツはリュージュである |
× |
五輪で優勝者に渡される金メダルは純金である |
× |
五輪で優勝者に渡される金メダルは純金だったこともある |
○ |
2009年に史上最年少で日本男子プロゴルフツアーの賞金王となったプロゴルファーは石川遼である |
○ |
2009年に史上最年少で日本男子プロゴルフツアーの賞金王となったプロゴルファーは池田勇太である |
× |
北京五輪で太田雄貴が銀メダルを獲得したフェンシングの種目はフルーレである |
○ |
北京五輪で太田雄貴が銀メダルを獲得したフェンシングの種目はサーブルである |
× |
2012年にロンドンで開催される夏季五輪のマスコットの名前は「ウェンロック」である |
○ |
2012年にロンドンで開催される夏季五輪のマスコットの名前は「マンデビル」である |
× |
2012年にロンドンで開催されるパラリンピックのマスコットの名前は「マンデビル」である |
○ |
2012年にロンドンで開催されるパラリンピックのマスコットの名前は「ウェンロック」である |
× |
世界で初めて8000m級の山14座すべての登頂に成功したラインホルト・メスナーはオーストリア人である |
○ |
世界で初めて8000m級の山14座すべての登頂に成功したラインホルト・メスナーはイタリア人である |
× |
アメリカでカーレースインディ500が行われるのは毎年5月である |
○ |
アメリカでカーレースインディ500が行われるのは毎年6月である |
× |
1924年におこなわれた第1回冬季五輪の開催地はシャモニー・モンブランである |
○ |
1924年におこなわれた第1回冬季五輪の開催地はサンモリッツである |
× |
宮里藍は、日本ゴルフ史上初の高校生プロゴルファーだった |
○ |
北京五輪で、「中東の笛」が問題となり、アジア予選がやり直しとなった競技は男子ハンドボールである |
○ |
北京五輪で、「中東の笛」が問題となり、アジア予選がやり直しとなった競技は男子バスケットボールである |
× |
バンクーバー五輪で日本代表選手団の主将を務めたスキー・ジャンプの選手は岡部孝信である |
○ |
バンクーバー五輪で日本代表選手団の主将を務めたスキー・ジャンプの選手は葛西紀明である |
× |
テニスの4大大会の1つ「ウィンブルドン選手権」が開催される国はイギリスである |
○ |
テニスの4大大会の1つ「ウィンブルドン選手権」が開催される国はアメリカである |
× |
陸上競技の「やり投げ」で使用する槍は、男子も女子も同じ重さである |
× |
アルペンスキーで活躍したアルベルト・トンバの出身国はイタリアである |
○ |
アルペンスキーで活躍したアルベルト・トンバの出身国はスイスである |
× |
五輪の開会式では必ず鳩を飛ばすよう定められている |
○ |
JRAの競馬学校を卒業する時にもっとも成績が優秀だった騎手に与えられる賞は「アイルランド大使特別賞」である |
○ |
JRAの競馬学校を卒業する時にもっとも成績が優秀だった騎手に与えられる賞は「アイスランド大使特別賞」である |
× |
1981年に、日本初のトライアスロンの大会が開催された県は鳥取県である |
○ |
1981年に、日本初のトライアスロンの大会が開催された県は島根県である |
× |
弓道の公式試合で使われる矢の材料は竹でなければならない |
× |
1950年代に通算5回エフワン世界王者に輝いたファン・マヌエル・ファンジオはアルゼンチン出身である |
○ |
1950年代に通算5回エフワン世界王者に輝いたファン・マヌエル・ファンジオはブラジル出身である |
× |
夏季五輪よりも冬季五輪のほうが日本人の金メダリストが多い |
× |
ラグビーのW杯本大会で日本が唯一勝利を収めている相手はジンバブエである |
○ |
ラグビーのW杯本大会で日本が唯一勝利を収めている相手はナミビアである |
× |
往年の名ランナー・アベベは東京五輪のマラソンで金メダルを獲得したときコースを裸足で走っていた |
× |
タイガー・ウッズはプロゴルファーとなってからメジャー大会で予選落ちをしたことがない |
× |
ホノルルマラソンの初代優勝者はマクドナルドである |
○ |
ホノルルマラソンの初代優勝者はロッテリアである |
× |
ホノルルマラソンのゴール地点となっている公園はカピオラニ公園である |
○ |
1912年のストックホルム五輪マラソンに出場した金栗四三は当時マラソンの世界最高記録をもっていた |
○ |
体操の男子・個人総合で日本人選手の具志堅幸司が金メダルを獲得した五輪はロサンゼルス大会である |
○ |
体操の男子・個人総合で日本人選手の具志堅幸司が金メダルを獲得した五輪はバルセロナ大会である |
× |
インドの競技・カバディで攻撃のために相手陣に入った選手は「カバディ」と言い続けないといけない |
○ |
インド発症の競技・カバディで攻撃側のことをレイダーという |
○ |
インド発症の競技・カバディで攻撃側のことをアンティという |
× |
ゴルフのハンデ算出法の1つ「キャロウェイ方式」はキャロウェイさんが考案したことから名前がついた |
○ |
ゴルフのハンデ算出法の1つ「キャロウェイ方式」はキャロウェイという土地で始められたことから名前がついた |
× |
ウィンドサーフィンは五輪の正式種目に採用されている |
○ |
フェンシングは日本生まれのスポーツである |
× |
1953年に世界で初めてエベレストの登頂に成功したエドモンド・ヒラリーはニュージーランド人である |
○ |
1953年に世界で初めてエベレストの登頂に成功したエドモンド・ヒラリーはオーストラリア人である |
× |
ボート競技のスカルで1人の選手が使うオールの数は2本である |
○ |
ボート競技のスカルで1人の選手が使うオールの数は1本である |
× |
中央競馬のレースが行われる全国10の競馬場すべてで重賞レースを勝った最初の騎手は安田富男である |
○ |
中央競馬のレースが行われる全国10の競馬場すべてで重賞レースを勝った最初の騎手は安田康彦である |
× |
日本人初のNBAプレーヤー田臥勇太のポジションはポイントガードである |
○ |
日本人初のNBAプレーヤー田臥勇太のポジションはセンターである |
× |
大倉山シャンツェはラージ・ヒルに分類されるジャンプ競技台である |
○ |
大倉山シャンツェはノーマル・ヒルに分類されるジャンプ競技台である |
× |
冬季五輪の会場にもなった大倉山ジャンプ競技場があるのは札幌市である |
○ |
冬季五輪の会場にもなった大倉山ジャンプ競技場があるのは長野市である |
× |
卓球が五輪の正式種目となったのはソウル五輪のときである |
○ |
卓球が五輪の正式種目となったのは東京五輪のときである |
× |
自動車レースの最高峰エフワングランプリに4輪車以外が出場したことがある |
○ |
自動車レースのF1の「F」は「ファイナル」の略である |
× |
剣道の公式な試合では選手は必ず裸足でなければならない |
× |
陸上選手の室伏広治はハンマー投げの日本記録を持っている |
○ |
かつて全日本女子チームが「東洋の魔女」と呼ばれた競技はバレーボールである |
○ |
かつて全日本女子チームが「東洋の魔女」と呼ばれた競技はバスケットボールである |
× |
ゴルフのルールを考案したのは中国の呉竜府(ごりゅうふ)という人物である |
× |
アジアで初めて夏季五輪が開催された都市は東京である |
○ |
アジアで初めて夏季五輪が開催された都市はソウルである |
× |
ロシアの人気テニス選手マリア・シャラポワは世界ランキング1位になったことがある |
○ |
女子の体操着として用いられた「ブルマー」はブルマーさんが考案した |
× |
古代の五輪大会では選手は全裸で競技をおこなった |
○ |
北京五輪の陸上100mは男女ともジャマイカの選手が金メダルを獲得した |
○ |
日本の中央競馬の当たり馬券は購入後、何日経っていても換金することができる |
× |
2006年のトリノ五輪、2010年のバンクーバー五輪と2大会連続で女子カーリングの日本代表となったのはチーム青森である |
○ |
2006年のトリノ五輪、2010年のバンクーバー五輪と2大会連続で女子カーリングの日本代表となったのはチーム長野である |
× |
現在、日本の47都道府県すべてに競馬場がある |
× |
競泳の自由形では平泳ぎで泳いでもかまわない |
○ |
競泳の自由形では平泳ぎで泳いではいけない |
× |
ゴルフでティーグラウンドからの第1打がそのままカップに入ることをホール・イン・ワンという |
○ |
ゴルフでティーグラウンドからの第1打がそのままカップに入ることをハットトリックという |
× |
1990年頃に、エフワンのマクラーレンチームのスポンサーについたことがある漫画雑誌は「週刊少年ジャンプ」である |
○ |
1990年頃に、エフワンのマクラーレンチームのスポンサーについたことがある漫画雑誌は「週刊少年マガジン」である |
× |
近代五輪競技の馬術では大会主催者が準備した馬を抽選により選手に割り当てる |
○ |
アメリカNBAのフリースロー通算成功率歴代1位の選手はリック・バリーである |
× |
羽根のついたボールを打ち合うスポーツ「インディアカ」が日本ではじめて紹介された時の名前は「ピンポンパン」だった |
○ |
羽根のついたボールを打ち合うスポーツ「インディアカ」が日本ではじめて紹介された時の名前は「ポンキッキ」だった |
× |
過去に五輪の開催国が金メダルを1つも獲得できなかったことがある |
○ |
ドッジボールも五輪の正式競技の1つである |
× |
球技の「ドッジボール」「ドッジ」は、「よける」という意味である |
○ |
球技の「ドッジボール」「ドッジ」は、「狙い撃ち」という意味である |
× |
ゴルフの尾崎三兄弟は全員、日本ツアーの賞金王になったことがある |
× |
タレントの森末慎二が体操選手時代に五輪で金メダルを獲得した種目は鉄棒である |
○ |
タレントの森末慎二が体操選手時代に五輪で金メダルを獲得した種目は平行棒である |
× |
オートバイのロードレース世界選手権にはかつて、サイドカーで競うクラスがあった |
○ |
1981年から87年までル・マン24時間レースで連勝した自動車メーカーはポルシェである |
○ |
1981年から87年までル・マン24時間レースで優勝した自動車メーカーはブジョーである |
× |
日本中央競馬会の初代理事長はGIレース・有馬記念に名を残す有馬頼寧である |
× |
1973年に「世界水泳選手権」の第1回大会が開催された都市はベオグラードである |
○ |
1973年に「世界水泳選手権」の第1回大会が開催された都市はザグレブである |
× |
卓球のラケットに貼るラバーは表・裏ともに同じ色でも構わない |
× |
第1回冬季ユニバーシアードの開催地はシャモニーである |
○ |
ユニバーシアードの第1回冬季大会の開催地はサンモリッツである |
× |
南米大陸で初めてユニバーシアードが開催された都市はポルト・アレグレである |
○ |
国際バレーボール連盟の本部があるスイスの都市はローザンヌである |
○ |
国際バレーボール連盟の本部があるスイスの都市はチューリヒである |
× |
NBAで通算最多得点を記録している選手はカリーム・アブドゥル・ジャバーである |
○ |
NBAで通算最多得点を記録している選手はマイケル・ジョーダンである |
× |
ジャパンラグビートップリーグの現在のチェアマンは真下昇である |
○ |
ジャパンラグビートップリーグの現在のチェアマンは水谷眞である |
× |
1896年の第1回夏季五輪は男子選手のみで行われた |
○ |
「第1回夏季五輪(1896年)」と「第1回冬季五輪(1924年)」で参加国の数が多かったのは「第1回冬季五輪」の方である |
○ |
「第1回夏季五輪(1896年)」と「第1回冬季五輪(1924年)」で参加国の数が多かったのは「第1回夏季五輪」の方である |
× |
「追い風」と「向かい風」のうちスキーのジャンプ競技で選手にとって有利になるのは「向かい風」である |
○ |
「追い風」と「向かい風」のうちスキーのジャンプ競技で選手にとって有利になるのは「追い風」である |
× |
日本で初めて冬季五輪が開催された都市は札幌である |
○ |
日本で初めて冬季五輪が開催された都市は長野である |
× |
1998年に冬季五輪が開催された日本の都市は長野である |
○ |
1998年に冬季五輪が開催された日本の都市は札幌である |
× |
2019年にアジアで初めてラグビーのワールドカップが開催されることとなった国は日本である |
○ |
2019年にアジアで初めてラグビーのワールドカップが開催されることとなった国は韓国である |
× |
北米のプロバスケットボールリーグ・NBAの所属チームでメンフィスに本拠地を置くのはグリズリーズである |
○ |
北米のプロバスケットボールリーグ・NBAの所属チームでメンフィスに本拠地を置くのはホーネッツである |
× |
1987年、エフワン日本GPが初めて鈴鹿サーキットで開催されたときに優勝したのはゲルハルト・ベルガーである |
○ |
1987年、エフワン日本GPが初めて鈴鹿サーキットで開催されたときに優勝したのはネルソン・ピケである |
× |
全国高校ラグビーで最多優勝回数を誇る学校は秋田工業高校である |
○ |
全国高校ラグビーで最多優勝回数を誇る学校は伏見工業高校である |
× |
冬季五輪の4人乗りボブスレーでは、ソリに1人でも別向きに乗ってしまうと失格になる |
× |
08-09,09-10と2シーズン連続でNBAの年間最優秀選手に輝いたバスケットボール選手はケビン・デュラントである |
× |
中国で考案されたバドミントンにおけるすり足でのフットワークを「シャセ」という |
○ |
中国で考案されたバドミントンにおけるすり足でのフットワークを「チャネ」という |
× |
日本で、五輪の金メダリストを最も多く輩出している都道府県は北海道である |
○ |
2005年に日本女子オープンゴルフ選手権を史上最年少で制したのは宮里藍である |
○ |
2005年に日本女子オープンゴルフ選手権を史上最年少で制したのは横峯さくらである |
× |
砲丸投げの男子世界記録は25mを超えている |
× |
アメリカンフットボールで主審がかぶる帽子の色は白である |
○ |
アメリカンフットボールで主審がかぶる帽子の色は赤である |
× |
アイスホッケーではゴールキーパーもスティックを手にしている |
○ |
冬季五輪のアイスホッケーでは北米プロリーグ・NHLでプレーする選手が参加することは禁止されている |
× |
過去に五輪を開催したアフリカの国は1つもない |
○ |
福原愛は全日本卓球選手権女子シングルスで一度も優勝したことがない |
○ |
アマチュアレスリングのフリー、グレコローマンの2種目のうち五輪の女子競技で行われるのはフリーである |
○ |
アマチュアレスリングのフリー、グレコローマンの2種目のうち五輪の女子競技で行われるのはグレコローマンである |
× |
フランスの自転車レースツール・ド・フランスの初代総合優勝者はもちろんフランス人である |
○ |
レース終了後に花火を打ち上げることで有名な四輪レースは「鈴鹿1000km」である |
○ |
レース終了後に花火を打ち上げることで有名な四輪レースは「インディジャパン」である |
× |
プロゴルファーの尾崎将司が野球選手だったときに所属していたのは西鉄ライオンズである |
○ |
プロゴルファーの尾崎将司が野球選手だったときに所属していたのは近鉄バファローズである |
× |
鈴鹿サーキットがあるのは三重県である |
○ |
鈴鹿サーキットがあるのは愛知県である |
× |
水球ではゴールキーパー以外の選手がボールを両手でつかむことは禁止されている |
○ |
MotoGPの世界王者バレンティーノ・ロッシが2011年から所属するチームはドゥカティである |
○ |
MotoGPの世界王者バレンティーノ・ロッシが2011年から所属するチームはヤマハである |
× |
世界王者にもなった二輪ライダーバレンティーノ・ロッシの出身国はイタリアである |
○ |
五輪の金メダリストの最高齢は80歳を超えている |
× |
バスケットボールはアメリカで考案されたスポーツである |
○ |
バスケットボールはイギリスで考案されたスポーツである |
× |
アイスホッケーは男子・女子ともに五輪の正式種目となっている |
○ |
レーサーとしておなじみのタレント・近藤真彦は全日本GT選手権で優勝したことがある |
○ |
レーサーとしておなじみのタレント・近藤真彦はフォーミュラニッポンで優勝したことがある |
× |
陸上競技の400mハードルでハードルの数は男女とも一緒である |
○ |
競馬の日本ダービーで1着が同着となり1年に2頭のダービー馬が誕生してしまったことがある |
× |
卓球のダブルスでは必ずペアが交代でボールを打たなければならない |
○ |
2009年シーズンをもってエフワンから撤退したトヨタチームは8年間の活動で1度も優勝することが出来なかった |
○ |
ゲートボールのことを漢字では「門球」と書く |
○ |
ゲートボールのことを漢字では「扉球」と書く |
× |
ゴルフで、バンカーに入ってしまったボールは必ずサンドウェッジで打たなければならない |
× |
夏季五輪のベルリン大会で西田修平と大江季雄の「友情のメダル」の逸話が生まれた種目は棒高跳びである |
○ |
夏季五輪のベルリン大会で西田修平と大江季雄の「友情のメダル」の逸話が生まれた種目は三段跳びである |
× |
ボウリングの国際ルールによると大きさが一定以内であればどれだけ重い球を使用してもかまわない |
× |
ボウリングの公式試合で選手が使うボールの重さは16ポンド以下であるならばいくら軽くてもかまわない |
○ |
女子プロフィギュアスケート選手荒川静香が所属しているのはプリンスホテルである |
○ |
女子プロフィギュアスケート選手荒川静香が所属しているのはトヨタ自動車である |
× |
男子プロテニス選手カルロス・モヤの国籍はスペインである |
○ |
男子プロテニス選手カルロス・モヤの国籍はアルゼンチンである |
× |
ラグビーのボールの形は「球」である |
× |
北米プロアメリカンフットボールリーグ・NFLで、カナダに本拠地を置くチームは1つもない |
○ |
日本の中央競馬の重賞レースの中で、もっとも距離が長いのは中山グランドジャンプである |
○ |
日本の中央競馬の重賞レースの中で、もっとも距離が長いのは中山大障害である |
× |
アメリカ、NBAの優勝チームに贈られるトロフィーの名前はラリー・オブライエントロフィーである |
○ |
アメリカ、NBAの優勝チームに贈られるトロフィーの名前はモーリス・ポドロフトロフィーである |
× |
NFLの優勝決定戦・スーパーボウルで、勝ったチームに贈られるトロフィーはビンス・ロンバルディ杯である |
○ |
NFLの優勝決定戦・スーパーボウルで、勝ったチームに贈られるトロフィーはビート・ロゼール杯である |
× |
五輪を開催する国は必ず選手村を作らなければならない |
○ |
五輪に出場する選手は全員選手村に宿泊しなければならない |
× |
フランスのレーサージャン・アレジは国際F3000の年間王者になったことがある |
○ |
フランスのレーサージャン・アレジはエフワンの年間王者になったことがある |
× |
国際試合で用いられる卓球のテーブルの高さは1mよりも低い |
○ |
国際試合で用いられる卓球のテーブルの高さは1mよりも高い |
× |
弓道で、「前」といえば的に向かって右側のことである |
○ |
弓道で、「前」といえば的に向かって左側のことである |
× |
ツール・ド・フランスで個人総合成績1位の選手が着る黄色いジャージはマイヨ・ジョーヌである |
○ |
ツール・ド・フランスで個人総合成績1位の選手が着る黄色いジャージはマイヨ・プランである |
× |
バレーボール・全日本女子チームの監督を、女性が務めたことは一度もない |
× |
ゴルフの全米ツアーで賞金王となった岡本綾子は意外にも日本ツアーで賞金王になったことがない |
× |
2009年にアメリカンフットボールの「ジャパンXボウル」を制し社会人王者となったのは鹿島ディアーズである |
○ |
2009年にアメリカンフットボールの「ジャパンXボウル」を制し社会人王者となったのは富士通フロンティアーズである |
× |
ラグビーのルールでは相手チームのインゴールにあるボールを足で踏むだけでもトライと認められる |
× |
五輪の男子体操個人総合で日本人初の金メダルを獲得した選手は遠藤幸雄である |
○ |
五輪の男子体操個人総合で日本人初の金メダルを獲得した選手は小野喬である |
× |
東京五輪のテーマソング『東京五輪音頭』の作曲者は古賀政男である |
○ |
東京五輪のテーマソング『東京五輪音頭』の作曲者は服部良一である |
× |
ハンドボールの国際試合では選手交替は1チームにつき1試合6回までと決められている |
× |
現在の女子マラソンの世界記録保持者はキャサリン・ヌデレバである |
× |
世界的に有名なカーレース「インディ500」が開催される国はアメリカである |
○ |
世界的に有名なカーレース「インディ500」が開催される国はイギリスである |
× |
国際大学スポーツ連盟が主催する国際的な競技大会「ユニバーシアード」は、大学生以外にも参加することができる |
○ |
ラグビーのワールドカップで北半球の国が優勝したことは1度もない |
× |
ラグビーのワールドカップで日本が決勝トーナメントに進んだことは一度もない |
○ |
NBAで、複数のチームで永久欠番となっているバスケットボール選手がいる |
○ |
女子の新体操で用いられる手具の数は全部で5つである |
○ |
女子の新体操で用いられる手具の数は全部で6つである |
× |
2010年に、元チーム青森の本橋麻里を中心に結成されるカーリングチームは「ロコ・ソラーレ」である |
○ |
2010年に、元チーム青森の本橋麻里を中心に結成されるカーリングチームは「チーム フジヤマ」である |
× |
元チーム青森の本橋麻里を中心に、2010年に結成されたカーリングチームは「北海道銀行フォルティウス」である |
× |
2010年に、カーリング解説でおなじみの小林宏を監督に結成されたカーリングチームは「チーム フジヤマ」である |
○ |
2010年に、カーリング解説でおなじみの小林宏を監督に結成されたカーリングチームは「ロコ・ソラーレ」である |
× |
かつてエフワンで6輪車を走らせたチームはティレルである |
○ |
かつてエフワンで6輪車を走らせたチームはブラバムである |
× |
初めて正式競技となったシドニー五輪のトライアスロンは男女とも完走したのは全参加者の半数以下だった |
× |
元エフワン世界王者アラン・プロストが1980年にデビューしたチームはマクラーレンである |
○ |
元エフワン世界王者アラン・プロストが1980年にデビューしたチームはルノーである |
× |
エフワン世界王者の経験者であるアイルトン・セナとミハエル・シューマッハが同じチームに所属したことがある |
× |
サッカーのJリーグと同じようにジャパンラグビートップリーグにもチェアマンという役職がある |
○ |
日本の競馬で、もっとも勝ち星を挙げている女性ジョッキーは宮下瞳である |
○ |
日本の競馬で、もっとも勝ち星を挙げている女性ジョッキーは吉岡牧子である |
× |
2012年のロンドン五輪では実施される競技すべてに女性が参加することができる |
○ |
五輪のマラソンの距離は第1回大会から42.195kmであった |
× |
五輪の父と呼ばれるフランスのクーベルタン男爵は五輪で金メダルを獲得している |
○ |
フィギュアスケートのショートプログラムの演技時間は3分より短い |
○ |
フィギュアスケートのショートプログラムの演技時間は2分より短い |
× |
1994年に事故死したエフワン世界王者アイルトン・セナはブラジルで国葬された |
○ |
往年の名馬・タケホープの馬主は天才騎手・武豊の祖父である |
× |
テニスのラケットは両面どちらで打っても良い |
○ |
2010年のバンクーバー冬季五輪で実施された種目の数は100よりも少ない |
○ |
2010年のバンクーバー冬季五輪で実施された種目の数は100よりも多い |
× |
五輪の輪が描かれた五輪マークは第1回大会には存在しなかった |
○ |
スキー・ジャンプのV字フォームを考案したヤン・ボークレブはジャンプのワールドカップでシーズン総合優勝したことがある |
○ |
21世紀最初の夏季五輪が開催された都市はアテネである |
○ |
21世紀最初の夏季五輪が開催された都市はシドニーである |
× |
北米プロバスケットボールリーグのNBAでは、背番号「0」を使うことは許されていない |
× |
バドミントンの国際大会トマス杯の第1回優勝国はマレーシアである |
○ |
男子バドミントンの国別対抗戦トマス杯の最多優勝国は中国である |
× |
日本の地方競馬のレースの中でもっとも1着の賞金が高いのはJBCクラシックである |
○ |
ビーチバレーのコートはバレーコートのコートと全く同じ大きさである |
× |
ビーチバレーのコートは室内バレーボールのコートと全く同じ大きさである |
× |
五輪のビーチバレーでは試合途中に選手を交代することはできない |
○ |
陸上競技で、立ったままスタートをする方法をスタンディングスタートという |
○ |
陸上競技で、立ったままスタートをする方法をクラウチングスタートという |
× |
カール・ルイスが五輪で獲得したメダルはすべて金メダルである |
× |
マスターズの最年少優勝記録を持つゴルファーはタイガー・ウッズである |
○ |
マスターズの最年少優勝記録を持つゴルファーはジャック・ニクラウスである |
× |
体操競技のつり輪でケーブルを交差させる技は現在は禁止されている |
○ |
2009年の甲子園ボウルを制しアメリカンフットボールの大学日本一となったのは関西大学である |
○ |
ローマ、東京五輪のマラソンで2連覇したアベベ・ビキラはエチオピアの選手である |
○ |
ローマ、東京五輪のマラソンで2連覇したアベベ・ビキラはケニアの選手である |
× |
ウェイトリフティングの競技台のことをプラットホームという |
○ |
ウェイトリフティングの競技台のことをピストという |
× |
卓球のダブルスの試合では試合中にパートナー同士でラケットを交換しても良い |
× |
五輪のライフル射撃では光学スコープを着用しながら競技をしてもかまわない |
× |
1983年に日本中央競馬史上3頭目の三冠馬となった馬はミスターシービーである |
○ |
1983年に日本中央競馬史上3頭目の三冠馬となった馬はシンボリルドルフである |
× |
男子プロゴルファーニック・プライスの国籍はジンバブエである |
○ |
男子プロゴルファーニック・ファルドの国籍はイギリスである |
○ |
男子プロゴルファーニック・ファルドの国籍はジンバブエである |
× |
2012年に開催されるロンドン五輪でテニスの会場となるのはウィンブルドンである |
○ |
2012年に開催されるロンドン五輪でテニスの会場となるのはウェンブリーである |
× |
サッカーと同様にアイスホッケーでも1人で3得点をあげることを「ハットトリック」という |
○ |
アイスホッケーでセンターラインの手前からシュートを決めたら2点である |
× |
箱根駅伝のコースで最高点の標高は1000mを越えている |
× |
「五輪で3回転半ジャンプを3度成功させた」ことでギネスブックに登録された女子フィギュアスケート選手は浅田真央である |
○ |
「五輪で3回転半ジャンプを3度成功させた」ことでギネスブックに登録された女子フィギュアスケート選手はキム・ヨナである |
× |
陸上男子100mの日本記録は9秒台である |
× |
陸上男子100mの日本記録を現在持っている選手は伊東浩司である |
○ |
陸上男子100mの日本記録を現在持っている選手は井上悟である |
× |
テニスプレーヤーの伊達公子を妻にもつ四輪レーサーはミハエル・クルムである |
○ |
2007年のラグビーW杯で日本代表は1勝もできなかった |
○ |
国際パラリンピック委員会の本部がある都市はドイツのボンである |
○ |
国際パラリンピック委員会の本部がある都市はスイスのローザンヌである |
× |
テニスの公式ルールではボールを足で蹴って相手コートに返しても有効である |
× |
自動車レース「フォーミュラニッポン」の初代チャンピオンはラルフ・シューマッハである |
○ |
自動車レース「フォーミュラニッポン」の初代チャンピオンはミハエル・シューマッハである |
× |
2014年より始まった電気自動車レース「フォーミュラE」ではファン投票で上位になった選手は加速ボタンを押すことができる |
○ |
ルーマニアの体操選手ナディア・コマネチは出場した全ての五輪で金メダルを獲得している |
○ |
シンクロナイズドスイミングでは競技者は必ずノーズクリップ(鼻栓)を付けて演技をしなければならない |
× |
1896年に開催された第1回近代五輪・アテネ大会の競泳は海で行われた |
○ |
NBAのユタ・ジャズがユタの前に本拠地としていた都市は、ジャズ音楽の発祥地・ニューオリンズだった |
○ |
陸上競技の1つ「駅伝」の発祥国は日本である |
○ |
1917年に新しい陸上競技に「駅伝」と命名した人物は武田千代三郎である |
○ |
バンクーバー五輪のスキー・ジャンプ競技で、日本では初となる6大会連続出場を果たしたのは葛西紀明である |
○ |
バンクーバー五輪のスキー・ジャンプ競技で、日本では初となる6大会連続出場を果たしたのは岡部孝信である |
× |
伝説のエフワンドライバージル・ビルヌーブが最後に付けたカーナンバーは「27」である |
○ |
伝説のエフワンドライバージル・ビルヌーブが最後に付けたカーナンバーは「17」である |
× |
2012年に夏季五輪が開催される都市はパリである |
× |
卓球女子日本代表の福原愛が使用しているラケットの種類はシェークハンドである |
○ |
卓球女子日本代表の福原愛が使用しているラケットの種類はペンホルダーである |
× |
水泳で「ばた足」の「ばた」とはバタフライのことである |
× |
剣道で使う竹刀は4枚の割り竹からできている |
○ |
剣道で使う竹刀は3枚の割り竹からできている |
× |
競泳で、日本人は世界新記録を出したことが無い |
× |
ゲートボールを考案したのは日本人である |
○ |
ゲートボールを考案したのはアメリカ人である |
× |
フィギュアスケートが夏季五輪の正式種目として行われたことがある |
○ |
南半球で冬季五輪の大会が開催されたことは一度もない |
○ |
夏季五輪で初めて聖火リレーが行われたのは1936年のベルリン大会である |
○ |
夏季五輪で初めて聖火リレーが行われたのは1952年のヘルシンキ大会である |
× |
中央競馬の平地GIレースはすべて日曜日に開催される |
○ |
1936年のベルリン五輪で行われた初の聖火リレーはドイツ国内のみを走るものだった |
× |
冬季五輪は当初夏季五輪と同じ年に開催されていた |
○ |
1956年にアメリカNBAの初代シーズンMVPを受賞したのはボブ・クージーである |
× |
ヨーロッパの自転車レース「ツール・ド・フランス」と「ジロ・デ・イタリア」は同じ年に始まった |
× |
日本の中央競馬では10歳になった競走馬は強制的に引退させられてしまう |
× |
「エフワンGP史上初のアジア人ドライバー」として記録されているのはもちろん日本人である |
× |
1896年の第1回アテネ五輪で行われたマラソンの距離は40kmにも満たなかった |
○ |
1896年の第1回アテネ五輪で行われたマラソンの距離は現在、マラソンが行われる42.195kmより長かった |
× |
卓球のラケットの形は三角形でも構わない |
○ |
橋本聖子は夏季五輪と冬季五輪の両方でメダルを獲得した |
× |
セパタクローのコートはバドミントンのダブルス用のコートと同じ広さである |
○ |
セパタクローで1人が続けてボールにタッチできるのは3回までである |
○ |
セパタクローで1人が続けてボールにタッチできるのは2回までである |
× |
男子プロテニス選手ガストン・ガウディオの出身国はアルゼンチンである |
○ |
男子プロテニス選手ガストン・ガウディオの出身国はスペインである |
× |
これまでデビュー戦でいきなりポールポジションを獲得したエフワンレーサーは1人もいない |
× |
エフワンGPで日本人がポールポジションを獲得したことは一度もない |
○ |
五輪の日本代表選手団において女性選手の数が男性選手の数を上回った大会がある |
○ |
1936年のベルリン五輪で開会宣言をしたのはアドルフ・ヒトラーだった |
○ |
日本は初参加した夏季五輪ストックホルム大会においてメダルを1つも獲得できなかった |
○ |
日本の中央競馬では騎手は50歳になったら引退しなければならない |
× |
エフワンの日本グランプリよりオートバイレース・WGPの日本グランプリの方が開催されたのが古い |
○ |
日本に初めてスキーが伝えられたとき、滑る人はストックを1本だけしか使用しなかった |
○ |
毎年、秋に開催される「日本オープンゴルフ選手権」に出場することが出来るのは日本人ゴルファーだけである |
× |
1996年のアトランタ五輪自転車競技の1000mタイムトライアルで銅メダルを獲得したのは十文字貴信である |
○ |
1996年のアトランタ五輪自転車競技の1000mタイムトライアルで銅メダルを獲得したのは神山雄一郎である |
× |
かつての名ランナー・瀬古利彦が1978年から3連覇した大会は福岡国際マラソンである |
○ |
かつての名ランナー・瀬古利彦が1978年から3連覇した大会は東京国際マラソンである |
× |
NFLを代表するQBトム・ブレイディが所属するチームはニューイングランド・ペイトリオッツである |
○ |
NFLを代表するQBトム・ブレイディが所属するチームはグリーンベイ・バッカーズである |
× |
陸上競技の棒高跳びで使用するポールの材質は金属でもかまわない |
○ |
1992年に夏季五輪が開催されたスペインの都市はバルセロナである |
○ |
1992年に夏季五輪が開催されたスペインの都市はマドリードである |
× |
元エフワン世界王者ナイジェル・マンセルが1980年にデビューしたチームはブラバムである |
× |
現在、五輪の女子マラソンの最高記録を持っているのは高橋尚子である |
○ |
現在、五輪の女子マラソンの最高記録を持っているのは野口みずきである |
× |
北京五輪の陸上男子400mリレーで日本が獲得したのは銅メダルである |
○ |
1991年にル・マン24時間レースを制したマツダのメインスポンサーだった企業はワコールである |
× |
パラリンピックで日本が史上最多のメダルを獲得したのは2004年のアテネ大会である |
○ |
パラリンピックで日本が史上最多のメダルを獲得したのは2000年のシドニー大会である |
× |
プロテニスのランキングには五輪での試合結果はまったく反映されない |
× |
カーリングで、チームの主将的な役割を果たすポジョンはスキップである |
○ |
カーリングで、チームの主将的な役割を果たすポジョンはリードである |
× |
ボウリングも五輪の正式競技の1つである |
× |
1999年に骨折したシューマッハの代役として、フェラーリに乗ったエフワンドライバーはミカ・サロである |
○ |
1999年に骨折したシューマッハの代役として、フェラーリに乗ったエフワンドライバーはオリビエ・パニスである |
× |
ボウリングで、普通向かって右奥にあるピンは10番ピンである |
○ |
ボウリングで、普通向かって右奥にあるピンは7番ピンである |
× |
北京料理の選手村で出た料理は全て中華料理だった |
× |
ミュンヘン五輪の男子競泳でマーク・スピッツは優勝した7種目全てで世界新記録を樹立した |
○ |
夏季五輪の1大会で日本人が同じ種目で金・銀・銅メダルを独占したことがある |
○ |
アメリカンフットボールでは前方にいる味方の選手へパスをしてはいけない |
× |
かつては47都道府県すべてに地方競馬の競馬場があった |
× |
剣道で、一本を取った後にガッツポーズをしたら一本が取り消されることもある |
○ |
テニスの男子国別対抗戦「デビスカップ」の第1回大会は19世紀最後の年に開催された |
○ |
テニスの男子国別対抗戦「デビスカップ」の第1回大会は20世紀最初の年に開催された |
× |
1976年のインスブルック冬季五輪で日本選手団の主将を務めたのは札幌五輪の金メダリスト・笠谷幸生である |
○ |
これまで夏季五輪を2回開催した国はひとつもない |
× |
これまで夏季五輪を2回連続で開催した国はひとつもない |
○ |
1964年に東京五輪が開催された当時の国際五輪委員会の会長はブランデージである |
○ |
NBAやbjリーグで採用されている「ノーチャージエリア」では接触プレーは全てオフェンス側のファウルとなる |
× |
アジア出身のゴルファーで初めて女子プロゴルフの世界ランクで1位となったのは申智愛である |
○ |
アジア出身のゴルファーで初めて女子プロゴルフの世界ランクで1位となったのは宮里藍である |
× |
NFLの優勝決定戦・スーパーボウルで、勝ったチームに贈られるトロフィーはピート・ロゼール杯である |
× |
東京五輪と札幌五輪は同じ年に開催された |
× |
元エフワン世界王者のフェルナンド・アロンソがデビューしたチームはジョーダンである |
× |
バレーボールの試合会場はコートから天井までの高さには規定がもうけられている |
○ |
バレーボールの試合会場はコートから天井までの高さに特に規定はない |
× |
五輪の聖火リレーでコースの途中で火が消えてしまったことがある |
○ |
エフワンのレースで用いられるマシンは四輪駆動である |
× |
元女子バレーボール選手の中田久美は、中学生時代に歌手の尾崎豊と同級生だった |
○ |
元女子バレーボール選手の中田久美は、中学生時代に歌手の吉川晃司と同級生だった |
× |
名古屋国際女子マラソンと大阪国際女子マラソンで第1回大会の開催が早いのは名古屋国際女子マラソンである |
○ |
アジアで冬季五輪を開催した国は日本だけである |
○ |
アジアで夏季五輪を開催した国は日本だけである |
× |
サーフィンで「レギュラー」といえば左足を前にして立つスタンスのことである |
○ |
サーフィンで「レギュラー」といえば右足を前にして立つスタンスのことである |
× |
ビーチバレーの公式試合で使用するボールの色はオレンジと決められている |
× |
ヨットの「アメリカスカップ」は毎回、必ずアメリカで行われる |
× |
1年間に3回、同じ国でエフワングランプリが開催されたことがある |
○ |
1907年に行われたゴルフの「第1回日本アマチュア選手権」には、日本人ゴルファーは1人も参加していない |
○ |
ボート競技の「エイト」でボート1艇あたりの乗組員の数は8人である |
× |
卓球の別名「ピンポン」は日本で作られた名前である |
× |
ヨーロッパのフォーミュラレース「GP2」の初代王者はニコ・ロズベルクである |
○ |
ヨーロッパのフォーミュラレース「GP2」の初代王者はネルソン・ピケJr.である |
× |
ウエイトリフティングで成功か失敗かを判定するレフリーの数は3人である |
○ |
ウエイトリフティングで成功か失敗かを判定するレフリーの数は1人である |
× |
国際水泳連盟は「水球」も管轄している |
○ |
水泳の「ドルフィンキック」は日本人が考案した技術である |
○ |
1996年から2000年にかけて日本競馬の最多連勝記録・29連勝を達成した競走馬はドージマファイターである |
○ |
1996年から2000年にかけて日本競馬の最多連勝記録・29連勝を達成した競走馬はドージマムテキである |
× |
アメリカのプロスポーツリーグ、NFLとNHLでチームの数が多いのはNFLの方である |
○ |
アメリカのプロスポーツリーグ、NFLとNHLでチームの数が多いのはNHLの方である |
× |
2010年に世界ラリー選手権に転向した元エフワン世界王者のキミ・ライコネンが所属するチームはシトロエンである |
○ |
名馬・アグネスフライトやアグネスタキオンの「アグネス」は、タレントのアグネス・チャンに由来する |
○ |
北京五輪の開会式で演出を務めた映画監督はチャン・イーモウである |
○ |
参加した日本選手の数が最も多かった五輪の大会は1964年の東京五輪である |
○ |
参加した日本選手の数が最も多かった五輪の大会は2004年のアテネ五輪である |
× |
陸上の七種競技で最初に行われる種目は200m走である |
× |
陸上の十種競技で最初に行われる種目は100m走である |
○ |
陸上の十種競技で最初に行われる種目は走り幅跳びである |
× |
陸上の「十種競技」のことを英語では「デカスロン」という |
○ |
陸上の「十種競技」のことを英語では「ヘプタスロン」という |
× |
五輪の馬術競技では人だけでなく、馬に対してもドーピング検査が行われる |
○ |
北京五輪の女子ソフトボール決勝で日本が対戦した国はアメリカである |
○ |
北京五輪の女子ソフトボール決勝で日本が対戦した国はオーストラリアである |
× |
五輪で、「入賞」とは8位以内に入ることである |
○ |
五輪で、「入賞」とは6位以内に入ることである |
× |
世界剣道選手権大会の男子団体の部は、1970年の第1回以来全て日本が優勝している |
× |
世界剣道選手権大会の男子個人の部は、1970年の第1回以来全て日本が優勝している |
○ |
現在はハセミモータースポーツを率いる元レーサー・長谷見昌弘のスポンサーを長年つとめてきた玩具会社はトミーである |
○ |
現在はハセミモータースポーツを率いる元レーサー・長谷見昌弘のスポンサーを長年つとめてきた玩具会社はエポック社である |
× |
氷上でおこなわれるスポーツ・カーリングでは、選手は足にスケート靴を履いている |
× |
全国高校ラグビーの本大会で代表がいまだ勝利を挙げていない都道府県がある |
× |
スキー場をさす「ゲレンデ」とはドイツ語である |
○ |
スキー場をさす「ゲレンデ」とはノルウェー語である |
× |
NFL史上に残る名選手ジョー・モンタナは4度出場したスーパーボウルで一度も負けたことがない |
○ |
2010年に開催されたエフワンの第1回韓国GPで優勝したドライバーはフェルナンド・アロンソである |
○ |
2010年に開催されたエフワンの第1回韓国GPで優勝したドライバーはルイス・ハミルトンである |
× |
日本で調教された競走馬が海外の競馬のGIレースで優勝したことがある |
○ |
日本の競走馬が韓国で開催される競馬のGIレースで優勝したことがある |
× |
2005年にわずか6台でエフワンの決勝レースが行われたのはアメリカGPである |
○ |
2005年にわずか6台でエフワンの決勝レースが行われたのはカナダGPである |
× |
競馬で、騎手が乗っていた馬から落ちてしまうことを「落馬」という |
○ |
中央競馬の騎手や調教師であっても、地方競馬の馬券なら購入することが可能である |
○ |
中央競馬の騎手もプロ野球選手のように本名以外の名前を登録名にすることができる |
○ |
1990年代に夏季五輪は合計3度開催された |
× |
バスケットボールのプロリーグ「bjリーグ」に所属する大分ヒートデビルズが本拠地を置く都市は別府市である |
○ |
23歳134日と、史上最年少でエフワンのワールドチャンピオンとなったドライバーはセバスチャン・ベッテルである |
○ |
23歳134日と、史上最年少でエフワンのワールドチャンピオンとなったドライバーはルイス・ハミルトンである |
× |
エフワンに代表されるフォーミュラカーには方向指示器はついていない |
○ |
1896年の第1回アテネ五輪の陸上・男子100mで優勝したトーマス・パークのタイムは12秒台だった |
○ |
フィギュアスケートの公式戦の現在の採点方法は減点方式である |
× |
エフワンで使用されるプライムタイヤとオプションタイヤのうち、硬いのはプライムタイヤの方である |
○ |
エフワンで使用されるプライムタイヤとオプションタイヤのうち、硬いのはオプションタイヤの方である |
× |
1973年に開催された女子バレーボールの第1回ワールドカップで優勝した国はソ連である |
○ |
女子プロテニス選手ダニエラ・ハンチュコワの国籍はロシアである |
× |
これまでの五輪のマスコットは全て実在の動物である |
× |
2011年に、シンクロナイズドスイミング・アメリカ代表のヘッドコーチに就任した日本人指導者は井村雅代である |
× |
男子テニスのシングルスで年間グランドスラムを2度以上達成した選手は1人もいない |
× |
クリケットは夏季五輪の正式競技に採用されている |
× |
2011年1月に行われたアメリカンフットボールの日本選手権・ライスボウルを制したのはオービックシーガルズである |
○ |
伊藤美誠が、10歳2カ月で全日本選手権の史上最年少勝利記録を塗り替えた競技は卓球である |
○ |
伊藤美誠が、10歳2カ月で全日本選手権の史上最年少勝利記録を塗り替えた競技は新体操である |
× |
2011年に、卓球の全日本選手権・女子シングルスで、10歳2ヶ月の史上最年少勝利を記録したのは伊東美誠である |
○ |
ラグビーの全国大学選手権を2009年度、2010年度と連覇した大学は帝京大学である |
○ |
天才ジョッキー・武豊は1987年にデビューして以来毎年GIレースで勝利している |
× |
女子フィギュアスケート選手の浅田真央は、父親がタレント・大地真央のファンであったことから名づけられた |
○ |
2011年のフォーミュラ・ニッポンにナカジマ・レーシングチームから参戦するのは中嶋悟監督の次男・中嶋大祐である |
○ |
2011年のフォーミュラ・ニッポンにナカジマ・レーシングチームから参戦するのは中嶋悟監督の長男・中嶋一貴である |
× |
氷上の競技スケルトンは腹ばいの状態でソリに乗る |
○ |
氷上の競技スケルトンは仰向けの状態でソリに乗る |
× |
伝統のオートバイレースが開催されるマン島はイギリス領である |
○ |
伝統のオートバイレースが開催されるマン島はフランス領である |
× |
アジアで夏季五輪が開催された都市は全て首都である |
○ |
今は亡きロードレーサー加藤大治郎が所属していたチームはヤマハである |
× |
2019年に、アジアで初めてラグビーのワールドカップが開催されることとなった国は日本である |
○ |
2019年に、アジアで初めてラグビーのワールドカップが開催されることとなった国は韓国である |
× |
競馬の日本ダービーと同じ日に東京競馬場の最終レースとしておこなわれる重賞は目黒記念である |
○ |
競馬の日本ダービーと同じ日に東京競馬場の最終レースとしておこなわれる重賞はアルゼンチン共和国杯である |
× |
北米プロアメリカンフットボールリーグ・NFLに所属するチーム「シンシナティ・ベンガルズ」の名前はベンガル虎に由来している |
○ |
競馬の天皇賞はかつて春秋とも同じ距離だった |
○ |
ドイツ出身のバスケットボール選手、ダーク・ノビツキーが所属するNBAのチームはマーベリックスである |
○ |
ドイツ出身のバスケットボール選手、ダーク・ノビツキーが所属するNBAのチームはキャバリアーズである |
× |
2009−2010シーズンにNHLのスタンレー杯を制したアイスホッケーチームはシカゴ・ブラックホークスである |
○ |
2009−2010シーズンにNHLのスタンレー杯を制したアイスホッケーチームはフィラデルフィア・フライヤーズである |
× |
2011年の世界フィギュアスケート選手権・女子シングルで優勝した選手は安藤美姫である |
○ |
日本の中央競馬のGIレースには牡馬しか出走できないものもある |
× |
日本の中央競馬のGIレースには牝馬しか出走できないものもある |
○ |
明治大学ラグビー部で右ウイングとして活躍する佳久創の父親は中日ドラゴンズで活躍した元プロ野球選手の郭源治である |
○ |
明治大学ラグビー部で右ウイングとして活躍する佳久創の父親は中日ドラゴンズで活躍した元プロ野球選手の郭秦源である |
× |
海外で生産された馬が日本の中央競馬の年度代表馬に選出されたことがある |
○ |
五輪においてアマチュア規定違反1号となった選手はジム・ソープである |
○ |
五輪においてアマチュア規定違反1号となった選手はカール・シュランツである |
× |
2012年のロンドン五輪で優勝者に与えられる金メダルの材質は全体の90%以上が銅である |
× |
今までに開催されたラグビー・ワールドカップの本大会に日本はすべて出場している |
○ |
ラグビー・W杯の本大会では日本代表はまだ勝利を記録したことがない |
× |
バレーボールでボールがアンテナに当たった場合は無条件でアウトになる |
○ |
競馬の日本ダービーで1着が同着になり1年に2頭のダービー馬が誕生してしまったことがある |
× |
夏季五輪においては中止した大会も回数に含めてカウントしている |
○ |
これまでの夏季五輪で日本が獲得した金メダルの数は100個を超えている |
○ |
中央競馬の大レース・「春の天皇賞」と「秋の天皇賞」で、距離が長いのは「春の天皇賞」の方である |
○ |
別名を「正眼の構え」という剣道の構えは中段の構えである |
○ |
別名を「正眼の構え」という剣道の構えは上段の構えである |
× |
2011年12月に、公営競技初の生涯獲得賞金30億円を達成した松井繁は、ボートレースの選手である |
○ |
2005年に中央競馬史上6頭目の三冠馬となった競走馬・ディープインパクトの調教師は池江泰寿である |
× |
2011年に中央競馬史上7頭目の三冠馬となった競走馬・オルフェーヴルの調教師は池江泰郎である |
× |
五輪とパラリンピックの両方に選手として出場した人がいる |
○ |
中央競馬で、史上初めて通算3000勝を達成した騎手は武豊である |
○ |
中央競馬で、史上初めて通算3000勝を達成した騎手は岡部幸雄である |
× |
第1回冬季五輪が開催されたのは第一次世界大戦より後である |
○ |
北海道にもプロバスケットボールbjリーグのチームがある |
× |
サッカーと同様にバスケットボールにも「オフサイド」という反則が存在する |
× |
フジテレビの地上波の『エフワングランプリ』は全て生中継である |
× |
1980年にアメリカで開催されたレークプラシッド冬季五輪をソ連はボイコットしている |
× |
夏季五輪の卓球男子シングルス歴代王者は全て中国人である |
× |
五輪で「近代五種競技」が行われるのは男子だけである |
× |
北米プロアイスホッケーリーグ「NHL」の公式戦が日本で行われたことがある |
○ |
1998年の長野冬季五輪で日本人選手は金メダルをひとつも取れなかった |
× |
男子プロテニス協会が発表する世界ランキングで、日本人選手で歴代最高位の記録を保持するのは錦織圭である |
○ |
男子プロテニス協会が発表する世界ランキングで、日本人選手で歴代最高位の記録を保持するのは松岡修造である |
× |
1983年に開催された「第1回世界陸上選手権」で金メダルを最も多く獲得した国は東ドイツである |
○ |
日本では、競馬の騎手は自分が出走するレースの馬券を買うことは出来ない |
○ |
40歳と、世界陸上選手権で史上最高齢での金メダルを獲得した陸上選手はエリーナ・ズベレワである |
○ |
40歳と、世界陸上選手権で史上最高齢での金メダルを獲得した陸上選手は室伏広治である |
× |
五輪で、競技参加者数が前回の大会より減ってしまったことがある |
○ |
2012年シーズンに浅尾美和とコンビを組むビーチバレー選手は浦田聖子である |
× |
1972年のミュンヘン五輪に女子では五輪史上最年長となる70歳で出場したジョンストンは馬場馬術の選手だった |
○ |
1972年のミュンヘン五輪に女子では五輪史上最年長となる70歳で出場したジョンストンは射撃の選手だった |
× |
2012年のロンドン五輪に日本史上最年長の71歳で出場する法華津寛は馬場馬術の選手である |
○ |
2012年のル・マン24時間へ参戦することを発表した日本のレーシングカーメーカーは童夢である |
○ |
2012年のル・マン24時間へ参戦することを発表した日本のレーシングカーメーカーはノバエンジニアリングである |
× |
紫緩褒章を団体として初めて受賞したのは2006年にワールド・ベースボール・クラシックを制した野球の日本代表である |
○ |
紫緩褒章を団体として初めて受賞したのは2011年に女子ワールドカップを制したサッカーの女子日本代表である |
× |
ボウリングのボールは指を入れる穴は3つまでと決められている |
× |
女子プロゴルファーの宮里美香は宮里藍の親戚である |
× |
1920年のアントワープ大会に五輪史上最年長となる72歳で出場したオスカー・スバーンは馬場馬術の選手だった |
× |
毎年、正月に行われる箱根駅伝の往路と復路では復路の方が距離が長い |
○ |
毎年、正月に行われる箱根駅伝の往路と復路では往路の方が距離が長い |
× |
スピードスケートのレースは左回りで行われる |
○ |
女子プロゴルファーの宮里藍と宮里美香は実の姉妹である |
× |
バドミントンのサーブでシャトルコックをラケットで打つ際には、打点が腰より下でなければならない |
○ |
バドミントンのサーブでシャトルコックをラケットで打つ際には、打点が腰より上でなければならない |
× |
2012年のロンドン五輪で五輪の卓球・女子シングルスで日本人として初めて準決勝に進出したのは福原愛である |
× |
アテネ五輪からロンドン五輪にかけて、五輪の競泳で史上初の同一種目3大会連続金メダルを達成したのはフェルプスである |
○ |
アテネ五輪からロンドン五輪にかけて、五輪の競泳で史上初の同一種目3大会連続金メダルを達成したのは北島康介である |
× |
夏季五輪の競泳に出場する選手に年齢制限はない |
○ |
TV番組『恋のから騒ぎ』の17期メンバーとして活躍した芦村幸香が2011年に選手としてデビューした競技はボートレースである |
○ |
アメリカンフットボールの試合で交代できる人数に制限はない |
○ |
2020年の五輪開催地決定に際し東京の五輪招致プレゼンターを務めた女性キャスターは小林麻央である |
× |
2012年のロンドン五輪・フェンシングで、日本代表が銀メダルを獲得した種目は男子フルーレ団体である |
○ |
2012年のロンドン五輪・フェンシングで、日本代表が銀メダルを獲得した種目は男子サープル団体である |
× |
男子プロゴルフの日本ツアーで「プロ転向2戦目での勝利」の最速記録を保持するのは松山英樹である |
○ |
男子プロゴルフの日本ツアーで「プロ転向2戦目での勝利」の最速記録を保持するのは石川遼である |
× |
日本人プロゴルファーで賞金1億円獲得までに要した試合数が10試合と、もっとも少なかったのは松山英樹である |
○ |
陸上競技の十種競技は全10種目を1日で行う |
× |
五輪の正式種目となっている近代五輪は、すべての種目を1日で行う |
○ |
2015年にテニスの全豪オープン男子シングルスで優勝した選手はフェデラーである |
× |
6人制バレーボールの試合では相手コートに体のどの部分が触れても反則になる |
× |
6人制バレーボールでは6人で同時にブロックをしてもかまわない |
× |
6人制バレーボールの試合ではリベロ登録した2人の選手は同時に試合には出場できない |
○ |
6人制バレーボールでサーブがネットに触れて相手コートに入ると打ち直しとなる |
× |
6人制バレーボールの試合ではいかなる場合も試合中アンテナに触れてはいけない |
× |
6人制バレーボールと9人制バレーボールのうちオリンピックで行われるのは6人制である |
○ |
6人制バレーボールと9人制バレーボールのうちオリンピックで行われるのは9人制である |
× |
競馬の「天皇賞」は年に2回ある |
○ |
中国ではエフワングランプリのことを「一級方程式」という |
○ |
ソチ五輪の聖火リレーで史上初となる「湖底での聖火の受け渡し」が行われたロシアの湖はバイカル湖である |
○ |
ソチ五輪の聖火リレーで史上初となる「湖底での聖火の受け渡し」が行われたロシアの湖はカスピ海である |
× |
「カーリング」は冬のオリンピックで行われる競技である |
○ |
2013年9月の国際五輪委員会の総会の結果、2020年の東京五輪で実施されることが決まった競技は野球・ソフトボールである |
× |
公式な自転車ロードレースではヘルメットの着用が義務付けられている |
○ |
2015年にF1のワールドチャンピオンとなったレーサーはルイス・ハミルトンである |
○ |
2015年にF1のワールドチャンピオンとなったレーサーはセバスチャン・ベッテルである |
× |
2013年に、熊沢重文に次いで史上2人目の「平地・障害の両方で中央競馬のGIレース制覇」を果たした騎手は柴田大知である |
○ |
2013年に、熊沢重文に次いで史上2人目の「平地・障害の両方で中央競馬のGIレース制覇」を果たした騎手は柴田未崎である |
× |
2022年に冬季五輪が開催される中国の都市は北京である |
○ |
パラグライダーの離陸に適している風の向きは向かい風である |
○ |
パラグライダーの離陸に適している風の向きは追い風である |
× |
2013年に、ゲーリー・サトウが外国人として初めて監督に就任したのはバレーボールの全日本女子チームである |
× |
三冠馬と三冠牝馬の直接で話題となった2012年のジャパンカップを制した競走馬は2012年の三冠牝馬・ジェンティルドンナである |
○ |
2014年1月3日に箱根駅伝で総合優勝を果たした大学は駒澤大学である |
× |
2012年9月に、サッカー選手の増嶋竜也と結婚した元バドミントン選手は潮田玲子である |
○ |
2012年9月に、サッカー選手の増嶋竜也と結婚した元バドミントン選手は小椋久美子である |
× |
バドミントンの国際試合で着用するユニフォームは白色でなければならない |
× |
2014年ソチ五輪で、15歳と冬季五輪では日本最年少でメダルを獲得したハーフパイプの選手は平野歩夢である |
○ |
2014年ソチ五輪で、15歳と冬季五輪では日本最年少でメダルを獲得したハーフパイプの選手は平岡卓である |
× |
冬季五輪で行う競技には男女混合の種目もある |
○ |
サッカーボールとテニスボール直径が大きいのはテニスボールである |
× |
日本で初めてテレビ放送されたスポーツ中継は相撲である |
○ |
スポーツキャスターの浅田舞とフィギュアスケート選手の浅田真央は姉妹である |
○ |
1896年の第1回夏季五輪の参加国は10ヶ国に満たなかった |
× |
自転車レース「ツール・ド・フランス」では、水や食料の補給が一切できない |
× |
バスケットボールのドリブルは足でボールをけりながら行う |
× |
「ポロ」とは、馬に乗って行うスポーツである |
○ |
アメリカのプロスポーツにおいて同一カードの連戦で全勝する事をスウィープという |
○ |
プロゴルファーの石川遼が愛用している0番アイアンに付けている名前は「シンイチ・チバ」である |
× |
ボウリングで「ストライク」とは1回目の投球で、すべてのピンを倒すことである |
○ |
2013年の「つるやオープン」でゴルフの国内レギュラーツアーで史上初のエージシュートを達成したのは尾崎将司である |
○ |
2013年の「つるやオープン」でゴルフの国内レギュラーツアーで史上初のエージシュートを達成したのは中嶋常幸である |
× |
2020年の五輪開催地を決める総会で、最後に東京と決選投票で争った都市はイスタンブールである |
○ |
2014年のソチ五輪においてノルディック複合・ノーマルヒル個人で銀メダルを獲得した日本人選手は渡部善斗である |
× |
国際バレーボール連盟が発表する女子の世界ランキングで全日本女子チームが世界ランク1位になったことがある |
× |
2016年のリオデジャネイロ五輪で体操の白井健三が銅メダルを獲得した種目は跳馬である |
○ |
2014年1月に2020年東京五輪の組織委員長に就任した元首相は森喜朗である |
○ |
競馬の馬券は小学生でも購入できる |
× |
1984年のロサンゼルス五輪で日本人史上最年長の48歳で金メダルを獲得した蒲池猛夫は射撃の選手である |
○ |
秩父宮ラグビー場があるのは埼玉県秩父市である |
× |
アメリカ女子ツアー初優勝時の年齢が、22歳と日本人最年少だった女子プロゴルファーは宮里美香である |
○ |
アメリカ女子ツアー初優勝時の年齢が、22歳と日本人最年少だった女子プロゴルファーは宮里藍である |
× |
2015-2016ジャパンラグビートップリーグの優勝チームはパナソニックである |
○ |
2015-2016ジャパンラグビートップリーグの優勝チームは東芝である |
× |
ボウリングの公式ルールでは同じフレームの1投目と2投目でボールを替えても良い |
○ |
2012年より、スロープレーの撲滅を目指しイエローカード制を導入したのは女子プロゴルフの国内ツアーである |
○ |
2012年より、スロープレーの撲滅を目指しイエローカード制を導入したのは男子プロゴルフの国内ツアーである |
× |
日本独特の競馬・ばんえい競馬が開催されている唯一の競馬場は帯広競馬場である |
○ |
日本独特の競馬・ばんえい競馬が開催されている唯一の競馬場は門別競馬場である |
× |
その王者が「キング・オブ・スキー」と呼ばれる競技は十種競技である |
○ |
その王者が「キング・オブ・スキー」と呼ばれる競技はバイアスロンである |
× |
五輪の有名な標語「より速く、より高く、より強く」を考案した人物はディドン神父である |
○ |
中央競馬史上7頭目の三冠馬・オルフェーヴルの馬名にはフランス語で「金細工師」という意味がある |
○ |
プロゴルフの日本女子ツアーで101戦連続予選通過の日本記録を保持しているゴルファーは北田瑠衣である |
× |
1026年3月にドバイ国際競走ドバイターフで優勝した競走馬はリアルスティールである |
○ |
2013・2014年にMotoGPクラスで世界王者に輝いたマルク・マルケスが所属するのはレプソル・ホンダである |
○ |
2013・2014年にMotoGPクラスで世界王者に輝いたマルク・マルケスが所属するのはモビスター・ヤマハである |
× |
2015年にMotoGPクラスで世界王者に輝いたホルヘ・ロレンソが所属するのはレプソル・ホンダである |
× |
2016年1月に全国高校ラグビー大会で優勝したのは東海大仰星である |
○ |
カヌー競技のカヤックで一般的に用いるパドルの種類はダブルブレードパドルである |
○ |
2011-12シーズンのラグビートップリーグ・プレーオフを制したチームはサントリー・サンゴリアスである |
○ |
1964年の東京五輪では選手村は男女別々に設置されていた |
○ |
2012年に拓大北海道短大女子バスケットボール部の名誉監督に就任したの横綱は白鵬である |
○ |
車いすバスケットボールのルールでは、トラベリングは反則にならない |
× |
陸上競技の走り高跳びは必ず片足で踏み切らなければならない |
○ |
2012年から2016年まで日本ゴルフツアー機構の会長を務めた元NHK会長は海老沢勝二である |
○ |
2012年から2016年まで日本ゴルフツアー機構の会長を務めた元NHK会長は福地茂雄である |
× |
2015年11月にテニス選手の錦織圭がパートナー契約を締結した航空会社は日本航空である |
○ |
2015年11月にテニス選手の錦織圭がパートナー契約を締結した航空会社は全日空である |
× |
1979年から1986年にかけて箱根駅伝を放送していたテレビ局はテレビ東京である |
○ |
野球に似たスポーツ「クリケット」で、野手は素手でボールをキャッチしなくてはならない |
○ |
2015年10月に日本テニス協会の名誉総裁に就任した皇族は秋篠宮眞子さまである |
○ |
ベルリン五輪の記録映画『民族の祭典』『美の祭典』で映画監督を務めたのはリーフェンシュタールである |
○ |
ベルリン五輪の記録映画『民族の祭典』『美の祭典』で映画監督を務めたのはクロード・ルルーシュである |
× |
箱根駅伝の最優秀選手に与えられる金栗四三杯を4年連続で受賞したランナーがいる |
× |
お正月の箱根駅伝にかつて関西の大学が出場したことがある |
○ |
2020年・東京五輪のメインスタジアムとなる新国立競技場にサブトラックは常設されない |
○ |
日本で初めて親子2代で五輪のメダルを獲得したのは揃って体操で活躍した相原親子である |
○ |
陸上のハードル競技でハードルを故意に倒した選手は失格扱いになる |
○ |
2014年に改定されたエフワンの新ルールにより導入されたエンジンは自然吸気エンジンである |
× |
日本で考案された「王子サーブ」といえばバレーボールのサーブの種類である |
× |
王子サーブの名前の由来となった王子卓球センターがある都市は大阪市である |
○ |
1964年の東京五輪の開会式の入場で、日本選手団のプラカードに書かれていた国名は「JAPAN」である |
○ |
2015年にF1のコンストラクターズチャンピオンとなったのはメルセデスである |
○ |
JRAの年度代表馬にスプリンターが選ばれたことは一度もない |
× |
1964年の東京五輪で公式時計を担当した会社はセイコーである |
○ |
競馬中継のゲート音と足音はSE(効果音)をつけている |
○ |
五輪で採用された初の女子団体種目はバレーボールである |
○ |
体操の白井健三がリオ五輪で成功させ、2016年8月に正式に「シライ2」と命名されたのは床運動の技である |
× |
体操選手の白井健三らにちなみ「シライ・キム」と命名された体操の技「伸身ユルチェンコ3回ひねり」は床運動の技である |
× |
体操の技に日本人として初めて名前がついた選手は山下治広である |
○ |
2013年に、日本人で初めてスーパーラグビーでのトライを記録したのは田中史朗である |
○ |
2013年に、日本人で初めてスーパーラグビーでのトライを記録したのは堀江翔太である |
× |
ゴルフ場の数が日本一多い市は千葉県の市原市である |
○ |
ラグビーの定期戦カルカッタカップで戦う国はイングランドとスコットランドである |
○ |
IAAF(国際陸上競技連盟)の本部があるヨーロッパの国はモナコである |
○ |
毎年11月に開催される全日本大学駅伝を2011年から3連覇している大学は東洋大学である |
× |
出雲駅伝で最多勝を挙げている大学は東海大学である |
× |
五輪で選手村が初めて設けられた大会は1936年のベルリン大会である |
× |
1964年の東京五輪の聖火リレーでは、沖縄もコースに入っていた |
○ |
花園ラグビー場を本拠地とするトップリーグのチームはパナソニックワイルドナイツである |
× |
1964年の東京五輪の閉会では最後に『蛍の光』が流された |
○ |
「史上最高のホッケー選手」と言われるウェイン・グレツキーがプレーしたNHLのチームは全て母国・カナダのチームである |
× |
国際自転車競技連合、UCIの本部がある国はスイスである |
○ |
フォーミュラレースのIRLでオーバルコースの年間王者に与えられるのはマリオ・アンドレッティトロフィーである |
× |
1884年に、ウィンブルドン選手権女子シングルスの最初の優勝者となったイギリスのテニス選手はモード・ワトソンである |
○ |
堀江謙一が1962年に太平洋単独横断航海を果たしたヨット「マーメイド号」はその名の通り帆に人魚の絵が描かれていた |
○ |
ヨーロッパ競馬の年間最優秀競走馬に贈られる賞の名前はカルティエ賞である |
○ |
2015年の世界水泳選手権の開催都市カザンがある国はメキシコである |
× |
オートレースにおけるハンデは5m単位で選手に課せられる |
× |
2017年にF1のマクラーレン・ホンダのレギュラーシートを獲得したストフェル・バンドーンはベルギー人である |
○ |
ラケットを地面に置いて真上から握ったテニスのグリップはウエスタングリップである |
○ |
ラケットを地面に置いて真上から握ったテニスのグリップはイースタングリップである |
× |
1951年制定の日本スポーツ賞を主催している新聞社は読売新聞社である |
○ |
小麦由来の食べ物を摂取しない生活を送っているテニス選手・ジョコビッチの実家が営んでいたのはピザ屋である |
○ |
小麦由来の食べ物を摂取しない生活を送っているテニス選手・ジョコビッチの実家が営んでいたのは小麦農家である |
× |
トライアスロンでは行われるがデュアスロンでは行われない種目はスイムである |
○ |
アメリカンフットボールの全国高校選手権大会決勝の通称はクリスマスボウルである |
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アメリカンフットボールの全国高校選手権大会決勝の通称はバレンタインボウルである |
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1992-93シーズンから3期連続でノルディックスキーのW杯で個人総合優勝を果たした日本人は荻原健司である |
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2015年の世界陸上選手権開催地は中国の上海である |
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2015年ラグビーW杯で初の連覇を達成した国はニュージーランドである |
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2015年ラグビーW杯で初の連覇を達成した国はオーストラリアである |
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高校の山岳部にも全国大会がある |
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2013年4月に発表された卓球の日本代表チームの愛称は「卓球NIPPON」である |
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2013年4月に発表された卓球の日本代表チームの愛称は「卓球JAPAN」である |
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2015年世界体操競技選手権男子団体で中国の7連覇を阻止して優勝した国は日本である |
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卓球が生まれた国はイギリスである |
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2015年に日本バスケットボール協会が15歳以下での試合で禁止したのはマンツーマンディフェンスである |
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スポーツの国際大会で「GBR」と表記される国はイギリスである |
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2010年のバンクーバー五輪で高橋大輔が獲得したメダルは銀メダルである |
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2017年度からGIに昇格することが決まった中央競馬のレースは京都記念である |
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2016年のリオパラリンピックで日本が銅メダルを獲得した競技はウィルチェアーラグビーである |
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冬季五輪のフィギュアスケート男子シングルで、日本人として初めてメダルを獲得したのは高橋大輔である |
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早稲田大学にある「ア式蹴球部」とは、他大学でいうところの「ラグビー部」のことである |
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2004年の「日本女子アマ選手権」を、史上最年少の14歳8ヶ月で制した記録を持つ女子ゴルファーは宮里美香である |
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2004年の「日本女子アマ選手権」を、史上最年少の14歳8ヶ月で制した記録を持つ女子ゴルファーは宮里藍である |
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競馬で、馬に騎乗する騎手のことを英語で「ジョッキー」という |
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女子フィギュアスケート選手・荒川静香が金メダルを獲得したのはトリノ五輪である |
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女子フィギュアスケート選手・荒川静香が金メダルを獲得したのは長野五輪である |
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2016年のリオデジャネイロ五輪バドミントン女子ダブルスで金メダルを獲得した日本ペアの愛称は「マツヤマ」である |
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ゴルフで、ボールを打つために用いる道具を「クラブ」という |
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卓球とバドミントンのコートの大きさは同じである |
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2016年のルマン24時間レースで優勝したのはポルシェである |
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2013年1月に公営レースの最年長優勝・71歳2か月を記録した加藤峻二はボートレースの選手である |
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2014年に日本人4人目のアメリカ男子プロゴルフツアー優勝を達成した選手は松山英樹である |
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五輪の金メダルは金・銀、銅全ての金属が使われている |
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伝説のエフワンドライバージル・ビルヌーブの最後に付けたカーナンバーは「17」である |
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